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揺るぎない気持ち
自称婚約者には負けない
しおりを挟む「あなたが、福原さん?」
面倒くさそうに肩にかかった長い髪を手で払いながらその女性は小首をかしげた。隣で美雨ちゃんが「誰この人?」と訝しげに眉を顰めている。
「茅野沙弓です。柾哉の婚約者なの」
「(は?なにこの女喧嘩売ってんの?)」
美雨ちゃんがすでに戦闘モードになっている。
私は小さく溜息をつくと表情を引き締めた。
「……確か同期の方ですよね?柾哉さんからあなたとお見合いはした、とはききました。でもお断りしてますよね?勝手なこと言わないでもらえます?」
柾哉さんと初めて食事をした時に茅野さんのことは聞いていた。
柾哉さんのご実家も茅野さんのご実家も病院を経営されていて、その病院が統合するとかしないとか。でも柾哉さんは産業医を辞めるつもりもなければご実家を継ぐ意思もない。ただ、柾哉さんのお父様やこの人、茅野さんは柾哉さんと茅野さんが結婚して切り盛りしてほしい、と望んでいるらしい。
「フラれたのに“婚約者”とか言ってるの?」
美雨ちゃんがあまりにもバッサリと切り捨てたので思わず笑いそうになった。視線だけで「ちょっと静かにして」と彼女を嗜める。肩をすくめているけれど、まだまだ言いたりなさそうだ。
「フラれてないわよ」
「でも柾哉さんは断ってますよ。ちゃんと説明してくれましたし」
「恋愛と結婚は違うわ。実家のことを考えると柾哉は私と一緒になった方がいいの」
(“柾哉”ってなに?!)
人の彼氏を呼び捨てするなんて!
フーフーと鼻息が荒くなりそうなのを必死で宥めながら笑みを深める。
「柾哉さんの人生は柾哉さんのものです。ご実家のものでもあなたのものでもない。決めるは柾哉さんで、彼は産業医の道を進むと決め、私を選んでくれました」
柾哉さんは忙しい中わざわざ私の実家まで来てくれた。芳佳さんだって私の味方だ。猪突猛進で少し強引なところはあるけれど、柾哉さんが選ぶ女性が気になるぐらいとても弟思いの人だ。
「…あなた何様?」
「柾哉さんの恋人です」
うふ、と小首を傾げて笑えば美雨ちゃんが隣で声を押し殺して笑っていた。
「(果穂かっこいい!惚れる!)」
「(ありがと!惚れてもいいよ!)」
フンフンと押さえ込んでいたギアがゆっくりと入っていく。
「ふ、恋人って」
馬鹿にされたようでカチンときた。
でも絶対絶対、負けないんだから。
「じゃあ聞くけど、あなたは柾哉に何をあげられるの?医療の知識はないし、上流階級の方とのお付き合いもないでしょう?若いうちは今の勢いでいいかもしれないけど、時間が経てばきっと後悔するわよ。だって生まれが全然違うんですもの。釣り合わないわよ」
さすがに腹が立った。
私のことを悪く言うのは構わないけど、家族のことまで馬鹿にされるのは気分が悪い。
「釣り合うとか釣り合わないとかどうでもいいです。現実見てください。柾哉さんが選んだのは私ですから」
ピシャリと言い返すと茅野さんはグッと奥歯を噛み締めた。そして次に口を開く前に美雨ちゃんが横槍を入れる。
「ねえ、どうでもいいんですけど急に声かけてきて時間奪わないでくれますか?これから果穂と食事に行く予定だったんですけど、おばさん」
「お、おば?!」
「美雨ちゃん。多分柾哉さんと同じ年だからおばさんはだめだよ」
「え?でもちょっと老けてない?」
「大人っぽいって言おう?」
「大人なのに?」
美雨ちゃんが火に油を注ぐようなことを言ったせいか、彼女はワナワナと肩を震わせると「フン」と怒って踵を返した。コツコツコツとヒールを鳴らして自動扉をくぐっていく。その背中を眺めながらホッと息を吐き出した。
「怒っちゃった?」
美雨ちゃんがてへぺろ、と戯ける。でもその顔は限りなく黒だ。
「わざとでしょ?」
「うんわざと」
案の定美雨ちゃんがあっさりと白状した。
「だってこれ以上時間費やしてもね?それにしても果穂がカッコよかった」
「売られた喧嘩は買う主義デス」
「だよね?大切なものは自分の手で守らないと」
うんうん、と言いながら私たちは予定通り居酒屋に向かった。
その後は居酒屋で彼女のこと、そして彼の実家の状態を美雨ちゃんに最低限で伝えた。勝手に伝えるのも良くないと思ってあまり詳細は伝えていなかった。だけど、巻き込んでしまったのである程度説明は必要だ。
「もしかするとまた乗り込んでくるかもよ?」
「…だよね」
「あの顔は諦めてなかった」
うんうんと頷く美雨ちゃんに私は遠い目になる。
「日本語が通じないってツラ」
思わずこぼすと美雨ちゃんがケタケタとお腹を抱えて笑っていた。「あの自信どこからくるのかね?」とふたりで呆れ気が付けば日付が変わる間際まで飲みながら「自称婚約者撃退方法」について盛り上がってしまった。
(もう寝てるかな…)
本当はもっと早く帰るつもりだったのに、とほろ酔いの頭で若干後悔しながら電車に乗った。それでも美雨ちゃんとたくさん話せて胸のつっかえはだいぶとれた。
今日もし、私一人ならもっとモヤモヤしていたかもしれない。
美雨ちゃんがいてくれてよかった、と思いながら柾哉さんにメッセージを送る。
そして、それほど待たずとも柾哉さんから返事がきた。「まだ起きてるよ」とのことだ。「話せる?」と聞いたら「いいよ」と返ってきたので「家に着くまで待って」と打ちかけて電車を飛び降りた。
(…っ、会いたい)
もやもやは消えたはずなのに、それでも顔が見たくなった。
今日会ったばかりだ。しかも一瞬だったけどギュッとしてキスもした。
それでもやっぱり声を聞きたい。だけど声を聞けばきっと抱きしめて欲しくなる。
(私の、だもん)
茅野さんは“婚約者”と名乗った。おまけに“柾哉”と呼び捨てだ。
(私の彼氏なのに…!)
百歩譲って名前呼びはいい。でも誰が通るかわからない場所で嘘をつくのはやめてほしかった。人を泥棒猫みたいに言われたことに腹が立つ。
そもそも柾哉さんは彼女の連絡を無視しているのに。
きっと連絡がつかないから私のところに来たんだと思うけど。
段々と怒りが戻ってきて彼の自宅前に着く頃には怒りがぶり返していた。
彼にもらった合鍵でロックを外そうとして、少し冷静になって部屋番号を押す。
『果穂?』
「はい、会いたくて」
ダメだったかな?と画面を眺めていると『どうぞ』とロックが解除される。
エレベーターで早々と10階にあがると、彼がエレベーターの前で待っててくれていた。
「何かあった?こんな時間、」
パジャマにクロックス。髪も洗いざらしでお風呂上がりのリラックスモード。ついこの間まではずっとその姿を見ていたのに。私はここがエレベーターホールということも構わず彼に抱きついた。
「…茅野さんがきたの」
「…へぇ?」
「私の前で婚約者って名乗ったの。すごく腹が立つ」
ここでは声が響くということで柾哉さんが「部屋に行こう」と促してくれた。しかし私は彼を離すもんかと抱きついたまま。柾哉さんが小さく笑いながら私を半ば引きずるように部屋に連れていってくれた。
「柾哉さん」
ガチャリ、玄関の扉にロックがかかる。
キスして、と背伸びをすれば逞しい腕が腰を抱き寄せ噛み付くようにキスされた。もっとサラッとしたキスが返ってくると思っていたのに、唇をこじ開けられて舌をチュウと吸われる。おずおずと目を開ければどこか怒りを含んだ瞳とぶつかった。
「ま、さやさん、あの、私、臭いから」
「居酒屋独特の匂いがするね」
「うん、だからあまり嗅がないで」
自分からくっついたくせに我に返った。いつものように髪に顔を埋められて思わず彼を止める。
お酒もたくさん飲んだし、炭火焼きの鶏肉やらなんやらと食べた。あの空間に4時間近くいたので髪の毛がきっととても臭いはず。
「ぇえっ、柾哉さ…っん」
スカートのファスナーを下されてストッキングがずる剥かれた。
膝の上で止まったそれを脱いでいるとブラウスもめくり上げられてキャミソールもろともひっぺ返される。
「茅野に“婚約者”って言われて不安になった?」
「不安には、なってない。でも」
「…でも?」
「柾哉さんは私のもの、だよね?」
本当は少しだけ怖かった。柾哉さんは茅野さんを選ばないし実家も継がない。だけど世の中には絶対なんてない。もし、万が一なんてことがあったら、と思うと私はきっと彼の夢を応援したいと思うから。
「うん。俺は果穂のものだよ。果穂しか要らない。他の女も実家の病院も興味なんてないよ」
柾哉さんがちゃんと説明してくれてたからそれほど不安になる必要はない。でもわかってても心がついていかない時もある。
「ベッドいく?」
「…うん、でもお風呂がいい」
柾哉さんは小さく笑うと「いいよ」と私を伴ってバスルームに向かった。
柾哉さんはついさっき入ったばかりなのにもう一緒にお風呂に入ってくれた。私の髪を洗い、ボディーソープをモコモコに泡立てて丁寧に体を洗うとバスタブに向き合って浸かる。
彼の脚の上に跨り、硬くなったソレに気をつけながらぎゅっと抱きついて唇を重ねた。絡めあった舌が糸を引いて離れていく。濡れた唇が首筋をすべって肩口で赤い印をつけた。
「…っン」
(…噛まれた)
甘く溶けた眼差しが私を愛おしいという。
言葉はなく、ただ互いを求める息づいかいと唾液を交わす水音だけ。
時々湯船が波打つ音がするだけなのに。空気だけで伝わってくる想いに心が震える。
(…柾哉さん、好きです)
刻まれる口づけから溢れる愛情。宥めるようなキスと「離さないよ」という力強い抱擁。音はないはずなのに、彼の唇が視線が雄弁に語ってくれる。
(好きなんです。誰にも渡したくないの)
好きだから腹が立った。好きだから不安になった。好きだから全部独占したくて、仄暗いこの気持ちをどうすればいいのかわからない。
寝室に移動した私たちはただ夢中で貪りあった。
不安を掻き消すように、安心感を求めるように柾哉さんにねだる。
柾哉さんは私の気持ちに応えるように丁寧に丁寧に愛を施してくれた。
「…柾哉さんっ」
キスをして抱きしめあって繋がって。
嫉妬と不安でぐちゃぐちゃになった私に彼は自身を刻んでいく。
「もっと、して」
「果穂…っ」
繋がったはずなのにそれでもまだ足りないと心が叫ぶ。汗ばんだ広い背中を抱きしめながら彼の腰に絡み付けた脚に力を込めた。すりすりと自分から腰を動かして「もっと」とねだる。
「それ、反則」
「じゃあ、もっと、する」
苦しげに歪んだ表情にまた深く皺が刻まれた。鼻にかかる甘く掠れた声が彼の喉からこぼれ落ちていく。
「茅野には腹立ったけど、果穂がこんなに嫉妬してくれるなら悪くないかも」
そんな柾哉さんの呑気な声に抗議すれば。
「えろい顔で睨まれても全然怖くない。むしろもっと睨んで」
「…どえむ?」
「果穂をもっと乱したいだけなんだけどなぁ」
柾哉さんは繋がったままよいしょ、と身体を起こすと私を脚の上に座らせた。目線の高さがいつもと逆になる。彼の両頬を包んで唇を重ねた。
「す、き」
たった数日会わないだけで寂しさで胸が掻きむしられた夜。会いたくて傍にいたくて、でもまだそこまで図々しくなれない。
本当は毎日ずっと一緒にいたい。
「おはよう」も「おやすみ」も一番に彼に言いたい。
「果穂」と優しく呼ぶ彼の一番でいたい。
肩書きもスキルも何もない。彼に与えられるものはこの気持ちひとつだけ。
「あいしてるよ、果穂」
ふ、と力の抜けた笑みが張り詰めた気持ちを解きほどいてくれた。
深い愛情を湛えた瞳が柔らかく細められる。目尻に皺を寄せて眩しいものを見るかのような視線に泣きたくなった。
「そのままの果穂でいて」
ごちゃごちゃと考えていたことが柾哉さんの一言ですべて消えていく。
「いまのまま、俺の可愛い果穂でいて」
「…っ、うん」
目頭が熱くなる。
胸に込み上げてくる感情がセーブできなくて柾哉さんにしがみついて泣いた。
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