檸檬色に染まる泉

鈴懸 嶺

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すれ違い

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 自分の実力に揺るぎない自信をもっている上條さんは、基本的に独断専行で人の話しは聞かないし、ベースの印象は”威圧的”で初対面ではだれもが”怖い”という印象を持つ。

そんな上條さんがが珍しく激しい動揺を顕わに俺に連絡をしてきた。

「櫻井!!IZUMIの消息が分かるかもしれない!力を貸してくれないか!?」

 一介の大学生である俺ごときに、なんでカリスマ社長である上條さんが?

これには少しだけ理由がある。

 Kスタジオの人気モデルYUKINAこと向坂雪菜は俺と同じ大学で共に心理学を専攻している。この向坂雪菜が縁となって、俺は上條さんと深く関わることになった。この向坂雪菜はスタジオ内の人間関係で深い”問題”を抱えていたがその解決に俺が多いに巻き込まれ、結果向坂の問題解決に少しだけ寄与したことがある。だから上條さんにはある意味”恩を売った”ともいえる関係だった。


 俺は上條さんからこの連絡を受ける以前、かつてIZUMIという天才モデルがいたということを聞いていた。

 しかも……

 そのIZUMIは上條さんが立ち上げたばかりのKスタジオを大成功に導いた立役者だったはずだ。

 それにも関わらず、上條さんの言葉を借りれば「私が潰してしまった」「今は生きているかさえ分らない」という事態になるまで彼女を追い込んでしまったらしい。

 このことを俺に話してくれた時の上條さんの苦痛の表情を今でも覚えている。

 きっと上條さんはずっとIZUMIさんの消息を心配していたに違いない。だからこそ普段恐ろしさしかみせない上條さんがこんなにも慌てて俺なんかに連絡をしてきたのだ。

「きっと私はIZUMIと再会することになる。だからその時に私が間違えないように見張っていてほしい」

 上條さんからはそんな依頼をされた。

 上條さんは向坂雪菜の問題を解決に導いたという事実から、俺の心理学……というよりはプロファイリングの能力を過大評価しすぎているように思われた。

 だって俺はただの大学生だぞ?

 こんな俺に何ができるというのだ?

 でも、上條さんから”贔屓”とも受けとれるのどの精神的なサポートを受け続けていた向坂雪菜のことを思えば”彼氏”としては頼まれればノーとはいえない。また向坂が”ポストIZUMI”と呼ばれてるということを聞かされていたのでIZUMIというモデルに興味があったいう”スケベ心”があったのも少しある。

 俺も平均的な大学生男子だからね。

…… …… ……

「でもIZUMIさんの消息ってどうやって知ったんですか?」

 俺は上條さんにそのことをまず尋ねた。

「今度、仙台でやるオーデションでIZUMIの影を感じさせる女子高生が応募をしてきた」

「影を感じる?……どういう意味ですか?」

「メイク、ポーズ、姿勢の美しさ……全てIZUMIとそっくりだった。こんなことは偶然では決して起きない」

「つまり……」

「ああ、その女子高生の背後に絶対IZUMIがいる。」

「そんなことで分るもんですか?」

「あたりまえだ!!そもそもIZUMIを育てたのは私だぞ?」

 しかも上條さんに言わせれば、その女子高生がこのオーデションでおそらく優勝するという。何の因果か、その女子高生の素材はIZUMIに肉薄しているとか。今のデモル界を見渡してもそんな人材はYUKINAくらいしかいないらしいが……

 なんだ?向坂雪菜もそんなにレベル高いのかよ?そっちの方がむしろビビるんだけど……彼氏としては。



 俺はオーデションの会場に着くや、偶然を装ってIZUMIさんに接触した。

 そして……

 俺はこの依頼を安易に受けてしまったことを心底悔いた。

 事態があまりに深刻だったからだ。

 まずIZUMIさんは過去、かなり深い”心の傷”を負っており左手首を執拗に意識する仕草から想像するに自ら命を絶つまでに追い込まれていることが見て取れた。つまりその心の傷が今もって”全く”癒えていない。

 それどころかずっと押さえていたであろう心の負のエネルギーが放出しかけている。

 原因は……

 隣にいる女性だ。おそらくIZUMIさんがモデルの指南をした女子高生の”神沼檸檬”だろう。

 IZUMIさんの彼女に送る視線を見て胸が苦しくなった。



 IZUMIさんは異常なまでに彼女に執着していた。俺の隣にいた向坂雪菜の存在を見ただけでIZUMIさんは激しい嫉妬の感情を向坂雪菜に向けた。

 その執着は必然的に”恐怖”を孕む。つまり”いつ離れてしまうかもしれない”という妄想に囚われているからだ。

 幸いなことに神沼檸檬がIZUMIさんに恋愛感情を持っていることは直ぐに見てとれた。

 しかし、彼女はIZUMIさんの本心に気付いていない。

 だから二人して想っているのにその気持ちのベクトルが微妙にすれ違いを起こしていた。

 この事実から、俺が聞かされていなかった上條さんとIZUMIさんの関係が容易に想像できた。

 かつてのIZUMIさんはおそらく上條さんに執着していた。そう、いま神沼檸檬に執着するのと同じように。過去に上條さんとの関係を断ち切られたことこそがIZUMIさんを精神的に追い込んだのだ。

 上條さんがIZUMIさんのことを語った時の辛い表情の意味は、こういうことだったんだ。

 まったく!俺を頼るならせめて最初からこういった情報を教えてくれってんだよ、あの人は……


 俺は上條さんにIZUMIさんとの再会は、誰の目にもつかない場所にしてほしいと提案した。きっとIZUMIさんの感情の放出が”ただでは済まない”ことが明らかだったからだ。

 だから俺はホテルの最上階で先に上條さんに待っていてもらうことにした。

 俺は細心の注意を払ってIZUMIさんと神沼檸檬を上條さんの待つ部屋まで案内した。

 途中、IZUMIさんはずっと左の手首を右手でさする動作を繰り返していた。過去のトラウマが漏れ始めて無意識にこの動作を繰り返してしまっている。

 長期戦は無理だ。そう感じた。

 あまり多くを望むと俺の範疇を超えてしまう。




 上條さんとIZUMIさんの再会。

 これは予想通りのものだった。神沼檸檬は目聡い娘だ。だからIZUMIさんの過去のトラウマに気付いておりなおかつ彼女を救おうという気持ちが行動にも現れていた。

 でも彼女にはどうしても気付けないことがあった。いや彼女の立場だからこそ気付けなかったと言うべきか。

 神沼檸檬はIZUMIさんの心に未だ上條さんが深く刺さっていると”勘違い”していた。だからこそ上條さんとIZUMIさんの再会こそが”最も難しい課題”とだと確信していた。

 しかしそうではない。IZUMIさんの心を今揺さぶっているのは神沼檸檬その人だ。もう上條さんではないのだ。

 上條さんとIZUMIさんはお互いに過去の蟠りはとっくに消失している。いやIZUMIさんの場合は神沼檸檬の存在が上條さんからのトラウマをそのまま引き継いでしまっただけかもしれない。

 だから”上條さんとIZUMIさんだけ”の再会であれば全く問題は起こらないはずだった。

 そう、神沼檸檬さえ巻き込まなければ。

 でも俺は上條さんにそのことを伝えるのを怠っていた。

 痛恨のミスだ。

「檸檬、あんたはKスタジオに入りなさい」

 そう上條さんが言い放ってしまった時は、俺は驚愕した。

 それだけは言ってはならないのに!!

 でも遅かった。


 表面的には穏やかだったIZUMIさんが突然豹変してしまった。

 あたりまえだ。IZUMIさんからしたら神沼檸檬を上條さんに取り上げられるという恐怖を感じてしまったのだ。

 神沼檸檬は全くそのことに気付いていない。

 今の上條さんの発言がIZUMIさんの心にどれだけのダメージを与えてしまったのかを。



 俺は覚悟を決めてホテルの部屋に全員を移動させた。

 もうIZUMIさんを救えるのは一人しかいない。

 神沼檸檬だ。

 危険すぎるとは思ったが、俺は神沼檸檬のIZUMIさんへの気持ちにかけることにした。

 だから俺はもう見守ることしかできない……

 そして……

 爆発寸前だったIZUMIさんの心に神沼檸檬がついに最後の一撃を放った。



「私はあなたを愛している」



 そう言った神沼檸檬は倒れこんでしまった。彼女自身が自分の言葉の重さを受け止めきれずにショックを起こしてしまったのだろう。


 それからすぐに……


 その言葉を聞いたIZUMIさんの絶叫が部屋全体に響き渡った。


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