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1章 ~現在 王宮にて~
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国王が軽く息を吸い込み、話し出そうとした時だった。
シェリルたちが入って来た扉ではなく、国王の背中側にある扉が開き、侍従が中へ入ってくる。
侍従が背後から国王へメモを渡すと、さっと目を通した国王が軽く頷きメモを返す。侍従は恭しく頭を下げると、部屋を出て行った。
国王が重要な話を始めようという時に、侍従がノックもなく部屋へ入ってくるというのは異様な光景なはずだ。
だけどシェリルたちこの国の貴族は、この光景を見慣れてしまっていた。
勿論侍従たちは事前に国王の許可を受けて、いや、むしろ命じられて行っているに過ぎない。
シェリルはそっとギデオンの顔を窺った。
先程まで嬉しそうにしていたはずのギデオンは、悔しそうに表情を歪めている。
これから己の人生を左右するような話し合いの時までも国王には他に優先することがあるのだ。それが悔しくて苦しいに違いない。
だが腕を絡めて座るミーシャはギデオンの様子に気がついていないようで、先ほどと変わらずにこにこしている。
「すまない。話を始めようか」
国王のその言葉で一同がすっと姿勢を正した。勿論ギデオンも同じである。
ギデオンは王太子として、そして国王のただ1人の王子として厳しく躾けられてきたし、誰よりも認められようと頑張っていた。国王へ取るべき礼は心得ている。
その中でミーシャだけが、何が起こっているのかわからない様子できょろきょろしていた。
周りが一斉に姿勢を正したことも、急に部屋の空気が張り詰めたのも何故なのかわからないらしい。
ミーシャは学園でもそのマナーの悪さや身分を無視した振る舞いで周りから距離を取られていた。一部の生徒にはそれが新鮮だと持て囃されていたらしいが、ディゼル男爵夫妻はそんな娘の様子に顔色を失くしている。
娘の礼儀作法が成っていないことや教養の無さを知らなかったのだろうか。
「皆にここへ集まってもらったのは、他でもなく先日ギデオンがシェリル嬢へ告げた婚約破棄の件だ。あれから宰相や他の大臣たち、そしてマクロイド公爵と幾度も話し合ってきた。……結論として、認めようと思う」
「あぁ、そんな………っ!!」
「本当ですか!父上!!」
「国王様!ありがとうございますぅ!!」
苦渋に満ちた国王の声に重なるようにして、声が上がる。
悲鳴のような声を上げたのはルイザだ。そのまま両手で顔を覆い、ソファの上で崩れ落ちる。
体調が悪いことはひと目見ただけでわかっていた。これまでは気力だけで姿勢を保っていたのだろう。
国王が婚約破棄など認めるはずがない。
陛下の王子はギデオン唯1人だけ。シェリルを正妃にして、男爵令嬢は愛妾にしろと仰るはず。
そう信じていたのが崩れ去ったのだ。
国王はそんなルイザへ痛ましそうな視線を向ける。
だけど特別に声を掛けることも、力づけるように抱き寄せることもなかった。
一方ギデオンとミーシャは、崩れ落ちたルイザの姿も目に入っていないようで喜び合っている。
シェリルは詰めていた息をそっと吐いた。
この結果は、マクロイド公爵を見た時からわかっていたことだ。
だけどはっきり告げられるとやはり受ける衝撃は大きかった。
それだけ長い間ギデオンを想っていたのだから仕方ないだろう。
「……承りました」
声を震わせずに応えられたのは、ひとえに妃教育のおかげだった。
シェリルはいずれ王太子妃になる身として、感情を抑える術を叩きこまれている。やはりそうしたところは側妃のルイザとは違うのである。
「……シェリル嬢がこれまでどれ程ギデオンの為に尽くしてくれていたのか理解している。妃教育も優秀な成績で終えたと聞いた。これまでの努力を無駄にしてしまってすまない」
「……仕方のないことですわ」
国王の謝罪にシェリルは哀しげに微笑んだ。
人の気持ちはどうしようもないものだ。
シェリルはこれまでギデオンの支えになりたいと懸命に励んできた。
だけどシェリルではギデオンの心の隙間を埋めることができずに、ギデオンはミーシャを選んだ。
それならば受け入れるしかない。
「次の王太子の婚約者に……、というわけにはいかないだろうな」
「まあ。カシアン様には仲睦まじい婚約者がいらっしゃるではありませんか」
シェリルは口元を扇で隠して笑う。
国王も本気ではないのだろうが、ここは冗談だということにしておかなければならない。
「ああ、そうだな」
国王は疲れたように溜息を吐いた。
ギデオンが王太子位を降りれば、次の王太子になるのはマクロイド公爵家のカシアンだ。マクロイド公爵は国王の弟なので、国王にとってカシアンは甥であり、ギデオンとカシアンは従兄弟同士である。
マクロイド公爵はカシアンを養子として差し出すことに同意したのだろう。
カシアンは今年17歳で、この休みが明けると2年生になる。婚約者の侯爵令嬢は16歳で、シェリルたちの卒業と入れ替わりで入学をする。
2人の教育に使えるのはぎりぎり3年間か。
「カシアンにも侯爵令嬢にも大変な苦労を掛ける。気の毒なことだ……」
ギデオンもシェリルも幼い頃からそれぞれ帝王学と妃教育を受けて来ている。
ギデオンたちが10年以上の時間を掛けて学んできたことを、2人は3年で習得しなければならない。
勿論勉学も礼儀作法も、次期公爵、公爵夫人として学んできているが、君主と領主とでは求められる知識が違う。
国王もかつて王太子として教育を受けているので、その大変さは身に沁みてわかっているのだろう。
そうして国王とシェリルがしみじみと分かり合っていた時だ。
「ちょっとお待ちください。何の話をしているのです……?」
ギデオンの戸惑ったような声がする。
シェリルがギデオンへ視線を向けると、困惑した表情で国王とシェリルを見比べていた。
シェリルたちが入って来た扉ではなく、国王の背中側にある扉が開き、侍従が中へ入ってくる。
侍従が背後から国王へメモを渡すと、さっと目を通した国王が軽く頷きメモを返す。侍従は恭しく頭を下げると、部屋を出て行った。
国王が重要な話を始めようという時に、侍従がノックもなく部屋へ入ってくるというのは異様な光景なはずだ。
だけどシェリルたちこの国の貴族は、この光景を見慣れてしまっていた。
勿論侍従たちは事前に国王の許可を受けて、いや、むしろ命じられて行っているに過ぎない。
シェリルはそっとギデオンの顔を窺った。
先程まで嬉しそうにしていたはずのギデオンは、悔しそうに表情を歪めている。
これから己の人生を左右するような話し合いの時までも国王には他に優先することがあるのだ。それが悔しくて苦しいに違いない。
だが腕を絡めて座るミーシャはギデオンの様子に気がついていないようで、先ほどと変わらずにこにこしている。
「すまない。話を始めようか」
国王のその言葉で一同がすっと姿勢を正した。勿論ギデオンも同じである。
ギデオンは王太子として、そして国王のただ1人の王子として厳しく躾けられてきたし、誰よりも認められようと頑張っていた。国王へ取るべき礼は心得ている。
その中でミーシャだけが、何が起こっているのかわからない様子できょろきょろしていた。
周りが一斉に姿勢を正したことも、急に部屋の空気が張り詰めたのも何故なのかわからないらしい。
ミーシャは学園でもそのマナーの悪さや身分を無視した振る舞いで周りから距離を取られていた。一部の生徒にはそれが新鮮だと持て囃されていたらしいが、ディゼル男爵夫妻はそんな娘の様子に顔色を失くしている。
娘の礼儀作法が成っていないことや教養の無さを知らなかったのだろうか。
「皆にここへ集まってもらったのは、他でもなく先日ギデオンがシェリル嬢へ告げた婚約破棄の件だ。あれから宰相や他の大臣たち、そしてマクロイド公爵と幾度も話し合ってきた。……結論として、認めようと思う」
「あぁ、そんな………っ!!」
「本当ですか!父上!!」
「国王様!ありがとうございますぅ!!」
苦渋に満ちた国王の声に重なるようにして、声が上がる。
悲鳴のような声を上げたのはルイザだ。そのまま両手で顔を覆い、ソファの上で崩れ落ちる。
体調が悪いことはひと目見ただけでわかっていた。これまでは気力だけで姿勢を保っていたのだろう。
国王が婚約破棄など認めるはずがない。
陛下の王子はギデオン唯1人だけ。シェリルを正妃にして、男爵令嬢は愛妾にしろと仰るはず。
そう信じていたのが崩れ去ったのだ。
国王はそんなルイザへ痛ましそうな視線を向ける。
だけど特別に声を掛けることも、力づけるように抱き寄せることもなかった。
一方ギデオンとミーシャは、崩れ落ちたルイザの姿も目に入っていないようで喜び合っている。
シェリルは詰めていた息をそっと吐いた。
この結果は、マクロイド公爵を見た時からわかっていたことだ。
だけどはっきり告げられるとやはり受ける衝撃は大きかった。
それだけ長い間ギデオンを想っていたのだから仕方ないだろう。
「……承りました」
声を震わせずに応えられたのは、ひとえに妃教育のおかげだった。
シェリルはいずれ王太子妃になる身として、感情を抑える術を叩きこまれている。やはりそうしたところは側妃のルイザとは違うのである。
「……シェリル嬢がこれまでどれ程ギデオンの為に尽くしてくれていたのか理解している。妃教育も優秀な成績で終えたと聞いた。これまでの努力を無駄にしてしまってすまない」
「……仕方のないことですわ」
国王の謝罪にシェリルは哀しげに微笑んだ。
人の気持ちはどうしようもないものだ。
シェリルはこれまでギデオンの支えになりたいと懸命に励んできた。
だけどシェリルではギデオンの心の隙間を埋めることができずに、ギデオンはミーシャを選んだ。
それならば受け入れるしかない。
「次の王太子の婚約者に……、というわけにはいかないだろうな」
「まあ。カシアン様には仲睦まじい婚約者がいらっしゃるではありませんか」
シェリルは口元を扇で隠して笑う。
国王も本気ではないのだろうが、ここは冗談だということにしておかなければならない。
「ああ、そうだな」
国王は疲れたように溜息を吐いた。
ギデオンが王太子位を降りれば、次の王太子になるのはマクロイド公爵家のカシアンだ。マクロイド公爵は国王の弟なので、国王にとってカシアンは甥であり、ギデオンとカシアンは従兄弟同士である。
マクロイド公爵はカシアンを養子として差し出すことに同意したのだろう。
カシアンは今年17歳で、この休みが明けると2年生になる。婚約者の侯爵令嬢は16歳で、シェリルたちの卒業と入れ替わりで入学をする。
2人の教育に使えるのはぎりぎり3年間か。
「カシアンにも侯爵令嬢にも大変な苦労を掛ける。気の毒なことだ……」
ギデオンもシェリルも幼い頃からそれぞれ帝王学と妃教育を受けて来ている。
ギデオンたちが10年以上の時間を掛けて学んできたことを、2人は3年で習得しなければならない。
勿論勉学も礼儀作法も、次期公爵、公爵夫人として学んできているが、君主と領主とでは求められる知識が違う。
国王もかつて王太子として教育を受けているので、その大変さは身に沁みてわかっているのだろう。
そうして国王とシェリルがしみじみと分かり合っていた時だ。
「ちょっとお待ちください。何の話をしているのです……?」
ギデオンの戸惑ったような声がする。
シェリルがギデオンへ視線を向けると、困惑した表情で国王とシェリルを見比べていた。
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