僕に名前をください

鈴原りんと

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「どこから見に行きたい?」
 
 ワクワクした様子の碓氷さんに訊ねる。

「えっと……、今、秋の花の特集してるみたいだったから、そっちから見に行きたいなぁ」
「分かった。行ってみようか」

 碓氷さんの言った通り、秋の花のコーナーへ行ってみることにする。入口から向かって左のエリアを進んでいくと、色とりどりの花が咲き乱れている一角があった。カラフルな世界が、視界いっぱいに広がる。それはまるで、虹のように輝いていた。

「すごい!これ、全部偽物じゃなくて本物なんだよね!?」

 興奮した様子の碓氷さんに、思わず僕は吹き出した。さすがにその言葉は反則だと思う。いきなり本物かどうかを真剣に疑ってかかるなんて面白すぎる。

「そうだよ。ここの植物園は造花を飾ってあるコーナーもあった気がするけど、企画展の所は全部本物だよ」
「だ、だよね!ごめんね、変なところでテンションあがっちゃって……」

 彼女は照れくさそうに目を逸らして頬を掻いた。
 碓氷さんは赤くなった顔を誤魔化すように、足早に花壇の方へと歩いていった。そんな彼女を、僕は微笑しながら追いかける。
 彼女が最初に見に行った花は、紫色の綺麗な花だった。花壇で揺れるその花は、微かに甘い香りを振りまいているような気がした。

「桔梗の花かぁ……初めて見たよ」
「でも知ってはいるんだね」
「うん、本では見たことがあるから」

 花を見つめたまま、碓氷さんは得意げな声音でそう返した。

「桔梗は確か五月頃から秋頃まで咲いているんだよね。人や本にもよって変わるけど、私が読んだ本に載ってた花言葉は、永遠の愛とか気品とか……それに、花の色は紫とかピンクとかたくさんあるんだよ」
「へぇ……随分詳しいね」
「全部本から得た知識だけどね。暇な時は本ばかり読んでたから」

 したり顔をする碓氷さんは、軽い足取りで次の花を見に行く。

「あ、こっちはパンジーだ!」
「……ちなみにパンジーの花言葉とかも分かったりするの?」

 彼女の話を聞いていて何となく気になったから訊ねてみた。そうすれば、待ってましたと言わんばかりに碓氷さんは目を煌めかせる。

「うん。パンジーは色によって花言葉が違うとされているんだけど、基本的には“もの思い”とか“私を想って”とかだったかなぁ」

 人差し指を口元に当てながら彼女は答えた。

 ……その花はまるで僕みたいだと思った。『私を想って』だなんて我儘だなぁと率直に思う。僕も周囲から見たら、こうも哀れな人間に見えるのだろうか。そう考えると、何でも屋という形でしか自身の望みをアピールできない僕がひどく無様で腹が立った。

 碓氷さんは、そんな僕の様子には気づかず、楽しそうな様子で花を見て回っている。時折自慢げに花や植物の話をする碓氷さんは、無邪気な幼子みたいだった。
 多くの観光客で賑わう中、碓氷さんだけが一層賑やかで純粋に植物園を楽しんでいるように見えた。

 僕らと同じように植物の観賞をしている人間は、スマホを構えて写真を撮ったりしている。カップルで来ている人達なんかは、自分たちの写真を撮るばかりで花には大して見向きもしない。そんな中、電子機器を構えずに楽しそうに花を見ている彼女はいい意味でこの場で浮いていた。

「ねぇ、写真撮ったりしないの?」
「え、写真?」

 訊ねてみれば、碓氷さんは目を丸くした。

「うん。携帯くらい持っているでしょ?」
「持ってるけど……写真かぁ、考えたことなかった」

 ショルダーバッグからスマホを取り出した碓氷さんは、それを見つめながら目をぱちくりさせる。

「普段、写真撮ったりしないわけ?」
「全然撮らないかなぁ。撮り方すらちょっと曖昧かも……」

 僕は思わずため息を吐いた。まさか写真すらまともに撮ったことがないとは思わなかった。これにはさすがに同情した。

「じゃあさ、写真撮ろうか」
「いいの!?」
「当たり前でしょ。僕らこれでも恋人なんだから」

 少しだけ眉を吊り上げて言えば、碓氷さんは心底嬉しそうに頬を綻ばせた。ウキウキとした様子で写真スポットを探している。

「そうだなぁ……、今シーズン目玉のコスモス畑で撮るのはどうかな」と僕が提案する。
「いいと思う!」
「決まりね。行こう」

 手を引けば、碓氷さんは笑顔でその手を握り返した。

 秋の花のコーナーを抜けて屋外へと出れば、視界いっぱいのコスモスが広がっていた。薄桃色や牡丹色、濃紅色があちこちで咲き乱れている。微かにではあるが、花の甘い匂いが鼻孔をくすぐった。

「花畑って生で初めて見た」
「君は何でも初めてなんじゃない?」
「た、確かにそれもそうだね」

 思わずツッコめば、碓氷さんは眉をハの字にして苦笑した。

「ほら、もっとこっち寄ってよ」

 僕がたくさんのコスモスを背に手招くと、碓氷さんは驚いた声をあげて慌てた表情をした。

「なに、僕と近づくのは嫌?」
「そうじゃないよ!なんというか……恥ずかしいかな」
「……さすがに一人で自撮りするのは御免だからね」
「わ、分かってるよ……」

 碓氷さんはしばし悩んだ顔をする。僕が急かせば、彼女は恐る恐る近づいてくる。
 そんなに恥ずかしいのだろうか。どちらかというと、まだ僕を怖がっているような気もするのだけど。

「髪の毛とか変じゃないかな……顔は――元々だからどうしようもないけど……」
「碓氷さんはもう少し自分に自信を持ちなよ。ちゃんと可愛いんだからさ」

 相変わらず悲観的な彼女の頭を撫でる。
 その辺の子に比べたら顔はかなり整っている方だし、何より性格がすごくいい方だと思う。もちろん、贔屓目無しにだ。自信のなさが勿体ない。

「碓氷さんの携帯で撮ろうか?」
「うん、お願いするね」

 そう言うと、彼女はおずおずと携帯を差し出してきた。カメラを起動し、内カメラにする。画面に映し出された碓氷さんは、目新しいものでも見たかのように目を丸くした。

「撮るよ?」
「……うん!」
「はい、チーズ」

 パシャリ。
 碓氷さんの携帯に、僕らの初めての思い出が刻まれた。写真に写った僕は無気力にピースしながら安定の営業スマイルを浮かべている。碓氷さんは少しだけ表情が固いけれど、柔らかい微笑を湛えていた。

「どう?初めて誰かと写真を撮った感想は」
「……すごく嬉しい」

 携帯を手渡しながら尋ねれば、碓氷さんは花が咲くようにふわりと笑った。まるで宝物でも抱きしめるかのように、携帯をそっと手で包み込んでいる。

「ねぇ、これ待ち受けにしてもいい?」
「え、待ち受け?」
「ダメかな……?」

 思わず聞き返せば、彼女は捨てられた子犬のような表情をしてくる。僕が断りそうな雰囲気を醸し出していたのか、その顔は少し寂しそうだ。そういう表情をされると、まるで僕が悪いことでもしているかのような気分だ。断りにくくなるじゃないか。

「……いいよ。ただし、あんま他の人に見せないでね」
「もしかして、恥ずかしい?名無しくんでもそう感じることあるんだね」
「君は僕を何だと思ってるのさ」

 少しだけからかうように言った彼女の額を、指先でそっと小突いてやった。
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