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SAKISAKA3~予感~

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 俺と向坂は、並んでA棟を目指した。まあ~面白いようにすれ違う男子全員が、必ず向坂を凝視する。まあ気持ちは分かるが、客観的に見るとかなりうざい。隣にいる俺がこれだけ思うのだから本人にしたら相当なストレスだと思う。

 いや、むしろ向坂クラスになると「慣れっこ」なのかもしれないが……

 さて高校生ならいざ知らず、大学ともなると男女が並んで歩いていてることになんの違和感はない。しかしさすがに俺と向坂の不釣り合いさは尋常でないらしくすれ違う誰もが眉をひそめて怪訝な顔をした。

「義人くん、さっきはなんか……ごめんね」

「いや、いやキャラ通りだから、あれで正解でしょ」

「え?キャラ通りって?」

「無遠慮なこと言いそうってこと」

「っ! ……そ、そんなことないから!」

「それを言うなら義人くんも随分無遠慮だと思うけど……」

「ハハハ……それは全く否定しない」

「そうだよ……結構焦ったよ……」

「焦りすぎでしょ……リアクション豊かすぎるね、向坂さんは……向坂さんのリアクションは読みやすい」

「普段はそうでもないんだけどね……なんか、義人くんにはいつも先読みされるようで……ちょっと焦る」

「そう?」

「なんか”侮れない感”出してるよ?」

「え?どんな感じなんだよ、それ?」

「フフフ……”田尻な感じ”かな?」

 なにこれ?このマニアな内輪ネタ、超~楽し~んだけど。さっきの鬱展開とは天と地の差だ。

 また、お世辞でもそんな評価をしてくれたことになんか頬がユルユルに緩んでしまった。もうニヤニヤして気持ち悪いレベル。

 最初に俺は、そもそも俺以外に田尻を知る学生がいるかどうかすら怪しいと思っていた。

 それがあっさり見つかるどころか……異次元美女の向坂ときたもんだ。

 俺の気持ち悪い頬の緩みも勘弁してほしい。

「俺が田尻に辿り着いたのはご指摘の通りオカルトなんだけど……向坂さんはなんでなの?ちょっと想像できないんだけど?」

「ああ~……なんていうのかな」

 おっと……声のトーンが若干落ちたな。

 向坂は明らかに、いままで見せなかった「陰」をここで見せた。

「ああ、いいよそれは。あとあと俺が探ってあげるから」

 そのトーンの変化を丁寧に救い上げた俺は、これ以上踏み込むことを止めた。

 ここは安易に触れていけない場所だ。

 同時に追々関係を継続する事を匂わせた俺、ナイス!

「あ、また先読みした……」

 そういいつつも向坂は少しホッとした表情を見せた……

ほら……な。

 A棟のカフェは、K大学にいくつかある軽食店の中でも一番広く、いわゆる「オサレ」な雰囲気のある人気スポットだ。

 俺一人ではこんな「オサレ」な場所は真先に敬遠するのだが、現金なもので向坂が隣にいると”このオサレな雰囲気は最高~!”なんて思ってみる。

 一限が終わったばかりだが、すでに学生の数はワラワラと多く、このカフェでもようやく見つけた2つの席に座ることができた。

 相変わらず、向坂を見る男子の目線と言ったら……

 二人ともブレンドコーヒーを頼んで、俺は砂糖、ミルクたっぷり。向坂はブラック。なんか俺だけ”おこちゃま”の様じゃないか。なんですか?体系維持にそこまでカロリー気にしますか?

 さて、カフェに来たものの、俺の読みが正しければおそらく向坂の目的は既に達成してるはずだ。つまり気まずくなってしまっていた俺との関係修復。

 だから席に着いたはいいが、「なんで二人でコーヒー飲んでるの?」という違和感が急に意識されてしまった。

 だってさっき会ったばっかだぜ?相手は異次元級の美女だぜ?

 さて、どうしたものかと思ってると、向坂から話を切りだしてくれた。

「でも、さっきはホント焦ったよ……」

「え?どの部分?」

「あの……義人くんがキレ気味になったところ?」

「いや……キレてないから」

 って、なんでカツゼツ悪いレスラーみたいになってんだよ?

「私、あまり……ああやって本音で反応される経験なくて」

「なんだよ。俺がデリカシーないみないじゃないか」

「うん、それはさっきも言った通り」

「うっ!……でもまあ、そうだろうな。みな向坂さんと仲良くなりたくていい顔するだろう。特に男どもは」

「たぶん……そうなんだよね。だからはじめて本音を突き付けられて……焦った。結局、私にそんな敵意をぶつける存在がいる訳ないと思いあがってたんだよね」

 まあ、そうだとは思っていた。

 しかし、俺が感心したのは、自分でそれを自覚して既に謙虚にそれを認めていること。

 あのまま、「こいつムカつく!」と俺を突き放しているような女性なら、どんなに美しい女性でも俺の関心もそこまでで終わっていただろう。

 だから、そうではない部分を見せられてしまうと……ちょっとヤバい気がする。やっぱこの女「さわるな危険」だ!!


 これで、ほぼ、さっきの「わだかまり」が解消した。

 だから、ようやく俺は、さっき食いつきたくとも躊躇してしまった「田尻」の話題を振ってみた。

「田尻の本はどこまで読んでるの?さっきの様子だと絶版まで知ってるみたいだけど?」

「実は、田尻先生の本、まだ全部読んでないんだよね」

「え?そうなの?」

「私が一番リスペクトするのはミンデルだから」

「ああ、そういうこと」

 ミンデルは田尻が最も影響を受けたアメリカ出身の深層心理学者だ。田尻はミンデルの真の後継者と言われるが、世界的に見れば天才ミンデルの知名度が圧倒的だ。そう言った意味では俺よりも向坂の方が「正統派」とも言える。

「義人くんはミンデルも読んでるでしょ?」

「ああ、まあね。でも日本語に翻訳されたのだけだな。まさか向坂は原典もおさえてるとか?」

「フフ!実はおさえているんだよね~」

「マジか?」

「そうなのよ~!褒めて褒めて!」

「何その勝ち誇った顔?」

「だって、これ言っても今まで誰にも褒められたことないから」

「ハハハ……そりゃそうだ」

 そりゃそうだ。ミンデルの原典を読破したところで、「へ~」以外の感想を持てる相手は今まで皆無だっただろう。

 しかし、彼女が原典まで読破したモチベーションにはやはり違和感を感じる。

 外見ばかりに目が言ってしまって申し訳ないのだが、どうしてもイメージが合致しない。その理由に本人が言い淀む程の「何か」があるのはさっきの会話から窺えたが、会ったばかりでまだそこに踏み込むことはできない。

 今、俺が見ている「ミンデル」を愛する向坂という人間は、きっと僅かな一部分でしかない向坂だ。

 彼女にとって心理学が関心の全てとは全く限らない。

 ここが「田尻全て」の俺との決定的な違いだ。

 例えば、普通の大学生にとって大きな位置を占めるであろう「サークル」に俺はおそらく入らない。田尻の研究サークルでもあれば別だが。

 向坂へのサークル勧誘は、それこそ激しい争奪戦になるのは想像に難くない。そしてそんなサークルでの人脈が、今後の大学生活で、おそらく向坂のメインとなっていくのは必然という気がする。

 そうなれば、俺の出る幕はない。悲しいがそれが現実。

 そこを間違えて踏み込みすぎれば、おそらく失敗する。

 やはり悲しいかな「生きてる世界が違う」のは明らか。

 しかし、それでも「田尻」「ミンデル」に興味があるという、普通はめったに起こり得ない共通点がこの向坂にあったというのは奇跡だ。

 彼女の「この容姿」がなくとも、そんな稀有な関係を、なんとか維持したいのが本音だ。

 そう容姿は関係なくとも……いや容姿は大切だけどね。

 そんなことを想像ていると、やはり彼女のメインロードになるであろうサークルの話題が気になり、ちょっと話を振ってみた。

 って何、がらにもなく踏み込もうとしてんだよ……深入りすると怪我するぞ!!



「向坂さんは、もうサークル決めたの?なんか”向坂争奪戦”凄そうなんだけど?」

「あれ?」

 ん?何、そのかわいい顔……でなくてキョトンとした表情は?

「あれ?義人くんは入るでしょ?」

「え?どこに?」

「田尻の研究サークル」

「……え?何それ?」

「知らないの?」

「はあ~?!……田尻サークルもってんの?」

「あれれ~?そりゃ田尻フリークとしてはモグリだぞ~?」

 向坂は楽しそうに突っ込んできた。”あれれ~”とかどこの名探偵だよ。

「でも実は今年できたばっかだから、ほとんど認知されていないみたい」

 そ、そうか……なんと田尻の研究サークルがあるのか……

「そりゃ入る、入るよ」

「だよね」

「で?だから向坂さんは、どのサークル入るの?」

「え?私だって入るよ?当然……田尻のサークル」

 お!お!お~、そう言ってほしかったけど、ちょっと自信がないのでわざとらしく聞いてしまいました。

「でも、他にも入るでしょ?イメージ的にその……大所帯のテニサー?みたいな?」

「ああ、どうかな~?勧誘は凄いんだけど。ちょっとね~」

「いや向坂がその手のサークルに入らないなんて暴動が起きそうだな」

「フフフ……まあ、それは否定しない。でも私って見かけと中身全然違うからね……だってミンデルとか読んでるし」

 大学に入学したばかりで既にミンデルの原典まで読破しているというのは、かなり特殊な女性だ。向坂がただ容姿が綺麗なだけの女子ではないのは確かにそうだ。しかし、普通に考えるとそんな女性が仮にたとしても、想像されるのはもっと違ったイメージにたどり着く。

 少しのギャップならまだ納得もできるが……向坂の場合は、その容姿の洗練のされ方が尋常でない。その落差が大きすぎている。

 それは「ギャップ萌え」のレベルを超えて、もう違和感しか感じない。

 俺は今後、この彼女から感じる「違和感」の正体に近づくことは果たしてあるのだろうか?

 向坂が言い澱んだ「何か」を知ることがあるのだろうか?

 全く根拠のない妄想かもしれないが……俺はそれに深くかかわっていく予感をすでにこの時に感じていた。

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