檸檬色に染まる泉

鈴懸 嶺

文字の大きさ
上 下
6 / 78

変わらぬ姿

しおりを挟む
 間違いない。やっぱり彼女は、元モデルのIZUMIだ。

 彼女が自らの名前を〝いずみ″と明かした後に、渡辺店長がメモ紙に〝維澄”という漢字を書いてくれた。

 

IZUMIという芸名は〝維澄〝という本名からくるものだ。


 私の部屋にある、一番目につくところで毎日見ている、フォトフレームに収まった一枚の写真。その写真はあるモデル雑誌でひっそりと掲載されていた。

 たった一枚の写真という手がかりしかなかった。雑誌に掲載されたモデル写真なら、もしかすると強い修正の掛かった写真かもしれない。ちょっと角度が変われば、本人と写真とは似ても似つかないかもしれない。

 そんなことを思うこともあった。

 私が憧れたのは本人ではなく、この写真。その写真から想像たくましくいろんな幻想が私の頭の中にできあがっていたのは確かだ。

 情報が少ない分、より想像が膨れ上がってしまったいた可能性だってある。本心を言ってしまえば、本人に“リアルで会いたい“なんて思ったことはなかった。

 幻滅してしまう可能性が高いと思っていたから。


 彼女の情報を調べつつもどこか”どうか分らないままでいて”なんて矛盾に満ちた思いもあった。そのうち熱も冷めるだろう。きっとリアルな世界で夢中になれる”異性”にでも出会えれば……

 しかしそんな想像こそ、全く意味のない妄想でしかなかったことが今、まさに想い知らされてしまった。


 信じられないが、彼女は写真のままだったのだ。いや、冷静に考えれば写真のままであるはずがない。写真の彼女は、最上のファッションに身を包み、最上のメイクを施されている。

 おそらくそのカットにしても何百枚も撮影されたデータの中から厳選された最上の一枚に違いない。

 その写真はこれと言った派手なポーズをとっていなかった。両手にちいさなブーケをもっただけの上半身の写真。でもその表情は、はにかみながら誰かに笑顔を送っていた。

 ”誰に向けた笑顔なんだろう?”

 私はたったそれだけの事で嫉妬心を覚えて心をざわつかせたこともあった。

 あの写真が撮られたから何年経っているのだろうか?今目の前にいる維澄さんの印象から推察するにきっと20代中ごろだと思う。

 それなのに全くのスッピンだ。でもそれに耐えられる透き通るような肌。これだけですでにありえない。だって女子高生の私が羨む程の綺麗な肌をしている。

 髪だって、栗色の美しいロングヘアーであったあの写真とは似ても似つかない無造作に纏められた髪型。

 なのになんで?私は胸が締め付けられる程に美しいと感じてしまっているの?


 また着ている衣装なんて酷いものだ。ホントにダサイドラッグストアーの制服にセンスのかけらもないエプロンまでつけている。どこを切り取ってもあの写真との共通点なんてない。


 こんなダサダサなユニホームを着て、綺麗に見える人なんているはずがないのに……


 それなのに、一瞬だった。彼女がどんな外見をしていようと、そんなものを突き抜けてその姿は……

 私の心を打ちのめしてしまった。


 彼女の魅力は、衣装とかメイクとか……そんな”後付け”されたものの影響なんて全く関係がない次元にいた。



 ”碧原維澄”です〝

たったその一言で、私は放心して立ち尽くしてしまっていた。

 そんな私がようやく我を取り戻すことが出来たのは、隣にいた渡辺店長が〝突然の爆弾を放って来たからだった。

「じゃあ、碧原さん?ちょうどお客さんいないから神沼さんに店内案内してもらっていい?できれば簡単に仕事の内容とかも教えてもらえると助かるんだけど」

 え?……

 う、うそ?……

 い、維澄さんが私に店内を案内する?私は突然の店長爆弾に、激しく動揺てしまった。

 私は恐る恐る維澄さんの顔をみると、ほらやっぱり……


そんな顔しないでよ。そんな困った顔。凹むな~。


 憧れ続けてきた維澄さんに店内を案内してもらうなんて、天にも昇る気分なのにそんなに嫌な顔されてれば逆に落ち込んでしまう。

「じゃあ、碧原さんよろしくね!」

 私と維澄さんの間にできてしまった微妙な空気なんて全く読みもせず、渡辺店長はそう一言残してさっさとスタッフルームへ消えてしまった。

さて……

 維澄さんと二人きりになってしまった。や、やばいでしょ?この緊張感。

 私はもやは彼女を直視できず、下を向いて目を泳がせてしまった。


「神沼さん?」

 突然、維澄さんが私の名前を呼んだ。

「は、はい!」

 維澄さんが、まさか自分の名前を呼ぶ日が来るなんてあまりに想定外過ぎて、パニックを起こしそうだ。

 維澄さんの声は綺麗なアルトの声だった。

 私は呼吸が乱れ、心拍数が跳ねが上がるのをギリギリの自制心で抑えつける。

「こちらから……」

 維澄さんは、私の『脳内独り相撲』なんて知る由もなく言葉少なくそう私を促した。

 維澄さんは、そそくさと、まるで私の存在を無視するかのようにレジを離れ、狭い店内の通路へ向かって歩き始めてしまった。

 私はただただ、慌てて後を追うしかない。

 ”このエリアは生活雑貨””ここは食品”……

 維澄さんは、私の顔を見ることもなく淡々と説明を始めてしまっていた。つくづく”やりたくもないことを仕方なくやっている”感が半端ない。

 そんなやっつけな維澄さんの態度に私はいちいち暗くなる。


 しかし無表情だった維澄さんの表情が”あるエリア”で微妙に動いた。

 ”そのエリア”に来た途端、彼女は下を向き……足早に通り抜けようとした。


 そのエリアとは……化粧品コーナーだ。


 そこには化粧品メーカの宣伝ポスターが何枚も貼られていた。もちろんそこに写るのは今をときめくモデル達だ。

 彼女は、それらのポスターから目線を逸らしながら辛そうな顔をした。

 元モデルだった維澄さんが、モデル達の写るポスターを避けるように、目を逸らす。やっぱり”過去に”何かあるんだ。

 ”維澄さんがIZUMIとして掲載されていた雑誌に、彼女の経歴がどこを探しても出てこない。あの一枚の写真ですらインパクトは相当なものだから、彼女が業界で話題になっていない訳がない。

 それくらいは私にだって分った。だからネットを探せばいくらでも情報は出てくると思っていた。


 それなのに何をやっても情報でてこない。

 ここまで出てこないのとなれば、意図的に情報が削除されてると考える方が自然だと思えるようになった。

 削除される理由は、どう考えてもネガティブなことしか思い浮かばない。

 雑誌の掲載号を考えると、一世代前に活躍したモデルだと思う。

 でも今、目の前にいる維澄さんは二十代中盤にみえる…。全然現役で通用する歳だし、もっと言えば、あの写真に写る姿と今の姿はあまり違いがないようにすら思う。

 ”意外に最近のことなのか?”

 彼女は、私のことを警戒している。それは過去の自分を知るかもしれない人間だからという気がしてならない。


 狭い店内だ。

 あっという間に、店内の説明は終わってしまった。


 さて……どうしたものか?

 維澄さんを目の前にずっとずっと押し込めていた私の本音が吹き出してしまった。私はただただ“この人のそばにいたい“

 だから……“これ以上深入りしてはいけない“と思っていた私は既に何処にもおらず……

 私の気持ちは”別の方向へ”走り始めてしまっていた。そうだ、ここでアルバイトをはじめてしまえばいい。

 そうすれば嫌が応にも、毎日、維澄さんにあうことができる。もう迷わない。


 悩んでも何も始まらない。

 迷っているなら行動だ。


 私はそう決意したが……その決意の顔を悟られたのか……

 私の決めたばかりの気持ちをに待ったをかける様に……

 維澄さんが初めて……

 ”必要最低限以外のこと”

 を口にした。


「神沼さん?……」

「は、はい……」

 私は彼女の表情の変化に緊張した。

「神沼さん……私のこと……知ってるんでしょ?」

 そういった維澄さんの表情は、全身が凍りつくほどに冷たいものだった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)

チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。 主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。 ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。 しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。 その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。 「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」 これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。

処理中です...