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5章 夢現
かおり
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「…っ、佐良さ…?」
困惑の色を浮かべた瞳がこちらを見ていた。
柔らかい唇が震える。
当たり前だ。
こんなこと、懲戒処分になったっておかしくはない。
それなのに。
(もっと、欲しい…)
「なに、して…」
「少し…黙って。嫌なら、殴れ。」
口づけに抵抗して、胸を押し返す手の動きがピタリと止まる。
どうするべきか、思案するように視線が彷徨う。
(そういう態度も、悪い癖だ…。)
「だから、つけ込まれる。」
「ん、さが…っ」
その後、抵抗はなかった。
何故抵抗しないのかは、よく分からない。
元々、流されやすいタイプなのか。それとも、ただ、恐怖しているのか。
とにかく、この何とも言えない香りに抗うことができず、また、一度堰きを切った感情は止められず。
(あまい…)
そんな訳はないのに。
そう錯覚するほどに、それは倒錯的で芳しい。
いつのまにか胸を押し返すはずの手のひらは、縋るようにワイシャツを握りしめていた。
差し込んだ舌が熱で痺れそうだ。
鼻で息をしているはずなのに、開放した時に小さく息を喘がせる姿に再度、眩暈を覚える。
顎を伝う唾液を指先で拭ってやると、ピクリと震えた。
「無防備、すぎる…」
頭を抱える。
たぶん、そうしたいのは相手方の方だ。それでも、これは自分だけが悪いのだろうか、と思ってしまう。
そもそも、その倒錯的な匂いが悪い。
「どういうこと…ですか…?」
シャツを掴んだままの指先が震えていた。
恐怖だろうか。やはり。
「どういうって…。何で、殴らなかった?」
これは暴論だ。
こう言った場合、襲われた方に抵抗しないから悪いと責めるのはあまりに理不尽な行為だと思う。
ましてや自分はこの子の上司だ。
立場的にも殴るなどできる訳がない。
「なんで…、そんなこと言うんですか…。」
シャツを掴んでいた手が力なく離れていく。
俯いているから表情はよく見えないけれど、泣いているんだと思った。
「ごめん…。そうだよね。酷い言い方だ…。」
(酷い…。本当に酷いことに…、)
ここまで来ると、もはや自嘲しかできない。
俺は、恐ろしいことに、泣いている顔すら見たいと思った。
今、自分の一挙一足で感情を揺らす、眼前の美しい花。それを全て掌中に収めたいと、醜くも願っている。
「ね、泣いてる?」
「…泣いて、ません…。」
「泣いてるよ。」
白い頬を手のひらで包むように触れる。そっと顎を持ち上げると、濡れた瞳がこちらを捉えた。
「ひどい、です…。」
「ほら、泣いてる。」
「なんで、笑うんですか。」
そう、指摘された通り、俺は笑っていた。
これは少しの満足感と優越感。
誰もが羨望する花を手にしている。
誰も知らない表情を、自分だけが手にした。
「可愛いからだよ。」
「かわ…?」
「あのさ、俺…好きかもしれない。」
薄い瞳が、驚いたように見開かれる。
そしてすぐに、困ったような、それでいて何かを諦めたような顔で微笑んだ。
ポロリ、ポロリ。
溜めていた涙が流れ落ちる。
「本当…、ひどい。」
「うん。酷いと思うよ。でもさ、好きなんだと思うんだよね。だからさ、俺に全部ちょうだい?」
細い指が再びシャツを掴む。
小さく震える唇が、なんと言葉を紡ぐのか。
じっと視線を逸らさずに待っていた。
まさか、こんな事になるとは。
こんなつもりじゃなかったのに。
体に燻る感情に気付かないように過ごしてきた数ヶ月。
やはり、少し、酔っていたか。
「わかり…ました。」
ただ、一言。
小さく、震える声で。
けれどそれは、誰もいないオフィスには十分すぎる声量だった。
「そっか。ありがとう。」
震える唇を塞ぐように、再び口づける。
(さいてい、だな)
脳裏にチラつく妻の姿が、甘い香りにかき消されていく。
まるで初めからこうなることが決められていたかのような心地よさに、脳の奥が焼け付くようだった。
もっと、目の前の花を感じたい。
この子の全てが欲しい。
なんて、蠱惑的な匂い。
この子の全てを壊してしまうと思うのに、それすら、当然であるかのように感じる。
「今日はもう、終わろう?」
はやく。
ぜんぶ。
何だ、これは。
何なんだ、ここは。
どうしようもない渇望感でおかしくなりそうだ。
この子の存在全てを、自分の中の見えない何かが切望している。
焼けるような渇き。
ああ、ここは。
これはまるで。
(地獄に、落ちるだろうな)
困惑の色を浮かべた瞳がこちらを見ていた。
柔らかい唇が震える。
当たり前だ。
こんなこと、懲戒処分になったっておかしくはない。
それなのに。
(もっと、欲しい…)
「なに、して…」
「少し…黙って。嫌なら、殴れ。」
口づけに抵抗して、胸を押し返す手の動きがピタリと止まる。
どうするべきか、思案するように視線が彷徨う。
(そういう態度も、悪い癖だ…。)
「だから、つけ込まれる。」
「ん、さが…っ」
その後、抵抗はなかった。
何故抵抗しないのかは、よく分からない。
元々、流されやすいタイプなのか。それとも、ただ、恐怖しているのか。
とにかく、この何とも言えない香りに抗うことができず、また、一度堰きを切った感情は止められず。
(あまい…)
そんな訳はないのに。
そう錯覚するほどに、それは倒錯的で芳しい。
いつのまにか胸を押し返すはずの手のひらは、縋るようにワイシャツを握りしめていた。
差し込んだ舌が熱で痺れそうだ。
鼻で息をしているはずなのに、開放した時に小さく息を喘がせる姿に再度、眩暈を覚える。
顎を伝う唾液を指先で拭ってやると、ピクリと震えた。
「無防備、すぎる…」
頭を抱える。
たぶん、そうしたいのは相手方の方だ。それでも、これは自分だけが悪いのだろうか、と思ってしまう。
そもそも、その倒錯的な匂いが悪い。
「どういうこと…ですか…?」
シャツを掴んだままの指先が震えていた。
恐怖だろうか。やはり。
「どういうって…。何で、殴らなかった?」
これは暴論だ。
こう言った場合、襲われた方に抵抗しないから悪いと責めるのはあまりに理不尽な行為だと思う。
ましてや自分はこの子の上司だ。
立場的にも殴るなどできる訳がない。
「なんで…、そんなこと言うんですか…。」
シャツを掴んでいた手が力なく離れていく。
俯いているから表情はよく見えないけれど、泣いているんだと思った。
「ごめん…。そうだよね。酷い言い方だ…。」
(酷い…。本当に酷いことに…、)
ここまで来ると、もはや自嘲しかできない。
俺は、恐ろしいことに、泣いている顔すら見たいと思った。
今、自分の一挙一足で感情を揺らす、眼前の美しい花。それを全て掌中に収めたいと、醜くも願っている。
「ね、泣いてる?」
「…泣いて、ません…。」
「泣いてるよ。」
白い頬を手のひらで包むように触れる。そっと顎を持ち上げると、濡れた瞳がこちらを捉えた。
「ひどい、です…。」
「ほら、泣いてる。」
「なんで、笑うんですか。」
そう、指摘された通り、俺は笑っていた。
これは少しの満足感と優越感。
誰もが羨望する花を手にしている。
誰も知らない表情を、自分だけが手にした。
「可愛いからだよ。」
「かわ…?」
「あのさ、俺…好きかもしれない。」
薄い瞳が、驚いたように見開かれる。
そしてすぐに、困ったような、それでいて何かを諦めたような顔で微笑んだ。
ポロリ、ポロリ。
溜めていた涙が流れ落ちる。
「本当…、ひどい。」
「うん。酷いと思うよ。でもさ、好きなんだと思うんだよね。だからさ、俺に全部ちょうだい?」
細い指が再びシャツを掴む。
小さく震える唇が、なんと言葉を紡ぐのか。
じっと視線を逸らさずに待っていた。
まさか、こんな事になるとは。
こんなつもりじゃなかったのに。
体に燻る感情に気付かないように過ごしてきた数ヶ月。
やはり、少し、酔っていたか。
「わかり…ました。」
ただ、一言。
小さく、震える声で。
けれどそれは、誰もいないオフィスには十分すぎる声量だった。
「そっか。ありがとう。」
震える唇を塞ぐように、再び口づける。
(さいてい、だな)
脳裏にチラつく妻の姿が、甘い香りにかき消されていく。
まるで初めからこうなることが決められていたかのような心地よさに、脳の奥が焼け付くようだった。
もっと、目の前の花を感じたい。
この子の全てが欲しい。
なんて、蠱惑的な匂い。
この子の全てを壊してしまうと思うのに、それすら、当然であるかのように感じる。
「今日はもう、終わろう?」
はやく。
ぜんぶ。
何だ、これは。
何なんだ、ここは。
どうしようもない渇望感でおかしくなりそうだ。
この子の存在全てを、自分の中の見えない何かが切望している。
焼けるような渇き。
ああ、ここは。
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