檸檬色に染まる泉

鈴懸 嶺

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決戦前夜

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「脂肪は少なめだよ?水分は一気にとらないで一度に200mlまでにしてこまめに。利尿作用の強い飲料も控えてね?食事は腸に負担のかからないものを中心に。腸のコンディションは肌にすぐでるから」

 オーデションの前日、維澄さんに指示された注意事項。

「なんかすごいね?ここまでやるのって私だけでしょ?」

 維澄さんったら気合入りすぎ。

 そんなクオリティー、私は全く求めていないんけど?


 でも、よかった。少し前までは上條社長に会うことばかりに気をとられていた維澄さんに、少しだけ”モデルモード”が戻って来てくれた。

 維澄さんには睡眠のこともうるさく言われたが、さすがの私も夜は緊張であまり眠れなかった。

 私の緊張はもちろん”オーデション”のこともあるが、やはり維澄さんと上條社長との対峙のことだ。

 ホントにどんな結末が待っているか想像すらできないので、いろんな想像がぐるぐると頭を駆け巡ってしまい……とてもリラックスして寝るどころではなかった。


 それでも……


 朝は来てしまう。





 いよいよ2月14日のバレンタインデーの日。

 オーデション当日を迎えることになった。


 私達は”いつも通り”ドラッグストアーの前で待ち合わせをした。

 私は維澄さんを待つ間、”そう言えば今日は゛バレンタインデーなんだよね?”ということを今更ながら意識してしまった。

 そうか、だったらもしかしてチョコレートとか用意しておくべきだったのか?ということがまた不安になった。

 そういえばクリスマスデートの時も、うっかりプレゼントを用意していないという失態を演じてしまったが、またしても同じ過ちを犯してしまうのか?

 ホント、いままでこういうイベントに無関心すぎたことのツケが回って来てしまっている。バレンタインデーに無関心な女子高生って相当終わってるよね?

 維澄さんはクリスマスの時は意外にもプレゼントのことを考えてくれていた。

 でもさすがに今回は私にはっきりと”好きだ”という意思表示をしていない維澄さんがチョコレート準備している可能性はないと思う。

 そこは少し寂しい部分ではあるのだが……




「あ?檸檬!お待たせ!」

 そんな想像していると維澄さんが思ったより明るい笑顔でやってきた。

「維澄さん、おはようございます……あれ?その袋なんですか?」

「え?もちろんチョコレートだけど?」

「だ、だれの?」

「何言ってるの?檸檬に決まってるでしょ?」

 で、でた!維澄さんの天然攻撃。

 な!なんで……そんなサラッとそんなことやるワケ?

「あ、あの私は……」

「うん、用意してないんでしょ?いいよ、分ってるから」

「え?なによ、その分ってるって」

「檸檬は絶対持ってこないと思ったもの」

「そ、そんな突き放さないでくださいよ?私は維澄さんのことは大好きなんですよ?ただこういうイベントにとんと疎いだけで」

「フフフ、知ってるよ」

 維澄さんは嬉しそうにニコニコした。

 だ、だから何を知ってるの?私が維澄さんを大好きなこと?イベントに疎いこと?どっちなの?

 のっけから先制パンチをくらって、動揺してしまったが……

 それでも維澄さんの表情が明るいことにとても救われた。

「そう言えば、檸檬……ちゃんと寝れた?」

「ああ……もしかしてバレてます?」

「うん……ちょっと寝れてないでしょ?」

「さすが……そういうところに気付くのはプロだよね?いや、いつも私の顔見過ぎてるからなのか?」

「ま、またそういうこと言う……」

 フフ、ようやく照れてくれた。

「コンディションによる振れ幅ぐらいプロの審査員なら想定内で関係ないんじゃないの?」

「違うんだよ檸檬?努力してるかしてないかがバレるのがマイナスなの。努力できるってことはプロ意識をアピールできるからすごく印象がいいんだよ?」

 おお~なるほどね。今日のモデルトークは切れ切れだな。

 そうか、維澄さんが今日テンション高いのはやっぱり本番を前にして完全にモデルモードになっているのかもしれない。

 これはいい傾向だ。このままのテンションで会場に入れれば上條さんとの対峙もすんなり終わるかもしれない。


 さて、それはそうと……

 維澄さんはモデルのオーディションだというのにグレーのワントーンという随分と地味な服装をしてきた。むろん私はその意味に気付いている。

 ”わざと”目立たないようにしているのだろう。

 モデル関係者が多く集まる場所なら当然維澄さんを知る人間が多くいることが想像できる。

 もちろんその筆頭がKスタジオ関係者とラスボスの上條裕子社長だ。

 私は当時のモデルIZUMIが業界で放っていた威光をリアルタイムで知らないので想像出来ないところではあるが、もしかすると維澄さんが”IZUMI”であることが知れたら会場が大騒ぎになる可能性だったあるのかもしれない。

 そう言った意味で、維澄さんは上條さんと会うこと以外にも色々なリスクがある事になる。

 でも維澄さんは最初こそごねていたが、結局同行にOKをしてくれた。

 維澄さんは実際の心境はどうだったのだろうか?きっと色々な葛藤を乗り越えて来てくれたのだと思うと責任を感じてしまう。




 さて、維澄さんの”いでたち”に話を戻すと……

「維澄さん?もしかして、そのサングラスとマスクって変装のつもりですか?」」

「え?変装と言うか……目立たないようにしているだけだけど?」

「それ全く逆効果です。むしろ悪目立ちしてますよ?」

「え?そうかな?」

「そうですよ。普通の人はそんな大袈裟なサングラスかけません。だって今2月ですよ?どこのビーチに行くんすかってって感じになってますよ?」

「か、からかわないでよ?」

「いえ、まったくからかってません。ホント笑えないレベルです」

 維澄さんはしぶしぶサングラスをはずしたが、大きめのマスクと帽子で顔の大半を”大袈裟に”隠してしまった。

 恐ろしく高度なモデルトークをするかと思えば、こんなところが抜けているのが実は維澄さんの隠れた魅力でもある。

 だって凄いでしょ?このギャップ萌えの威力は?



 私達は、バスで盛岡駅まで移動した後、新幹線で仙台に向かった。会場はまだ出来たばかりの仙台で一番大きな高級ホテル、『イースティンホテル』だ。

 仙台駅から少しばかり離れたホテルまでは歩いて15分程かかる。

 ホテルまで歩く途中……

 怪しげないでたちの維澄さんにもかかわらず、その怪しさをも通り越したオーラからかすれ違う人たちは皆一様に維澄さんを凝視した。

 もう違うよね、ホントこの人は。歩くだけで何かが違う気がする。

 言葉では言い表せないけど……

 そして、実はもう一つ気付いたことがある。

 それは前に維澄さんと歩いた時に比べて明らかに”私を見る”人の数が増えているということ。

 やっぱり姿勢の件とか、プロポーションとか随分と維澄さんに鍛えられたのて私の見栄えもそこそこ変ったということなのだろうか?

 このエピソードはその感触を大いに感じることができた。

 今日は自意識過剰でもいいんだ。だってこれからオーデションの本番だもの。強気に言って何が悪い!!





 でも、私は会場のホテルの前に立って心底後悔した。

「やばい!やばい!」

「どうしたの檸檬?」

「めちゃ緊張してきた。なんなの?この高級感溢れるホテルは?ここでやるんですか?」

「ホテルが高級とかあまり関係ないでしょ?」

「ありますよ!あ~失敗したなあ。なんか帰りたくなってきた」

 私は急に、というかようやく”オーデションそのもの”に対する緊張感がふつふつと湧いてきてしまった。

「あはは。最初はみんなそんなものよ。大丈夫、きっと檸檬を見て他の参加者の方が焦るから」

「そんな煽てたってダメですよ?……でも”元カリスマモデルIZUMIと一緒”というアピールでもできれば確かに相手はビビると思うけどね?」

「そんなことできるわけないでしょ」

「やっぱ大騒ぎになるのかな?」

 そこまで言って維澄さんが本気で怖い顔したので、悪乗りするのをやめた。

 でも私だって少しは軽口をたたいて緊張をとりたい気分なんだかよ……



 そんな会話をしながら………



 ついに私達はホテルの入り口へ足を進めた。


 さあ、いよいよだ。



 ついに……



 始まる。
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