明日また、この海で

鈴原りんと

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第1章:二人の死にたがり

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 人生最後の日の終わりを告げるベルが鳴る。
 なんて中二病みたいなことを思ってみれば、なぜがスッと胸の辺りに爽快感が駆けた。

 死のうと決意するのって、こんなに簡単だったのか。
 あまりに単純明快すぎて、拍子抜けしていた。もっと、戸惑ったり躊躇したりするものだと勝手に想像していた。

 でも、人生に魅力なんて一つも感じないし、運よく幽霊になれたらメリット付きで人生の続きを紡げるのだから、よくよく考えたら別に死を恐れる要素などないのかもしれない。ただ、みんな自分が別の存在になるのを恐れているだけだ。
 それだけに過ぎない。

「おーい、たっつー!」

 ひとり物思いに耽っていれば、陽気な声と共にバシッと肩を叩かれる。ちょうど鞄を背負うところだったから、思わず鞄を床に落としてしまった。
 振り向くまでもない。「辰樹たつき」という名前から生み出された安直な渾名である「たっつー」で呼ぶのは、彼しかいない。

「んだよ、鹿島かしま
「へへっ、教室でボーっとしてたから声かけてやった!」
「別にボーっとなんかしてねぇけど」
「あー、ごめん。いつもだったな」
「シメるぞ」
「すみません」

 爽やかな短髪に澄み切った瞳の鹿島良太りょうたは、俺が睨んだだけで怯んで肩を竦める。もちろん友人同士のやり取りなので、本気でシメるとかは思っていない。

 いつもは、放課後になると真っ先に部活へと向かうくせに、なぜ今日に限って俺に声をかけてきたのか。

「たっつー、何か悩んでんだろ」
「はぁ?」
「いや、悩んでるっつーか、考え事?なんか一生懸命考えてるような顔してっからさ」

 急にお道化た表情をかき消したかと思うと、神妙な顔つきで俺を覗き込む。
 鹿島は、周囲を見ていないようで、人の些細な変化に気が付くタイプだ。洞察力があり、気配りができる。それ故に、彼は俺の何かに気が付いているのだろう。
 鹿島に自殺することがバレたら面倒だ。
 意地でも止めてきそうだから、厄介すぎる。友人を殴る趣味はないし、自殺すると明言して彼が何か衝動的にしでかしたらいたたまれない。
 俺は、迷惑をかけずにそっと消えていきたい。

「あ、もしかして今日の授業か⁉」

 しばし唸りながら思考を巡らせていた鹿島は、ぽんっと手を打って閃いたと表情を明るくさせた。
 鹿島が馬鹿で良かった。勘は鋭いくせに、肝心なところでアホだから、俺の表情が普段と違う原因までは分からなかったらしい。

「まぁ、そんなとこ」

 俺は適当に誤魔化しておいた。

「あれさぁ、結構興味深いよなぁ~」
「お前も幽霊とか興味あんの?」
「それなりには。たっつーは?」
「俺は霊媒学だけは面白いと思う」
「おぉ、さすが。気が合うねぇ!」

 鹿島は嬉しそうに歯を見せながら、バシバシと俺の背を叩く。力加減を知らないバスケ馬鹿は、とてもノリで叩くような強さではない力で俺を叩いていた。
「痛ぇ」と鹿島にチョップをかませば、「悪い悪い」と大して反省した素振りも見せぬ笑顔が返ってきた。

「昔は幽霊が見えない人ばっかだったっていうのすげぇよな」
「だな。今は見えて当たり前だもんな」
「なー。昔の幽霊って、人間じゃないみたいだよな。一般人から見えないし、物にもほとんど触れない。終いには悪霊だなんて悪い幽霊になって悪事を働くなんてなぁ」

 行儀悪く机に座る鹿島は、鞄から霊媒学のテキストを取り出した。白い表紙に紺色の明朝体で霊媒学と書かれたその教科書は、どうにも物々しい雰囲気を醸し出している。

「今はそんなことねぇみたいだけど、代わりに……えっと、なんだっけ?」
「突発性霊体症候群か?」
「そう、それ!そんな奇病が流行ったんだよな?」
「そうだな。人間と幽霊の境界線が曖昧になったばっかりに、自分は実は死んでいるんじゃないかって思いに駆られた人が、突然発症する病気だ」
「怖いよなそれ……」

 俺が説明してやれば、鹿島は顔を青くさせて教科書のページをパラパラと捲る。びっしり並んだ黒い文字の合間には、所々に写真や図が貼られている。
 図には、突発性霊体症候群のメカニズムが示されている。

① 自分の存在に対して疑問を覚える。(幽霊ではないかという疑心)
② 進行すると、幽霊としての振る舞いを見せ始める。(例:幽霊だと断言する、宙を浮こうと高い所からジャンプするなど)
③ 自我の喪失。自分の記憶がないところで、誰かに悪戯を仕掛けたり、知らない間に法に触れたりするような行為をしていることがある。
④ 幽霊は自身の死の苦痛を繰り返しているという事実に基づき、死のうとしたりする。(一部例外あり)
※このほか、別のケースとして『幽体離脱』がある。体は植物状態のままで、意識だけが自由に行動できるケース。

 幽体離脱をして意識だけになった人間は、普通の幽霊と変わらずに生活できるが、存在感が薄く、ただそこに居るだけでは誰からも認知されない。徐々に記憶から薄れていくのである。
 定期的に誰かと話したりすることで存在を認知してもらえるだろう。

 進行度による記載を見ると、さすがの俺も肝が冷える。自身の意思に反して死を試みるとか、考えられない。死にたいならばまだしも、生きる意思があるにも関わらずその症状を発症すると、大抵な人間は精神を病んでしまいそうだ。

 それから、幽体離脱のケース。正直、これが一番キツいかもしれない。というのも、俺の主観ではあるが、人というのは忘れられると完全な死を迎えるのだと思う。だから、幽体離脱をして行動している人間は、誰かと関わってもすぐに忘れられるから、何度も死を迎えているようなものだ。もっとも、体は意識がないだけで正常に機能しているのだから、存在自体は忘却されることはないが、意識だけの間に行動したことは誰の記憶にも残らない可能性がある。
 あまりにも、非情な病気だと思う。

「うへぇ……嫌だな、さすがにこれにはかかりたくねぇ」
「お前なら大丈夫だろ」
「なんで?」
「ほら、馬鹿は風邪引かねぇって言うだろ?」
「そういう問題⁉これ、風邪っていうレベルじゃねぇけど⁉」
「だからこそ、鹿島なら大丈夫だ。うん、たぶん」
「たぶんってやめろよ~!」

 教科書を手にしたまま、鹿島が泣き真似をする。男の泣き真似なんて微塵も可愛くない。いつも通り適当に流していれば、鹿島がムッと頬を膨らませて再び教科書に視線を戻す。

「このご時世じゃ、誰が人間で誰が幽霊かも分かんないんだよな?」

 幽霊という存在について事細やかに記載されたページを目で追いながら、鹿島が真面目な声で言った。

「だろうな。人間と幽霊を見分ける方法は今のところよく分かってないからな。霊感とやらの数値が異常に高い特殊な人間だけが、幽霊を見分けられるらしいけど、そんなヤツに会ったことないから分かんねぇな」
「だよなぁ……そもそも、この日本に両手で足りるくらいしかいないんじゃねーの?」
「それくらいだろ、たぶん」

 むしろ片手で足りるくらいかもしれない。霊感が当たり前となった今、その中で異常値を示す人間は突然変異体とも呼べる。そんな人間、鷲掴みできるほどいたらビビるだろう。バラエティーに出てたその特殊な人間が言っていたが、霊感が異常に強い故に苦労することもあったと苦笑していたから、公表していない人もいるだろうし。

「……もしかしたら、このクラスにも幽霊がいたりしてな」

 鹿島が、どこか面白いものを見つけた子供のように口角を上げた。

「かもな。ありえない話ではない」
「いつの間にか幽霊になってた、なんてこともありそうだし、こりゃもう誰が生きてて誰が幽霊かなんて分かんねぇなぁ。オレもたっつーも、明日にゃ幽霊になってたりな!」

 鹿島が冗談めいた笑顔で教科書をパタリと閉じた。
 その発言に、俺は何も返すことができなかった。
 鹿島の言葉は、明日には真実になっているだろう。俺が幽霊となって、彼の前に現れる。鹿島は、俺が幽霊になったと気づかないまま、これからも学校生活を送っていくのだろう。

 ……いや、そもそも俺は幽霊になれたとしても、退屈な学校にこないだろう。ふらふらと街をうろつくか、あるいはもう幽霊にすらならないように消えていくか。
 正直、どれでも良かった。

「さてさて、オレはそろそろ部活に行くかな!」
「おう、頑張れよ」
「あざま!たっつーは部活行かねぇの?弓道部って、夏休みに大会なかったか?」
「あー、俺は今日用事あるから行かない」
「そうなん?まぁ、用事なら仕方ないよな」

 大して中身が入っていないであろうサブバッグを背負い、鹿島がぐいっと伸びをする。
 面倒だと言いながらも、一年の頃から通い続けた弓道部を初めてサボる。顧問には叱られるかもしれないが、それももう関係がない。俺には大した問題じゃなかった。

「それじゃ、また明日なたっつー!」

 ぴょんっと身軽に駆けていく彼が手を振るから、俺も気だるげながらに手を振り返しておいた。

 「また明日」は、言えなかった。
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