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副社長はドライな秘書を捕まえる
心配性すぎる人
しおりを挟む「さっきの方が良かったんじゃないか」
「……そうですね。お客様はもともと落ち着いた雰囲気をお持ちですが、より落ち着いて見えますね」
「そうですか?私はこちらの方が好きですが」
美琴は試着室の前身鏡に映った自身を見て首を傾げる。
今身につけているのは、秋らしいブラウンのパーティードレス。
こっくりとした深みのある赤味の強い焦げ茶色が上品で手首まであるシースルーの袖が個人的にはとても気に入った。
「美琴、髪解いて、メガネ外してみ」
美琴は言われるがままひとつに結んだ髪を解き、メガネをとる。
ぼやっとした視界のせいで自分の顔すらなんとなくしかわからない。
「わ、何を」
「ちょっとこっち向け」
蓮見の指が美琴の顎を持つ。
そのままクイっと右に左に向かされた。
「却下だ」
「え?どうしてですか」
0.1もない視力でもはっきりとわかるほどの顰めっ面に思わず後ずさった。
そんな試着室での攻防戦を一歩引いて眺めていた店員がくすくすと笑う。
「心配ですね」
「本当に。無自覚なんでたちが悪いですよ」
「あらあら」
週末に控えた友人、幸の結婚式。
幸とは同じゼミだったこともあり数少ない仲の良い友人だった。
就職してほとんど会っていなかったが、時々彼女から連絡はきていた。
そして彼女はこの度結婚することになった。
相手は同じ大学の同級生で同じ学部の男性。
在学中はお互い顔を知っている程度だったが仕事を通じて再会し交際に至ったという。
「ご友人の結婚式は出会いもありますしね」
そして今夜は彼らの結婚式に出席するためのドレスを買いにきた。
持っているドレスで済ませるつもりだったが、蓮見がそれを許してくれなかった。
「そうなんですよ。美琴さっきのほうもう一回着てみてくれ」
「えぇ。でも、この服、あまり露出はないけど」
「だめだ。このカットがだめだ」
蓮見は自分の胸元を指しながらなだらかな線を描いた。
美琴が今着ているドレスはハートカットにデザインされた胸元から上、肩から手首までがシースルーになっていた。胸から下は切り替えがあり、ふくらはぎの半ばまで裾の長いドレスだ。
つまり襟にはアンティーク調の刺繍が施されており、とても上品の一枚。
しかし。
「お客さまはお胸にボリュームがありますから。彼は嫌みたいですよ」
「当然だろう」
蓮見が腕を組んで頷く。
「……蓮見さんが選んだんじゃないですか」
「こんなにエロくなると思ってなかった」
「…っ!着替えます!」
蓮見の一言に顔を赤くした美琴は思い切りカーテンを閉めると先ほど着たドレスに着替えなおした。
その週末。仕事終わりに美琴は蓮見と共に軽井沢に向かっていた。
美琴は友人の結婚式が目的だが、蓮見は美琴の実家に挨拶に行くのが目的である。
美琴は群馬県にある世界遺産にもなっている製糸場がある市の生まれだ。
軽井沢から車で1時間弱。挙式・披露宴は昼過ぎには終わるので、ちょうどお茶の時間には実家に到着するだろうというスケジュールだ。
ただでさえ、実家に帰るのは気が重いのに蓮見を連れて行くのはもっと気が重い。
蓮見が「挨拶をしたい」と言い出した時から胃がキリキリしている。
母親とは剃りが合わないが、父親とは時々連絡をとる仲だ。
恋人を連れていく旨を伝えたがどうなるか不安だ。
「そういえば、井上になんか言われたか?」
「ランチに誘われましたけど、お弁当があると断りました」
「断ったのか。ククク」
「井上さんにバレたんですか?」
「いや?俺からは何も言ってない」
ちょうど今日のことだ。
給湯室で来客用のコーヒーカップを洗っていると井上が給湯室までわざわざやってきて美琴を昼食に誘った。
丁重にお断りしたが、彼女は諦めてなさそうだった。
「まぁ、なんかあったら言えよ」
「……はい」
「よしよし。お、もうすぐ着くぞ」
機嫌良さそうに頷いた蓮見は軽井沢駅を横目にカーナビの音声に耳を澄ませる。
間も無く目的地だと告げる声は、どこか弾んでいるように聞こえた。
「幸、おめでとー!」
「おめでとー!綺麗、幸!」
翌日、晴れやかな九月の空の下で友人の結婚式が行われた。
彼女は終始笑顔で、時折涙も見せてとても幸せそうに佇んでいる。
「みんな、わざわざありがとう!」
「何を言ってるの。こんなことでもないと軽井沢ってこないし」
「ねえ。ちょっとハードル高いよね。別荘地って感じで」
和気藹々と幸を囲む大学時代の友人たち。
そこから一歩引いて美琴は彼らを眺めていた。
「みこちゃんもきてくれてありがとうね!」
「ううん。こちらこそ呼んでくれてありがとう。この度はおめでとうございます」
美琴は蓮見が選んだブルーグレーのシンプルなロングワンピースを着ていた。光沢のある生地のおかげで無地なのに華やかで上品に見える。手首までしっかりと袖があるおかげで空調の効いた会場でも快適だ。
美琴は幸に一言告げて席に戻る。
同じテーブル席に座っていた友人たちは皆他のテーブルで同級生たちと楽しそうに話していた。
「美琴さん」
美琴は出された料理を写真に収めていると、自分を名前で呼ぶ声に驚いて振り返る。
「……え?」
「え?俺のことわからない?」
一瞬誰かわからなかった。
でもすぐに思い出した。
「海崎です。海崎啓太。一応付き合ってたと思うんだけど」
彼は苦笑しながら美琴の隣の椅子をひく。
そこにストンと腰を下ろすと美琴の顔を覗き込んだ。
「あの時はごめんね?」
「……はぁ」
海崎は美琴の初めての彼氏だ。いや、浮気相手にされていたので彼氏と言っていいのか怪しい。
彼は新郎と同じゼミに所属していたらしい。
確かに学部だったな、と今更なことを思い出しながら、美琴は綺麗に飾られた料理にフォークを伸ばした。
「無視?」
「普通に鬱陶しいですね」
バッサリと言い切った美琴に海崎の頬が引き攣る。
「な、なんだよ。ちょっと美人だからって」
「いえ。普通に面倒くさいなと」
「普通にメンドウクサイ…」
海崎もそうだが、元彼が会場にいたと知った蓮見がどうなるか少しだけ怖かった。
ただでさえ「男が寄ってきても無視しろよ。彼氏がいると言えよ」とやたら念押しされた。
こんな自分に寄ってくるわけないと思っていたが、一人だけ変わり者がいたらしい。
「あの、そこ退いてもらえません?座れないと彼女、困ってるので」
美琴は自席に戻ってこようとした友人を見つけて海崎を追い払う。
海崎は振り返って、立ち尽くしている女性を見て慌てて席を立った。
「ごめんね」
「ううん。みこちゃん、ありがとう」
海崎は美琴の毅然とした態度を見て諦めたようだ。
すごすごと戻っていく後ろ姿に小さくため息を吐き出した。
披露宴はつつがなく終了した。
海崎に絡まれるという面倒くさいイベントが発生したが、なんとか追い払って終わった。
と思ったはずだった。
「美琴さん」
披露宴が終わり、会場の出口に向かう途中また海崎に絡まれた。
どうしてこの人はこんなにも自分に執着するのかわからない。
美琴は歩くスピードを早めた。
「ブロック外してください」
美琴は海崎のメッセージアプリからの連絡を拒否していた。
そのことを彼は指し、連絡を取りたいという。
「そもそもよく話かけられますね」
「え?」
「その図々しさに呆れますよ」
美琴は深くため息を吐きながらあの日言えなかった言葉をようやく吐き出した。
「人を馬鹿にしすぎです」
「ば、馬鹿になんて」
「してるでしょ」
駐車場には蓮見が来ている。
この後実家に行くことを考えると気が重いが、この状況から早く抜け出したい。
「ね、ねえ、そんなキャラだった?」
「いったい私の何を見て告白されたのかこちらが聞きたいぐらいですが」
入口の壁にもたれかかっている長身の男と目が合う。
彼は美琴を見つけるとふと表情を緩めて隣にいる男を見て視線を鋭くした。
「えっと、」
「あと、早く逃げたほうがお互いのためです。今すぐ離れてください」
「え?」
「美琴」
ずんずんと大股で近づいてくる蓮見に美琴はそっと視線を逸らす。
「お待たせしました。帰りましょう」
「その男は誰だ」
「ただの人間です」
「おい」
「行きましょう」
美琴は向かってきた蓮見に引き出物を預けると腕をぐいぐいとひいて出口に向かった。
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