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Name4:夢
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それぞれ昼食を買って空いている席に着いた。ボリュームたっぷりなホットドッグとポテトを頼んだ僕とは対照的に、碓氷さんはミニサラダと小さなパンだけだった。
「それだけで足りるの?」
「ちょっとはしゃぎすぎて逆にお腹空いてないんだよね……。美味しそうなものたくさんあったから、本当はいろいろ食べたかったんだけど」
「まぁ確かにはしゃぎすぎるとそれだけでお腹いっぱいみたいなとこはあるよね」
困ったように眉をハの字にして、碓氷さんは頬を掻いた。確かにあれだけはしゃいでいれば、空腹を通り越すのも頷ける。様々なアトラクションを巡る碓氷さんは本当に楽しそうだったから。
「……ところで、初めての遊園地の感想は?」
買ってきた葡萄味の炭酸を喉に流し、彼女に問う。すると、顔をあげて碓氷さんは目を輝かせた。
「思っていたよりもずっと楽しい所だったよ。こんなに騒いだの初めてかも……!」
「だろうね。見違えるくらいはしゃいでたよ」
「……なんだか恥ずかしいな」
「いいんじゃない?心の底から楽しんでいるのが伝わったし」
様々なアトラクションを巡るうちに段々と積極的に行動し始めた碓氷さんは、普段よりだいぶ幼く見えたけど、少なくとも初対面のあの日よりは随分と明るそうな人に見えた。どこか感じていた余所余所しさも、遠慮がちな部分も、今やほとんど消え失せている。
「名無しくんは楽しかった?」
「うん、僕も遊園地とか来るの久々だったしね」
「え、名無しくんって遊園地来たことあるの!?」
「……それはどういう反応なの?」
千切ったパンの欠片を落としながら、碓氷さんは目を丸くした。どういう意図でそう言っているのか分からず眉を顰めれば、碓氷さんは笑いながら謝った。
「なんだろう、あんまりこういうとこ来るイメージなかった」
「あー、それはまぁ自分でも分かる。一年生の時に、友達に無理やり連れてこられたんだよ」
「へぇ、その時もここに来たの?」
「そうだよ。面倒だから行かないって言ったのに、まぁいいからって連れまわされたなぁ……」
強引に腕を引いていくどこぞの黒髪の男と呆れたようにこちらを見つめる真面目メガネの姿が脳裏に浮かぶ。男三人で遊園地って何が楽しくて行かなきゃならないんだと吐き捨てたのをまだ昨日のことのように覚えていた。
それから、碓氷さんと今日乗ったアトラクションの話をした。のんびりと昼食をとりながら、何気ない普通の会話に花を咲かせる。
その時に、ふとある家族の会話が耳に入り込んできた。何気ない会話だったが、妙に耳についた。きっと会話の主が、仲睦まじそうな家族だったからだろう。自分にないものは、自然と求めようとしてしまうからだ。
「まこちゃんは将来何になりたいの?」
「えっとねぇ、私はお姫様!」
遊園地のキャラクターをモチーフとした可愛らしいドレスを着た少女が答える。朗らかな声に、ちまちまとサラダを食べていた碓氷さんも家族の方を向いた。
「拓斗くんは?」
「僕はヒーロー!困っている人をみーんな助けてあげるんだ!」
「ふふ、二人とも素敵な夢ね」
「二人ともこれからもいい子でいるんだぞ~?」
夫婦が愛おしげに笑うと、二人の子供は手を挙げて活気のある返事をした。
「……将来の夢、か」
碓氷さんが手を止めて、感傷的な声で呟いた。
「碓氷さんは何になりたいの?」
「……何を言っても笑わない?」
初めて会ったあの日のように、彼女は不安げな表情で唇を震わせた。できるだけ真剣な表情で頷けば、碓氷さんは寂しげに微笑を湛えた。
「学校の先生だよ」
「先生って、このご時世にか。……どうして?」
教師と言えば、近頃人気のない職業だ。いじめ問題や体罰、性犯罪など、最近は教師に関して悪いニュースばかり耳にする。生徒との関係の悪化で精神を病み、職を辞める人も少なくないそうだ。メンタルだってそんなに強くなさそうな彼女が、どうしてそんな職業に就きたいのか、純粋に疑問に思った。
「先生っていうのが、誰かに何かを与えられる仕事だからかな」
碓氷さんは、夢を見ているような顔つきで語りだした。
「学校の先生はね、勉強も運動も生徒に教えることができて、これから先に必要な知識も与えることができるの。でもね、それだけじゃない」
彼女は迷いのない真っすぐな目を僕に向けた。吸い込まれそうなほど綺麗な瞳から、目を逸らすことができなかった。
「私は、学校の先生っていうのは『愛』を与える仕事だと思うの」
ひくり、と息が詰まった。おそらく、肩を揺らしたことが彼女にもバレただろう。その目が一瞬だけ不思議そうな色を滲ませたからだ。
「いつも生徒に寄り添って味方でいる。困っていれば助けてあげる。生徒が何かを望むならば、できる限りそれを与える。これは単なる私のエゴかもしれないし、他人から見たら自分勝手かもしれない。でも、私は教師になって、少しでも誰かの力になりたい」
夢を語る碓氷さんは、珍しく饒舌だった。僕は彼女の心の底にあった夢を、ただ黙って聞いていた。
「私は、この仕事を愛を与えられる最高の仕事だと捉えているから。誰が何と言おうと、私は教師になりたい。……これが、私が唯一本気で夢見た仕事だよ」
最後に碓氷さんは、照れくさそうにはにかんだ。
これが大衆の前で行われた演説だったならば、多くの人間が心から拍手をしただろう。それくらい、心が揺さぶられるような真剣な語りだった。
愛なんて全く理解できない僕にでも分かる。彼女は、人に愛を与えることのできる特別な人間なんだと。
……羨ましかった。誰かを愛せる、彼女のような人が。
誰かを愛さなければ、誰かに愛されることはない。だから、愛を持たず理解もできない僕には、一生誰かを愛すことなんてできないし、誰かから愛されるような人にもなれないのだ。
「……へぇ、いいんじゃないかな。碓氷さんならできそうじゃん」
「あはは……、私にもっと時間があったらね」
碓氷さんは自嘲気味に笑った。
いくら夢を諦めていなかったとしても、夢を叶えるだけの素質を持っていたとしても、彼女には時間がない。
余命半年。
たったその一言が、碓氷さんの夢を打ち砕いている。
「名無しくんは何かなりたい職業とかないの?」
「さぁ?考えたことないからね」
彼女の問いに、ポテトをつまみながら素っ気なく答える。
「このまま何となく生きて、そのままなんとなく生涯を終えられたら満足かな。だって僕は、誰とも深く関わることなく生きている人間だから、誰かのために何かをするなんて到底無理だからね」
有無を言わせないような笑顔を貼り付けた。
夢なんて、彼女みたいに希望に満ちた人間が抱くものだ。何にも特別興味のない僕には、夢を抱くことすら雲を掴むようなものだろう。
僕を見つめる碓氷さんの顔は、どこか悲しそうに見えた。その表情に胸が微かに痛んだような気がした。
僕は、少しだけそう答えたことを後悔した。
「それだけで足りるの?」
「ちょっとはしゃぎすぎて逆にお腹空いてないんだよね……。美味しそうなものたくさんあったから、本当はいろいろ食べたかったんだけど」
「まぁ確かにはしゃぎすぎるとそれだけでお腹いっぱいみたいなとこはあるよね」
困ったように眉をハの字にして、碓氷さんは頬を掻いた。確かにあれだけはしゃいでいれば、空腹を通り越すのも頷ける。様々なアトラクションを巡る碓氷さんは本当に楽しそうだったから。
「……ところで、初めての遊園地の感想は?」
買ってきた葡萄味の炭酸を喉に流し、彼女に問う。すると、顔をあげて碓氷さんは目を輝かせた。
「思っていたよりもずっと楽しい所だったよ。こんなに騒いだの初めてかも……!」
「だろうね。見違えるくらいはしゃいでたよ」
「……なんだか恥ずかしいな」
「いいんじゃない?心の底から楽しんでいるのが伝わったし」
様々なアトラクションを巡るうちに段々と積極的に行動し始めた碓氷さんは、普段よりだいぶ幼く見えたけど、少なくとも初対面のあの日よりは随分と明るそうな人に見えた。どこか感じていた余所余所しさも、遠慮がちな部分も、今やほとんど消え失せている。
「名無しくんは楽しかった?」
「うん、僕も遊園地とか来るの久々だったしね」
「え、名無しくんって遊園地来たことあるの!?」
「……それはどういう反応なの?」
千切ったパンの欠片を落としながら、碓氷さんは目を丸くした。どういう意図でそう言っているのか分からず眉を顰めれば、碓氷さんは笑いながら謝った。
「なんだろう、あんまりこういうとこ来るイメージなかった」
「あー、それはまぁ自分でも分かる。一年生の時に、友達に無理やり連れてこられたんだよ」
「へぇ、その時もここに来たの?」
「そうだよ。面倒だから行かないって言ったのに、まぁいいからって連れまわされたなぁ……」
強引に腕を引いていくどこぞの黒髪の男と呆れたようにこちらを見つめる真面目メガネの姿が脳裏に浮かぶ。男三人で遊園地って何が楽しくて行かなきゃならないんだと吐き捨てたのをまだ昨日のことのように覚えていた。
それから、碓氷さんと今日乗ったアトラクションの話をした。のんびりと昼食をとりながら、何気ない普通の会話に花を咲かせる。
その時に、ふとある家族の会話が耳に入り込んできた。何気ない会話だったが、妙に耳についた。きっと会話の主が、仲睦まじそうな家族だったからだろう。自分にないものは、自然と求めようとしてしまうからだ。
「まこちゃんは将来何になりたいの?」
「えっとねぇ、私はお姫様!」
遊園地のキャラクターをモチーフとした可愛らしいドレスを着た少女が答える。朗らかな声に、ちまちまとサラダを食べていた碓氷さんも家族の方を向いた。
「拓斗くんは?」
「僕はヒーロー!困っている人をみーんな助けてあげるんだ!」
「ふふ、二人とも素敵な夢ね」
「二人ともこれからもいい子でいるんだぞ~?」
夫婦が愛おしげに笑うと、二人の子供は手を挙げて活気のある返事をした。
「……将来の夢、か」
碓氷さんが手を止めて、感傷的な声で呟いた。
「碓氷さんは何になりたいの?」
「……何を言っても笑わない?」
初めて会ったあの日のように、彼女は不安げな表情で唇を震わせた。できるだけ真剣な表情で頷けば、碓氷さんは寂しげに微笑を湛えた。
「学校の先生だよ」
「先生って、このご時世にか。……どうして?」
教師と言えば、近頃人気のない職業だ。いじめ問題や体罰、性犯罪など、最近は教師に関して悪いニュースばかり耳にする。生徒との関係の悪化で精神を病み、職を辞める人も少なくないそうだ。メンタルだってそんなに強くなさそうな彼女が、どうしてそんな職業に就きたいのか、純粋に疑問に思った。
「先生っていうのが、誰かに何かを与えられる仕事だからかな」
碓氷さんは、夢を見ているような顔つきで語りだした。
「学校の先生はね、勉強も運動も生徒に教えることができて、これから先に必要な知識も与えることができるの。でもね、それだけじゃない」
彼女は迷いのない真っすぐな目を僕に向けた。吸い込まれそうなほど綺麗な瞳から、目を逸らすことができなかった。
「私は、学校の先生っていうのは『愛』を与える仕事だと思うの」
ひくり、と息が詰まった。おそらく、肩を揺らしたことが彼女にもバレただろう。その目が一瞬だけ不思議そうな色を滲ませたからだ。
「いつも生徒に寄り添って味方でいる。困っていれば助けてあげる。生徒が何かを望むならば、できる限りそれを与える。これは単なる私のエゴかもしれないし、他人から見たら自分勝手かもしれない。でも、私は教師になって、少しでも誰かの力になりたい」
夢を語る碓氷さんは、珍しく饒舌だった。僕は彼女の心の底にあった夢を、ただ黙って聞いていた。
「私は、この仕事を愛を与えられる最高の仕事だと捉えているから。誰が何と言おうと、私は教師になりたい。……これが、私が唯一本気で夢見た仕事だよ」
最後に碓氷さんは、照れくさそうにはにかんだ。
これが大衆の前で行われた演説だったならば、多くの人間が心から拍手をしただろう。それくらい、心が揺さぶられるような真剣な語りだった。
愛なんて全く理解できない僕にでも分かる。彼女は、人に愛を与えることのできる特別な人間なんだと。
……羨ましかった。誰かを愛せる、彼女のような人が。
誰かを愛さなければ、誰かに愛されることはない。だから、愛を持たず理解もできない僕には、一生誰かを愛すことなんてできないし、誰かから愛されるような人にもなれないのだ。
「……へぇ、いいんじゃないかな。碓氷さんならできそうじゃん」
「あはは……、私にもっと時間があったらね」
碓氷さんは自嘲気味に笑った。
いくら夢を諦めていなかったとしても、夢を叶えるだけの素質を持っていたとしても、彼女には時間がない。
余命半年。
たったその一言が、碓氷さんの夢を打ち砕いている。
「名無しくんは何かなりたい職業とかないの?」
「さぁ?考えたことないからね」
彼女の問いに、ポテトをつまみながら素っ気なく答える。
「このまま何となく生きて、そのままなんとなく生涯を終えられたら満足かな。だって僕は、誰とも深く関わることなく生きている人間だから、誰かのために何かをするなんて到底無理だからね」
有無を言わせないような笑顔を貼り付けた。
夢なんて、彼女みたいに希望に満ちた人間が抱くものだ。何にも特別興味のない僕には、夢を抱くことすら雲を掴むようなものだろう。
僕を見つめる碓氷さんの顔は、どこか悲しそうに見えた。その表情に胸が微かに痛んだような気がした。
僕は、少しだけそう答えたことを後悔した。
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