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3章 最初の僕
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そうして始まった魔塔での生活は、今までよりもずっと快適だった。
大した魔法じゃなかったということもあり、兄上たちからの攻撃も最近は鳴りをひそめている。まだ油断はできないものの、今までに比べれば穏やかなものだ。
エリックはあれから小屋の一室を使って寝泊まりしている。最近では僕が個人的に持ち込んだ小説にも手を出しているようで、すっかり本の虫だ。時折二人であぁでもないこうでもないと本についての話をする時は、どこか気の置ける友人が出来たような心地になった。
マリアも、今は庭園の中にある別棟に住んでいる。そこは魔法師ではなく、使用人や下働きの女性たちが集まって生活をしている場所だそうだ。賑やかで楽しい、と言っていたのでそう大きな不満もないようで安心した。
ある意味、今までで一番平和な時間だった。
エリックは時折小屋から出て、魔塔での仕事もこなしているようだ。彼の評価はそのまま僕の評価にもなるらしく、「ミシェル様に恥をかかせるわけにはいきませんから」と笑っていた。実家の商家では雑務を担当していたらしく、意外にも計算に強い。
魔塔には研究者気質で事務作業を怠る人間が多いので、存外そちらでも重宝される存在となっていた。本業である研究はあまり進んでいないようだが、『記憶』の研究というのは諸刃の剣でもあるので、手を出さない方が賢明だろう。従って、雑務処理が彼の主だった仕事となっていた。
そんなエリックは、休息するように小屋に戻ってきてはマリアの淹れる紅茶に舌鼓を打つ。
「いや~、やっぱりマリアさんの紅茶が一番美味しいですよ」
「まぁエリック様はお上手ですこと」
「はっはっは」
仲がいいのは良いことだが、マリアとエリックが組むと少しばかり面倒な問題が起こることがあった。
「それはそうと殿下!私は良いですけど、本当にこれでいいんです?」
「いい……とは?」
「だって、こんな場所、出会いもないじゃないですか」
「……君は、僕に恋愛ができるとでも?」
思いませんけど、とエリックはため息を落とす。どうやら最近は恋愛小説にのめり込んでいるらしく、王子と令嬢達のロマンスに夢を抱いているらしい。
期待と夢を打ち砕くようで悪いが、僕に小説のような愛のある結婚をすることはまず不可能だろう。
身分的にも立場的にも、だ。見合った令嬢がいるとも思えないし、恋愛して結婚なんて話になれば天文学的数字といえるだろう。それを乗り越えてこそ運命、と呼ぶのかも知れないが、僕は僕自身の運命を呪っている。
そんな男に、唯一神エレオノーラが運命をあてがうとも思えなかった。
「本当に。ミシェル様はもう少しお外に出られた方がよろしいですよ」
「ね、ほらマリアさんもこう言ってますよ!」
「馬鹿を言うな。興味もなければ用事もない」
「昔っからこうですもの。エリック様とお話しするようになったのも奇跡ですわ」
「うわ~、筋金入りの引きこもりですね」
「防衛策だと言ってくれ」
それに、生活の場所を塔から小屋に変えただけで、相変わらず僕自身は人間不信のままだ。
エリックには気を許せるようになったが、それだけにすぎない。他の魔塔の魔法師と馴れ合うつもりはなかったし、魔塔からも特に仕事を与えられるでもなかった。
だから別段、外に用事がないのだ。僕にとって必要なものは全てここに揃っている。
ここは、居心地の良い檻だ。
扱いにくい第三王子という化け物を閉じ込めておくための、体の良い檻。それがこの小屋だ。
けれど離宮より兄上達の手が届きにくいのは確かだ。だから僕は、自ら望んで檻の中に入っている。
残念ながらエリックが思い描く恋愛とは、縁遠い場所にいた。
「君こそ、そういう浮いた話を聞かないが」
「いやいや私は庶民ですよ。殿下と違って急がなくて良いし、跡取りも気にしなくて良い。もう少し気軽な恋愛ができるんです。私のことよりご自分のことを気にしてくださいよ」
「いらない世話だな」
そんな軽口を叩きながら、今日もソファーに腰掛けて本を開く。
今、魔塔の外では飢饉が広がっているらしい。どこから仕入れているのか知らないが、エリックは情報収集に長けていた。おかげで、今までよりも外の情勢が随分と詳細にわかるようになった。
国王陛下は、貧民たちの間に広がりつつある飢饉に興味はないようだ。
飢えたことのない人間に、飢えた者の気持ちなどわかるはずもない。僕だって、毒を盛られ食べる物がなくて飢えていた時期がなければ、あの苦しみを知ることはなかっただろう。
だけど僕は、力ない第三王子だ。
僕が動いて、何になるというのだろう。下手に動けばこっちの命が危ないのだ。出来ることなど何もない。そういうことは、国を動かすべき人間が対処すればいい。それが、国を治めるべき人間の果たすべき義務というものだ。
そんな言い訳を並べたて、僕は以前引きこもったまま、表舞台から距離を置いていた。
やがて国同士の戦争にまで事が発展しても、僕は魔塔の小屋から出ることはなかった。そもそも出番もない。下手に動けば、王位簒奪を疑われかねない。だから徹底して、外との関わりを絶っていた。
彼女と出会ったのは、そうして魔塔の小屋に引きこもり8年が経つ頃だった。
20歳の成人の儀ですらおざなりにすませて3年。もう一生ここに籠もって暮らすことを考えはじめていた頃に、僕の庭園に見知らぬ誰かが立っていた。
「……君、ここに何の用だ?」
薔薇の咲き乱れる花壇の前に、淑やかな薔薇がもう一輪咲いたような目を引く容姿。流れる桃色の髪が美しく、風に揺れていた。
「私、今日からここの庭園の手入れを任されることになりました、レティシアです!」
「……聞いてないが」
「庭師のおじいさんが腰を痛めちゃったから、その代理で……」
そう言って僕に笑いかけた彼女は、美しい薄紫色をした、アメジストのような瞳を煌めかせていた。
穏やかな木漏れ日が心地よく溶ける、春の日。
僕の心臓は、この時初めて動き始めたのだ。
大した魔法じゃなかったということもあり、兄上たちからの攻撃も最近は鳴りをひそめている。まだ油断はできないものの、今までに比べれば穏やかなものだ。
エリックはあれから小屋の一室を使って寝泊まりしている。最近では僕が個人的に持ち込んだ小説にも手を出しているようで、すっかり本の虫だ。時折二人であぁでもないこうでもないと本についての話をする時は、どこか気の置ける友人が出来たような心地になった。
マリアも、今は庭園の中にある別棟に住んでいる。そこは魔法師ではなく、使用人や下働きの女性たちが集まって生活をしている場所だそうだ。賑やかで楽しい、と言っていたのでそう大きな不満もないようで安心した。
ある意味、今までで一番平和な時間だった。
エリックは時折小屋から出て、魔塔での仕事もこなしているようだ。彼の評価はそのまま僕の評価にもなるらしく、「ミシェル様に恥をかかせるわけにはいきませんから」と笑っていた。実家の商家では雑務を担当していたらしく、意外にも計算に強い。
魔塔には研究者気質で事務作業を怠る人間が多いので、存外そちらでも重宝される存在となっていた。本業である研究はあまり進んでいないようだが、『記憶』の研究というのは諸刃の剣でもあるので、手を出さない方が賢明だろう。従って、雑務処理が彼の主だった仕事となっていた。
そんなエリックは、休息するように小屋に戻ってきてはマリアの淹れる紅茶に舌鼓を打つ。
「いや~、やっぱりマリアさんの紅茶が一番美味しいですよ」
「まぁエリック様はお上手ですこと」
「はっはっは」
仲がいいのは良いことだが、マリアとエリックが組むと少しばかり面倒な問題が起こることがあった。
「それはそうと殿下!私は良いですけど、本当にこれでいいんです?」
「いい……とは?」
「だって、こんな場所、出会いもないじゃないですか」
「……君は、僕に恋愛ができるとでも?」
思いませんけど、とエリックはため息を落とす。どうやら最近は恋愛小説にのめり込んでいるらしく、王子と令嬢達のロマンスに夢を抱いているらしい。
期待と夢を打ち砕くようで悪いが、僕に小説のような愛のある結婚をすることはまず不可能だろう。
身分的にも立場的にも、だ。見合った令嬢がいるとも思えないし、恋愛して結婚なんて話になれば天文学的数字といえるだろう。それを乗り越えてこそ運命、と呼ぶのかも知れないが、僕は僕自身の運命を呪っている。
そんな男に、唯一神エレオノーラが運命をあてがうとも思えなかった。
「本当に。ミシェル様はもう少しお外に出られた方がよろしいですよ」
「ね、ほらマリアさんもこう言ってますよ!」
「馬鹿を言うな。興味もなければ用事もない」
「昔っからこうですもの。エリック様とお話しするようになったのも奇跡ですわ」
「うわ~、筋金入りの引きこもりですね」
「防衛策だと言ってくれ」
それに、生活の場所を塔から小屋に変えただけで、相変わらず僕自身は人間不信のままだ。
エリックには気を許せるようになったが、それだけにすぎない。他の魔塔の魔法師と馴れ合うつもりはなかったし、魔塔からも特に仕事を与えられるでもなかった。
だから別段、外に用事がないのだ。僕にとって必要なものは全てここに揃っている。
ここは、居心地の良い檻だ。
扱いにくい第三王子という化け物を閉じ込めておくための、体の良い檻。それがこの小屋だ。
けれど離宮より兄上達の手が届きにくいのは確かだ。だから僕は、自ら望んで檻の中に入っている。
残念ながらエリックが思い描く恋愛とは、縁遠い場所にいた。
「君こそ、そういう浮いた話を聞かないが」
「いやいや私は庶民ですよ。殿下と違って急がなくて良いし、跡取りも気にしなくて良い。もう少し気軽な恋愛ができるんです。私のことよりご自分のことを気にしてくださいよ」
「いらない世話だな」
そんな軽口を叩きながら、今日もソファーに腰掛けて本を開く。
今、魔塔の外では飢饉が広がっているらしい。どこから仕入れているのか知らないが、エリックは情報収集に長けていた。おかげで、今までよりも外の情勢が随分と詳細にわかるようになった。
国王陛下は、貧民たちの間に広がりつつある飢饉に興味はないようだ。
飢えたことのない人間に、飢えた者の気持ちなどわかるはずもない。僕だって、毒を盛られ食べる物がなくて飢えていた時期がなければ、あの苦しみを知ることはなかっただろう。
だけど僕は、力ない第三王子だ。
僕が動いて、何になるというのだろう。下手に動けばこっちの命が危ないのだ。出来ることなど何もない。そういうことは、国を動かすべき人間が対処すればいい。それが、国を治めるべき人間の果たすべき義務というものだ。
そんな言い訳を並べたて、僕は以前引きこもったまま、表舞台から距離を置いていた。
やがて国同士の戦争にまで事が発展しても、僕は魔塔の小屋から出ることはなかった。そもそも出番もない。下手に動けば、王位簒奪を疑われかねない。だから徹底して、外との関わりを絶っていた。
彼女と出会ったのは、そうして魔塔の小屋に引きこもり8年が経つ頃だった。
20歳の成人の儀ですらおざなりにすませて3年。もう一生ここに籠もって暮らすことを考えはじめていた頃に、僕の庭園に見知らぬ誰かが立っていた。
「……君、ここに何の用だ?」
薔薇の咲き乱れる花壇の前に、淑やかな薔薇がもう一輪咲いたような目を引く容姿。流れる桃色の髪が美しく、風に揺れていた。
「私、今日からここの庭園の手入れを任されることになりました、レティシアです!」
「……聞いてないが」
「庭師のおじいさんが腰を痛めちゃったから、その代理で……」
そう言って僕に笑いかけた彼女は、美しい薄紫色をした、アメジストのような瞳を煌めかせていた。
穏やかな木漏れ日が心地よく溶ける、春の日。
僕の心臓は、この時初めて動き始めたのだ。
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