【完結】エリート産業医はウブな彼女を溺愛する。

花澤凛

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揺るぎない気持ち

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 ずっと黙り込んでいた私が何か言い返すとは思ってもなかったのだろう。目をまん丸にした柾哉さんのお父様と目が合った。目を逸らしたら負けだと思うのに、溢れ出してくる涙で前が見えなくて必死に涙を拭う。

 「…どうしてそこまで外科医に固執するんですか。仰る通り患者は増えるし医者が足りないのもわかります。でもそれは柾哉さんが外科医になったところで何か改善するんですか?患者の数は減りますか?オペは減りますか?減りませんよね?」

 初めて食事をした居酒屋で柾哉さんは語ってくれた。
 医療業界こそ変わっていかないといけないことを。命を救う現場だからこそ、自分の命を大切にしていかないといけない、と。

 だからこそ、自分の肩書きも名前を使えるものは使うんだと、割り切っていた。医師の中には「メスを握るからこそ医師でありメスを握らない産業医は医師ではない」と見下す人もいると悔しそうにしながらも、それでも希望に目を輝かせていた。

 「柾哉さんを駒みたいに扱って、いったい何がしたいんですか」
 「駒って。おじさまは柾哉の幸せを考えて」
 「部外者は黙っててください!」
 「部外者ってアナタでしょう!?」
 「柾哉さんの恋人は私です!柾哉さんの夢も応援できない人が“恋人”を名乗る資格なんてないんだから!!」
 
 キッと睨みつければ茅野さんが悔しそうに歯噛みする。
 私はそんな彼女を他所に鞄の中に入れて自宅から持ってきた雑誌とファイルを取り出した。

 「果穂?」

 それを持って柾哉さんのお父様の元へ向かいまっすぐと見上げた。
 表情が険しいのはきっとそれだけ厳しい世界で生きてきたからだろう。凝り固まった考えは周囲にそれに意見を言える人がいなかったせいだと思う。

 以前、獅々原さんが仰っていた。上に立つと周囲から怯えられる存在になる、と。間違っていても指摘されなかったり、叱ってくれる人がいない。人は離れていくばかりで自分の過ちに気づかないんだと。だからどんなことでも意見してくれる人が現れたら有り難く思うし大切にしたいと。

 柾哉さんのお父様の周りにはそんな人がきっといなかったんだと思う。
 家族からは諦められて、職場では線を引かれて。だから茅野さんが「おじさま」と慕ってくれて彼女のことをとても可愛く思っていたのかもしれない。ある意味とても寂しくてかわいそうだ。

 
 「仕方がないので特別とくべつに。特別とくべつに。大事なのでもう一回言います。特別とくべつに、柾哉さんのお父様に貸してあげます。私の宝物なのでちゃんと返してください」

 
 眉を顰めた柾哉さんのお父様の前に記事をスクラップしたファイルを渡した。ここに来る前に自宅に寄ってもらって鞄の中に忍ばせていた。きっと「外科医VS産業医」の対立になるとなんとなく想像がついたから。
 せめて柾哉さんがどんな思いで現場に立っているか、職務についているのか知ってもらいたかった。

 ちなみに、雑誌は保存用だ。データと紙とそれぞれ買ってデータの必要な場所だけ印刷する。そしてこんなファイルを作っているなど私は柾哉さんにも打ち明けていない秘密だ。今日この場で初披露するのは惜しいけど、出し惜しみをしている場合ではない。

 「柾哉さんがどんな思いで産業医を目指したのか、考えたことありますか。ただの反抗心だとお思いですか?ちゃんと息子さんの姿を見てください。もう誰かにお世話をしてもらわないといけないほど、柾哉さんは小さくもないし弱くもない。思考も感情もある、ただの一人の人間です」

 私はそのファイルを柾哉さんのお父様に持たせて見るように促した。そしてあらかじめ、一番最初に持ってきた、彼がなぜ産業医を目指したかインタビューを受けている記事を目で辿っている。

 「…果穂、あれは?」
 「柾哉さんの取材記事です。私の知る限りバックナンバーも全て取り寄せたのであれに全部詰まってるはずです」

 目元を拭いながら柾哉さんに笑みを向ける。柾哉さんは驚き、目をまん丸にしたもののすぐにくしゃりと表情を歪めた。

 「…本当にきみは。俺を喜ばせる天才だ」
 「私の愛は重いんですよ」
 
 柾哉さんが甘えるように抱きついてくる。由紀子さんと芳佳さんと目があって少し恥ずかしくなった。それでもふたりの表情は優しくて柔らかい。茅野さんだけがとても居心地悪そうにしていた。

 「…すまなかった」

 柾哉さんのお父さんがここでようやく頭を下げた。深々と下げた背中は丸くて小さく見える。柾哉さんのお父様は私のファイルを持ったまま両膝に手をついた。

 「代々続く千秋の家系を柾哉に良い形で引き継ごうと躍起になっていたようだ。それが当然で使命だと思っていた。昔柾哉が“父さんのようになりたい”と言ってくれたことが嬉しくて、それが柾哉の幸せだと錯覚していたんだ。時間が経てば考えなど変わるはずなのに」

 柾哉さんのお父様はどこか寂しげに目を伏せた。きっと彼も心のどこかで分かっていたのかもしれない。だけどそれを認められるほど感情は追いつかなかっただけで。

 「…申し訳ないが、もう少しこれを借りていてもいいだろうか。情けないが、柾哉がこれほど私たち医療職のことを考えてくれていたとは思わなかった。ずっと目を背けて柾哉と話すことから逃げていただけかもしれないが」

 「貸すのはいいですけど、せっかく目の前に本物がいるんですからちゃんと話してはいかがですか?いきなり話しにくいかもしれませんが、由紀子さんも芳佳さんもいますし」

 ふたりをチラッと見ると二人は同じように苦笑しながらそれでも頷いてくれた。柾哉さんを見れば呆れているけどここで否定はできないのだろう。
 
 「茅野さん、申し訳ないが今日は帰っていただけますか。後日私からお詫びに行きます」

 柾哉さんのお父様は茅野さんに頭を下げる。茅野さんは顔を真っ赤にして千秋の家を出て行った。

 

 
 
 

 
 
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