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1章 最初の私
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そうしてついにかかとが激痛を訴え始めた頃、会場がにわかにざわつきはじめた。会場中の視線が広間の大階段に注がれる。
「第三王子殿下、ミシェル・クロード・イルヴェール様、ご来場!」
どうやら、ようやく主賓がやってきたようだった。
今宵は王家が主催の舞踏会。
とはいえ国王はここしばらく公の場に姿を見せていないし、現在王妃様はご懐妊中で表に出てこられない。
第一王子のレイモンド様は既にご結婚されているし、第二王子のアスタリス様は他国に留学中だ。
となれば、今回の舞踏会は第三王子殿下であるミシェル様の婚約者探し、というのが主な目的なんでしょう。
会場の視線が一気に注がれる中、彼は一人、大階段を下りて広間に向かってくる。
まだ姿は遠くて見えないのに、コツコツと響く足音だけでその凜々しさが伝わってきた。
ミシェル様といえば、この国ではいわずと知れた有名人。
眉目秀麗、文武両道、亡くなった前王妃様に似た美しさに、なにをやらせても並以上の成績を残す、才気溢れる王子様。
庶民にも優しく、彼がその頭脳で飢饉から救った村は数知れず。第一王子を差し置いて王に、という声もあるほどだ。
そもそもこの国は、腐敗している。
王は傀儡だ。一部の貴族達が肥え太るための政治の道具にされてしまっている。強くもなければ覇気もない王は、貴族達の言うとおりに国を動かし、税を上げ、兵を差し向ける。
6年ほど前には隣国と小さな小競り合いもあった。隣国からの流通に勝手に税をかけたのだ。客観的にみてもこちらが悪いと思うが、王も貴族も知らん顔で通し、結局根負けした隣国が税を払うことで落ち着いた。
国としてはそれでよかったかもしれないが、境界の街は双方酷い有様で、今もまだ復興途中らしい。それを、ミシェル様だけが気にかけて度々手を入れてくださっているのだと人気なのだ。
ミシェル様が考案した栽培方法が土に合っていたからか、他国が飢饉でも関係ないほど食物は豊作だし、王子自らが兵士達に混じって鍛錬するものだから士気も人気も上昇の一方。統率も取れている直属の兵士団は、こと戦においては負け無しだった。
本当ならそんな戦なんてない方がよかったのだろうけれど、皮肉なことにミシェル様のおかげで我が国は財も豊かで、兵力もある。王侯貴族が驕ってしまうのが無理ないほどに、周辺諸国とは比べるべくもなく豊かな国なのだ。人間というのは、豊かになっても隣の芝が青く見えるものらしい。
本当に、おとぎ話にでも出てきそうな完璧な王子様。多少誇張されているかも知れないが、それでも余りある功績だ。
それでいて眉目秀麗だというのだから、神に愛されているという噂もあるほど。
ようやく遠くに姿が見えてきて、その噂が脚色されたものではないのだと知った。
整った長い金の髪はひとつにまとめられ、彼の背中で麗しく揺れる。
ただ歩いているだけで気品あふれるその姿に、会場の誰もが目を止め、見惚れていた。
切れ長の瞳は氷のように冷たいブルーグレー。陶器のように白い肌に、すらりと伸びた長い四肢。真っ白いスーツに王家の象徴である紫色のマントがよく映えて、どこから見ても、非の打ち所がない好青年。
確か今年で26歳、今まで婚約者の一人もいなかったのが不思議なくらい。彼の為に舞踏会が開かれるのも、タイミングとしては遅すぎるほどだ。
同じ会場の中にいるけれど、ミシェル様が立っている場所だけどこか遠い世界のように輝いて見える。
人間離れした美しさに、私の目も例にもれず釘付けとなっていた。
「……きれいだわ……」
「当たり前でしょう、お姉様。あの人は王子様ですもの」
アザレアも、その視線はミシェル様に向いている。美しいもの好きの彼女のことだ。きっとあの王子様だって、さぞお気に召したことでしょう。
芯のある涼やかな声が会場に響く。
「皆、今日はよく集まってくれた。今宵お披露目〈デビュタント〉を迎えるものも多い、我ら尊き血に、快く迎えてやってほしい」
わっ、と若い声が上がる。今日の舞踏会でお披露目〈デビュタント〉したのは何も私たちだけではない。王子から直々にかけられた温かい言葉に、若者達は沸き立っていた。
ホールの中心、大階段の中腹にある踊り場に熱意ある若者達が次々と足を運び、我先にと王子に面通しするため押し寄せていた。
彼が主賓なのだから、当然私たちだって挨拶に行かなければならない。
そうしてアザレアと一緒に列の一番後ろに並び、順番を待つ。自信たっぷりのアザレアは、もしかしたら自分が婚約者候補になれると思っているのかもしれない。
けれど、王家と伯爵家ではあまりにも格が違いすぎる。しかも我が家は領地もそう広くないから税収だって多くない。伯爵、といっても過去の栄光に縋った世襲制。新興貴族の男爵あたりのほうが余程懐が温かいだろう。
そんなエヴァンス家と王家が結びつくなんて、とてもじゃないが考えられないことだった。
あぁ、そんなことより足が痛い。
昨日もたくさんお祈りをしたから、膝も痛む。
ようやく回ってきただろう私たちの番。王子を目前にして、誰かが私の身体に大きくぶつかった。
普段なら何ともなかっただろう衝撃。けれど痛んだ足は上手く体重を支えられず、そのままよろけてしまった。
このままでは転んでしまう、と咄嗟に伸ばした手が、何かに強く弾かれる。
階段から足が離れ、ふわりと身体が宙に浮く。
―――― あぁ、落ちる。
そう思った私が最期に見たのは、爪の先まで美しく整えられた、アザレアの手だった。
「第三王子殿下、ミシェル・クロード・イルヴェール様、ご来場!」
どうやら、ようやく主賓がやってきたようだった。
今宵は王家が主催の舞踏会。
とはいえ国王はここしばらく公の場に姿を見せていないし、現在王妃様はご懐妊中で表に出てこられない。
第一王子のレイモンド様は既にご結婚されているし、第二王子のアスタリス様は他国に留学中だ。
となれば、今回の舞踏会は第三王子殿下であるミシェル様の婚約者探し、というのが主な目的なんでしょう。
会場の視線が一気に注がれる中、彼は一人、大階段を下りて広間に向かってくる。
まだ姿は遠くて見えないのに、コツコツと響く足音だけでその凜々しさが伝わってきた。
ミシェル様といえば、この国ではいわずと知れた有名人。
眉目秀麗、文武両道、亡くなった前王妃様に似た美しさに、なにをやらせても並以上の成績を残す、才気溢れる王子様。
庶民にも優しく、彼がその頭脳で飢饉から救った村は数知れず。第一王子を差し置いて王に、という声もあるほどだ。
そもそもこの国は、腐敗している。
王は傀儡だ。一部の貴族達が肥え太るための政治の道具にされてしまっている。強くもなければ覇気もない王は、貴族達の言うとおりに国を動かし、税を上げ、兵を差し向ける。
6年ほど前には隣国と小さな小競り合いもあった。隣国からの流通に勝手に税をかけたのだ。客観的にみてもこちらが悪いと思うが、王も貴族も知らん顔で通し、結局根負けした隣国が税を払うことで落ち着いた。
国としてはそれでよかったかもしれないが、境界の街は双方酷い有様で、今もまだ復興途中らしい。それを、ミシェル様だけが気にかけて度々手を入れてくださっているのだと人気なのだ。
ミシェル様が考案した栽培方法が土に合っていたからか、他国が飢饉でも関係ないほど食物は豊作だし、王子自らが兵士達に混じって鍛錬するものだから士気も人気も上昇の一方。統率も取れている直属の兵士団は、こと戦においては負け無しだった。
本当ならそんな戦なんてない方がよかったのだろうけれど、皮肉なことにミシェル様のおかげで我が国は財も豊かで、兵力もある。王侯貴族が驕ってしまうのが無理ないほどに、周辺諸国とは比べるべくもなく豊かな国なのだ。人間というのは、豊かになっても隣の芝が青く見えるものらしい。
本当に、おとぎ話にでも出てきそうな完璧な王子様。多少誇張されているかも知れないが、それでも余りある功績だ。
それでいて眉目秀麗だというのだから、神に愛されているという噂もあるほど。
ようやく遠くに姿が見えてきて、その噂が脚色されたものではないのだと知った。
整った長い金の髪はひとつにまとめられ、彼の背中で麗しく揺れる。
ただ歩いているだけで気品あふれるその姿に、会場の誰もが目を止め、見惚れていた。
切れ長の瞳は氷のように冷たいブルーグレー。陶器のように白い肌に、すらりと伸びた長い四肢。真っ白いスーツに王家の象徴である紫色のマントがよく映えて、どこから見ても、非の打ち所がない好青年。
確か今年で26歳、今まで婚約者の一人もいなかったのが不思議なくらい。彼の為に舞踏会が開かれるのも、タイミングとしては遅すぎるほどだ。
同じ会場の中にいるけれど、ミシェル様が立っている場所だけどこか遠い世界のように輝いて見える。
人間離れした美しさに、私の目も例にもれず釘付けとなっていた。
「……きれいだわ……」
「当たり前でしょう、お姉様。あの人は王子様ですもの」
アザレアも、その視線はミシェル様に向いている。美しいもの好きの彼女のことだ。きっとあの王子様だって、さぞお気に召したことでしょう。
芯のある涼やかな声が会場に響く。
「皆、今日はよく集まってくれた。今宵お披露目〈デビュタント〉を迎えるものも多い、我ら尊き血に、快く迎えてやってほしい」
わっ、と若い声が上がる。今日の舞踏会でお披露目〈デビュタント〉したのは何も私たちだけではない。王子から直々にかけられた温かい言葉に、若者達は沸き立っていた。
ホールの中心、大階段の中腹にある踊り場に熱意ある若者達が次々と足を運び、我先にと王子に面通しするため押し寄せていた。
彼が主賓なのだから、当然私たちだって挨拶に行かなければならない。
そうしてアザレアと一緒に列の一番後ろに並び、順番を待つ。自信たっぷりのアザレアは、もしかしたら自分が婚約者候補になれると思っているのかもしれない。
けれど、王家と伯爵家ではあまりにも格が違いすぎる。しかも我が家は領地もそう広くないから税収だって多くない。伯爵、といっても過去の栄光に縋った世襲制。新興貴族の男爵あたりのほうが余程懐が温かいだろう。
そんなエヴァンス家と王家が結びつくなんて、とてもじゃないが考えられないことだった。
あぁ、そんなことより足が痛い。
昨日もたくさんお祈りをしたから、膝も痛む。
ようやく回ってきただろう私たちの番。王子を目前にして、誰かが私の身体に大きくぶつかった。
普段なら何ともなかっただろう衝撃。けれど痛んだ足は上手く体重を支えられず、そのままよろけてしまった。
このままでは転んでしまう、と咄嗟に伸ばした手が、何かに強く弾かれる。
階段から足が離れ、ふわりと身体が宙に浮く。
―――― あぁ、落ちる。
そう思った私が最期に見たのは、爪の先まで美しく整えられた、アザレアの手だった。
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