2 / 3
小学校、友人①
しおりを挟む
私の友人関係の話をしましょう。
進級した頃、急に全てが変わったような、世界が一周したような感覚に襲われました。
私の記憶で最も煌めいていたのは、おそらく、三年生の頃でしょう。この頃、私は担任の教師と馬が合い、よく話をしていました。クラスメイトたちは私をよく構い、何かと話題の中心に置いてもらっていた記憶があります。
それが翌年、クラス替えが行われ、私はそれら全てを失いました。といっても、大して、そこにいる人間は変わらないではないかと思われるかもしれませんが、ほんの少しの入れ替えが行われただけで、空気はがらりと変わってしまうものだと思います。
私はなんだか、クラスメイトに話しかけるのに、妙な恥じらいを覚えるようになり、過剰な自意識によって被害妄想に陥り、この頃、誰とも碌に話せない時期が続いていました。いえ、この頃とは言えません。この現象は、この先、ずっと続いていくものなのです。
私はこの頃、一人の女子、Hと仲良くしていました。なぜ話すようになったのかは、全く覚えていませんが、部活も同じで、何かと話していたのを覚えています。
私は自宅でよく遊んでいたフリーゲームを、部活の空き時間にやっていました。それは複数の効果を持つ粉を混ぜて、その結果を見るだけのものでしたが、強くのめり込み、Hにも紹介して、一緒に遊ぶということをしていました。
しばらくそういった日が続いていたのですが、ある時、私の古い知り合いの、五人ほどの女子グループに誘われ、私はそちらと、Hの間で揺れました。
この頃、私はHに違和感を覚えるようになっていました。この年頃の女子であればよくあることかもしれませんが、私が他のクラスメイトと話している時に、なにかと引き離そうとしてくるのです。知らないうちに、その不満が募っていたのか、私はあまりHに好意的ではなくなりました。
私は誘われるがまま、グループの六人目になりました。そうすると、Hは一人になってしまうのですが、私はそれを何とも思っていませんでした。私はより多くの友人に囲まれることに浮かれ、Hを一人にすることに、なんの罪悪感も抱きませんでした。
しばらくすると、グループの中の歪みが見え始めました。グループの中心人物であるAとBは、気性がよく似ていたのですが、そのせいか衝突が多く、かといって不仲ではなく、その振り幅の大きさに、私は度々振り回されていました。
とはいっても、私はそれを楽しんでいたように思います。
どのような形であれ、自身が中心にいられる、自身があらゆる動きの中に組み込まれていることが嬉しく、自分では善人のように振る舞いながらも、争いが起きても全く止めようとしなかったり、今思えば、周囲を自分の気持ち良さのためだけに利用していたのでしょう。
AとBは度々衝突を起こし、グループの他のメンバーをどちらかに引き込んでいました。私は先にアクションを起こした方に、なんとなくついていました。
AがBの悪口を言っているのを聞き、BがAの悪口を言っているのを聞き、私は、そのどちらにも同意しました。私自身、互いに対する不満がなかったわけではないので、それを、良い機会とばかりに発散していたのだと思います。この時、私は妙な高揚感を覚え、Aを慰め、Bを慰め、またそういった自分に陶酔していました。
逆に、自分が中心ではないと、あてつけのように拗ねてしまうところもありました。AとBは磁石のように反発することもあれば、強く結び付いていることもあったのです。
休日、AとBと私で近所の小さなショッピングモールのような場所に行きました。AとBは本屋や、小さなアクセサリーを売っている店で何かと盛り上がり、私は輪に入ることができず、次第に口数も減っていきました。
その日、私は何かの拍子に頭の中の紐が切れたように静かになり、途中で帰宅することをAとBに言い、そのまま、本当に帰宅しました。一人でいるのと変わらないのであれば、もう一緒にいる必要はないと思ったからです。
翌日、私はAとBの謝罪を受けましたが、私が一人にされているようなことが、この後もなかったわけではありません。その度に私は拗ね、帰宅するということを繰り返していました。
思えば、私は謝罪を暗に要求していたように感じます。謝罪によって私は肯定され、存在を認められるのです。謝罪がなければ、AとBが私を放り出していたことは正しいことになるわけですから。
さて、AとBの衝突の話に戻りましょう。
グループでは、度々、話し合いの時間が設けられました。大体の場合、二十分ほどの大きな休み時間であったり、放課後であったり、ある程度、時間を確保できる時に行われました。
ここでは、グループが互いに不満を言い合い、それを解決し、グループ内で生まれそうになっている不仲を解消する目的がありました。
私はグループ内のSという子に好意的だったのですが、それを快く思ってないのがNでした。私がSを取っている、と言われたのです。しかし、私はそれに反論し、私がSに話しかけた時に、すぐに身を引くNが弱いのだと責め立てました。
結局、話し合いが実を結んだことは数えるほどしかありません。大体の場合、その時その時の不満は解消されますが、また新たな不満が出てきますので、その度に話し合いが行われました。一旦、解消されているのであれば、意味はあったのでしょうか?私はそうは思えないのですが。
散々、話し合いのことを言いましたが、もはやそれでは解決できないこともありました。
AとBはまた揉め事を起こし、またもグループ内のメンバーの取り合いが行われました。
Aの家は学校に近く、通りがかる私がAを迎えに行くというルーティンがあったのですが、Bはそれを否定し、私にAを回収せずに登校するように言いつけました。私は考えた末、Bに同意しました。
その日、三階の教室の窓から、寂しそうに家から出てくるAを見たのを覚えています。
結局、この事が、どう解決に向かったのかは覚えていません。とにかく、グループは衝突と解消を繰り返し、非常に不安定ながらも形を保っていました。
ある時、グループ内で、Hに対するいじめが行われました。私がグループに入った後もHは話しかけてきたのですが、グループメンバーとHはどういうわけか折り合いが悪く、それが気に入らないようでした。
ですので、グループ内では、Hの悪口や、批判や、放課後に机を傷めつけるなど、直接的ではないにしろ、今思えばいじめと言えるようなことが行われていました。
私はいじめという形であっても、全員で一つのことをしているのが妙に楽しく、誰よりも調子に乗っていたように思います。この時は毎日、気分が高揚していました。そのあまり、メンバーに過激な発言を咎められることすらあったほどです。
いじめは進級するとなくなりましたが、それでも、この出来事が許されないことであることは理解しています。私は、このことを生涯忘れることはないでしょう。
進級した頃、急に全てが変わったような、世界が一周したような感覚に襲われました。
私の記憶で最も煌めいていたのは、おそらく、三年生の頃でしょう。この頃、私は担任の教師と馬が合い、よく話をしていました。クラスメイトたちは私をよく構い、何かと話題の中心に置いてもらっていた記憶があります。
それが翌年、クラス替えが行われ、私はそれら全てを失いました。といっても、大して、そこにいる人間は変わらないではないかと思われるかもしれませんが、ほんの少しの入れ替えが行われただけで、空気はがらりと変わってしまうものだと思います。
私はなんだか、クラスメイトに話しかけるのに、妙な恥じらいを覚えるようになり、過剰な自意識によって被害妄想に陥り、この頃、誰とも碌に話せない時期が続いていました。いえ、この頃とは言えません。この現象は、この先、ずっと続いていくものなのです。
私はこの頃、一人の女子、Hと仲良くしていました。なぜ話すようになったのかは、全く覚えていませんが、部活も同じで、何かと話していたのを覚えています。
私は自宅でよく遊んでいたフリーゲームを、部活の空き時間にやっていました。それは複数の効果を持つ粉を混ぜて、その結果を見るだけのものでしたが、強くのめり込み、Hにも紹介して、一緒に遊ぶということをしていました。
しばらくそういった日が続いていたのですが、ある時、私の古い知り合いの、五人ほどの女子グループに誘われ、私はそちらと、Hの間で揺れました。
この頃、私はHに違和感を覚えるようになっていました。この年頃の女子であればよくあることかもしれませんが、私が他のクラスメイトと話している時に、なにかと引き離そうとしてくるのです。知らないうちに、その不満が募っていたのか、私はあまりHに好意的ではなくなりました。
私は誘われるがまま、グループの六人目になりました。そうすると、Hは一人になってしまうのですが、私はそれを何とも思っていませんでした。私はより多くの友人に囲まれることに浮かれ、Hを一人にすることに、なんの罪悪感も抱きませんでした。
しばらくすると、グループの中の歪みが見え始めました。グループの中心人物であるAとBは、気性がよく似ていたのですが、そのせいか衝突が多く、かといって不仲ではなく、その振り幅の大きさに、私は度々振り回されていました。
とはいっても、私はそれを楽しんでいたように思います。
どのような形であれ、自身が中心にいられる、自身があらゆる動きの中に組み込まれていることが嬉しく、自分では善人のように振る舞いながらも、争いが起きても全く止めようとしなかったり、今思えば、周囲を自分の気持ち良さのためだけに利用していたのでしょう。
AとBは度々衝突を起こし、グループの他のメンバーをどちらかに引き込んでいました。私は先にアクションを起こした方に、なんとなくついていました。
AがBの悪口を言っているのを聞き、BがAの悪口を言っているのを聞き、私は、そのどちらにも同意しました。私自身、互いに対する不満がなかったわけではないので、それを、良い機会とばかりに発散していたのだと思います。この時、私は妙な高揚感を覚え、Aを慰め、Bを慰め、またそういった自分に陶酔していました。
逆に、自分が中心ではないと、あてつけのように拗ねてしまうところもありました。AとBは磁石のように反発することもあれば、強く結び付いていることもあったのです。
休日、AとBと私で近所の小さなショッピングモールのような場所に行きました。AとBは本屋や、小さなアクセサリーを売っている店で何かと盛り上がり、私は輪に入ることができず、次第に口数も減っていきました。
その日、私は何かの拍子に頭の中の紐が切れたように静かになり、途中で帰宅することをAとBに言い、そのまま、本当に帰宅しました。一人でいるのと変わらないのであれば、もう一緒にいる必要はないと思ったからです。
翌日、私はAとBの謝罪を受けましたが、私が一人にされているようなことが、この後もなかったわけではありません。その度に私は拗ね、帰宅するということを繰り返していました。
思えば、私は謝罪を暗に要求していたように感じます。謝罪によって私は肯定され、存在を認められるのです。謝罪がなければ、AとBが私を放り出していたことは正しいことになるわけですから。
さて、AとBの衝突の話に戻りましょう。
グループでは、度々、話し合いの時間が設けられました。大体の場合、二十分ほどの大きな休み時間であったり、放課後であったり、ある程度、時間を確保できる時に行われました。
ここでは、グループが互いに不満を言い合い、それを解決し、グループ内で生まれそうになっている不仲を解消する目的がありました。
私はグループ内のSという子に好意的だったのですが、それを快く思ってないのがNでした。私がSを取っている、と言われたのです。しかし、私はそれに反論し、私がSに話しかけた時に、すぐに身を引くNが弱いのだと責め立てました。
結局、話し合いが実を結んだことは数えるほどしかありません。大体の場合、その時その時の不満は解消されますが、また新たな不満が出てきますので、その度に話し合いが行われました。一旦、解消されているのであれば、意味はあったのでしょうか?私はそうは思えないのですが。
散々、話し合いのことを言いましたが、もはやそれでは解決できないこともありました。
AとBはまた揉め事を起こし、またもグループ内のメンバーの取り合いが行われました。
Aの家は学校に近く、通りがかる私がAを迎えに行くというルーティンがあったのですが、Bはそれを否定し、私にAを回収せずに登校するように言いつけました。私は考えた末、Bに同意しました。
その日、三階の教室の窓から、寂しそうに家から出てくるAを見たのを覚えています。
結局、この事が、どう解決に向かったのかは覚えていません。とにかく、グループは衝突と解消を繰り返し、非常に不安定ながらも形を保っていました。
ある時、グループ内で、Hに対するいじめが行われました。私がグループに入った後もHは話しかけてきたのですが、グループメンバーとHはどういうわけか折り合いが悪く、それが気に入らないようでした。
ですので、グループ内では、Hの悪口や、批判や、放課後に机を傷めつけるなど、直接的ではないにしろ、今思えばいじめと言えるようなことが行われていました。
私はいじめという形であっても、全員で一つのことをしているのが妙に楽しく、誰よりも調子に乗っていたように思います。この時は毎日、気分が高揚していました。そのあまり、メンバーに過激な発言を咎められることすらあったほどです。
いじめは進級するとなくなりましたが、それでも、この出来事が許されないことであることは理解しています。私は、このことを生涯忘れることはないでしょう。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。

王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる