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2章 ネオン街
居酒屋の前
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街は賑やかだった。
花の金曜日、なんて言い方は今はしないけれど、やはり休日前の夜は賑わいでいる。
職場を出て少し歩くと、景色は繁華街だ。居酒屋や遊興店が列挙する。ネオンに照らされた昼間みたいな夜を、羽目を外したサラリーマンやOL、水商売を生業とする人々が行き交っていた。
この時間だとこれから二次会と言ったところか。程よく出来上がった中年男が赤い顔で喚きながら横を通り抜けていく。
その飲み屋街の一角にあるバーは、小洒落た店構えでひっそりと開店していた。
間口も大きくはなく、一見すると開店しているのか分からない。
その店の前まで歩みを進める。
店前で立ち止まり、スマホを取り出した。緑のアイコンのメッセージアプリを開き、必要最低の文字数でメッセージを打ち込む。
数分して、店の扉が開く音がした。
「ご飯食べた?」
軽い口調だ。
それは平素と何らかわらない。
こちらの気も知らないで、と内心で苦虫を噛み潰したが、ニコリと微笑むのを見てしまえば終いだ。
こちらの負け。情け無いことに。
「まだ、ですけど、別にいいです。」
目線を逸らす。
いつも直視はできない。
コートのポケットにしまったスマホをギュッと握りしめる。
「いらないの?腹減らない?」
「いつも食べませんから」
こちらの回答に、「若いな~」と笑いながら言う。
そりゃ、若いですよ。
あなたと比較すれば。
などと、胸中で呟き、そっと相手の表情を伺った。
するとすぐに視線が合わさって後悔する。
「酒飲めればもう一軒行くんだけど、飲まない?」
「明日も勤務ですし」
「あ、そうだっけ」
「はい。それにお酒もあまり美味しいと思わないですし」
「お子ちゃまだな~」
お子ちゃまだろう、彼と比較すれば。それはもう、精神的にも全て。
「佐良さんは結構酔ってます?」
こちらの問いかけに、佐良は笑った。
外にいる所為かもしれないが、強いアルコールの香りは感じない。
「いや、全然。あんまり飲まないようにしてたから。」
昼間見た時と大して変わらない顔色で答えた佐良は、本人の申告通りにあまり飲んではいないのだろう。
「何でですか?定時に上がったと思いましたけど。」
彼が残業をすることは殆どない。
正直に言えば、それもどうかと思うのだが、彼はそういう人間だ。
一見すると批判をされそうな行動でも、彼の場合は何故か許される。彼はそういう魅力の持ち主だった。
とにかく上手いのだ。
「んー?だってさ、どうせ残るんだろうなと思って。だから、見越してた。」
悪気のない、歳に似つかわしくない屈託の無い笑みだった。
これが出来てしまうのがこの男のすごいところだと思う。
だからこういう時に感じる胸の疼きが痛みなのか、はたまた喜びなのか、よく分からなくなってしまう。
ただこれが、間違いだということだけが明白だった。
この花は体に巻き付き、寄生して、逃れようのない苦しみを与える。
でももう、今更どうしようもない。
「じゃあ、行こう。」
頷くしかない。
もう、己の意思ではコントロールできないところまで、根が張り巡らされているのだから。
一月の冷たい風が吹き付ける。
少し下がって、後をついて行く。
吹き付ける風は身を斬るように鋭い。
前を歩く佐良の表情は分からない。それじゃあ、今、自分はどんな顔をしているんだろう。
「寒いな…」
前を歩く佐良が呟く。
職場を出た時と変わらない、スーツにコートを羽織っただけの軽装備だ。寒いに決まっている。
「寒くない?」
こちらを振り返り尋ねる佐良に、小さく頷いた。
「嘘つきだな~。鼻、赤いよ。」
佐良は笑う。こちらを振り返りながら。
これじゃあ、後ろを歩く意味がない。
普段は飄々としているが抜け目のないイメージの佐良だが、時々、危なっかしいことを平気でやったりする。
「それとも、他に理由があるのかな~」
「もう、いいから前見て歩いてください…!」
佐良が楽しげに笑う。子供みたいに楽しげに笑うから。
本当に、後ろを歩く意味がなくなってしまった。
風はこんなにも冷たいのに。指先も感覚がなくなっているし、鼻の奥も何だか痛い。
それなのに、渇いた心が疼いて、焼けるように熱い。
佐良がどう感じているかは分からない。でも、同じだったら嬉しいと思う。
そして、同じだったら辛くて、何より悲しいと思った。
花の金曜日、なんて言い方は今はしないけれど、やはり休日前の夜は賑わいでいる。
職場を出て少し歩くと、景色は繁華街だ。居酒屋や遊興店が列挙する。ネオンに照らされた昼間みたいな夜を、羽目を外したサラリーマンやOL、水商売を生業とする人々が行き交っていた。
この時間だとこれから二次会と言ったところか。程よく出来上がった中年男が赤い顔で喚きながら横を通り抜けていく。
その飲み屋街の一角にあるバーは、小洒落た店構えでひっそりと開店していた。
間口も大きくはなく、一見すると開店しているのか分からない。
その店の前まで歩みを進める。
店前で立ち止まり、スマホを取り出した。緑のアイコンのメッセージアプリを開き、必要最低の文字数でメッセージを打ち込む。
数分して、店の扉が開く音がした。
「ご飯食べた?」
軽い口調だ。
それは平素と何らかわらない。
こちらの気も知らないで、と内心で苦虫を噛み潰したが、ニコリと微笑むのを見てしまえば終いだ。
こちらの負け。情け無いことに。
「まだ、ですけど、別にいいです。」
目線を逸らす。
いつも直視はできない。
コートのポケットにしまったスマホをギュッと握りしめる。
「いらないの?腹減らない?」
「いつも食べませんから」
こちらの回答に、「若いな~」と笑いながら言う。
そりゃ、若いですよ。
あなたと比較すれば。
などと、胸中で呟き、そっと相手の表情を伺った。
するとすぐに視線が合わさって後悔する。
「酒飲めればもう一軒行くんだけど、飲まない?」
「明日も勤務ですし」
「あ、そうだっけ」
「はい。それにお酒もあまり美味しいと思わないですし」
「お子ちゃまだな~」
お子ちゃまだろう、彼と比較すれば。それはもう、精神的にも全て。
「佐良さんは結構酔ってます?」
こちらの問いかけに、佐良は笑った。
外にいる所為かもしれないが、強いアルコールの香りは感じない。
「いや、全然。あんまり飲まないようにしてたから。」
昼間見た時と大して変わらない顔色で答えた佐良は、本人の申告通りにあまり飲んではいないのだろう。
「何でですか?定時に上がったと思いましたけど。」
彼が残業をすることは殆どない。
正直に言えば、それもどうかと思うのだが、彼はそういう人間だ。
一見すると批判をされそうな行動でも、彼の場合は何故か許される。彼はそういう魅力の持ち主だった。
とにかく上手いのだ。
「んー?だってさ、どうせ残るんだろうなと思って。だから、見越してた。」
悪気のない、歳に似つかわしくない屈託の無い笑みだった。
これが出来てしまうのがこの男のすごいところだと思う。
だからこういう時に感じる胸の疼きが痛みなのか、はたまた喜びなのか、よく分からなくなってしまう。
ただこれが、間違いだということだけが明白だった。
この花は体に巻き付き、寄生して、逃れようのない苦しみを与える。
でももう、今更どうしようもない。
「じゃあ、行こう。」
頷くしかない。
もう、己の意思ではコントロールできないところまで、根が張り巡らされているのだから。
一月の冷たい風が吹き付ける。
少し下がって、後をついて行く。
吹き付ける風は身を斬るように鋭い。
前を歩く佐良の表情は分からない。それじゃあ、今、自分はどんな顔をしているんだろう。
「寒いな…」
前を歩く佐良が呟く。
職場を出た時と変わらない、スーツにコートを羽織っただけの軽装備だ。寒いに決まっている。
「寒くない?」
こちらを振り返り尋ねる佐良に、小さく頷いた。
「嘘つきだな~。鼻、赤いよ。」
佐良は笑う。こちらを振り返りながら。
これじゃあ、後ろを歩く意味がない。
普段は飄々としているが抜け目のないイメージの佐良だが、時々、危なっかしいことを平気でやったりする。
「それとも、他に理由があるのかな~」
「もう、いいから前見て歩いてください…!」
佐良が楽しげに笑う。子供みたいに楽しげに笑うから。
本当に、後ろを歩く意味がなくなってしまった。
風はこんなにも冷たいのに。指先も感覚がなくなっているし、鼻の奥も何だか痛い。
それなのに、渇いた心が疼いて、焼けるように熱い。
佐良がどう感じているかは分からない。でも、同じだったら嬉しいと思う。
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