愛の裏切り

相良武有

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第十三話 冗談か?真実か?

④「さあ、今度は君の話す番だよ」

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 その頃、瑠偉には一年以上も続いているボーイフレンドが居た。大企業に勤める生真面目で実直なサラリーマンで、瑠偉を誠実に心から愛していた。だが、彼は金持でも才能に恵まれている訳でも無い、言わば、普通の男だった。二人の関係は静かに穏やかに続いていた。
 啓司はあの夏の大海原で瑠偉に一目惚れした後、猛烈に彼女にアタックを始めた。瑠偉がボーイフレンドと戯れていようが静かに囁き合っていようがお構い無しだった。啓司は背の高いがっしりした体躯で、太い眉に強い光を湛えた大きな眼と引き締まった口元が彼の気の強さを表出していた。それに、彼は資産家の息子だったので、金持ち特有の鷹揚さも併せ備えていた。瑠偉は小さな貿易商の長女で抜け目のない利口な娘だった。彼女は啓司の金にも惚れたのだった。
 啓司と瑠偉は一目で意気投合して無類の恋仲となった。
お互いに心の底まで語り合って秘密と言うものを持たなかった。そして、時の経過と共に、信頼し切った愛情で互いを愛し合い、自分と一心同体とも言うべき優しく献身的な伴侶として互いを愛した。
 だが、啓司の心の底には、瑠偉のボーイフレンドであった小林繁に対する奇妙な説明し難い怨恨のようなものがずうっと沈殿していた。瑠偉を最初に抱いて所有し、瑠偉の青春の花を手折って、その風情を多分に殺いだ繁に対する怨恨だった。瑠偉の思い出の恋人が啓司の幸せを傷つけるのであった。啓司は繁の秘密の細部やその習慣や人柄などを隅々まで知りたがった。そして、彼は繁を愚弄し、悪癖を探し、欠点を論ったりした。瑠偉は、その都度、如何にもご尤も、と言うように啓司の方が優れていると言うことを彼に解らせて、自分も一緒になって大笑いをし、昔の恋人を軽く茶化して啓司を喜ばせるのだった。
 今、啓司はその事で酷く興奮して瑠偉を両腕に抱き締め、口一杯にキスをしながら訊ねた。
「あのなぁ、君」
「何よ?」
「彼はだね、答え難いことだろうが、彼は、相当に、上手かったのか?」
瑠偉は啓司にキスを返しながら囁いた。
「あなたほどじゃ、なかったわ」
啓司は男の自尊心を呷られて嬉しくなり再び訊ねた。
「奴さんは上手くなかったんだな?」
瑠偉は答えなかった。ただ啓司の首の後ろに顔を隠して意地悪気に薄ら笑いを浮かべた。
「そうか、上手くなかったのか・・・」
瑠偉は頭を微かに動かした。
「そうよ、一寸も上手くなかったわ」
「君は退屈だったんだな、夜は?」
今度は、瑠偉は率直に答えた。
「ええ、全く、そうよ」
その言葉に又しても啓司は瑠偉を強く抱き締めて呟いた。
「なんて野暮な奴だったんだ!君は彼と一緒に居ても幸せじゃ無かったんだな?」
瑠偉が答えた。
「そうよ、いつも楽しくなんか無かったわ」
啓司は繁と自分を比べてみて、うっとりするほど嬉しくなった。
俺の方が、断然、上手いんだ!・・・

 彼は暫く口を利かずに黙って座っていたが、急に燥ぐように訊ねた。
「あのなぁ」
「何よ?」
「君は俺に何でも在りの儘をいつも言ってくれるよな?」
「そうよ」
「秘め事は無いんだよな、二人の間には・・・」
「勿論よ」
「それならさ、実は・・・君は一度も、俺を・・・この俺を、だな、・・・裏切るといったような、そんな気を起こしたことは無いのかね?一度も・・・」
瑠偉は「おお!」と微かに言って、啓司の胸に一層ぴったりと顔を押し隠した。だが、彼女は笑っていた。
啓司はもう一度念を押すように言った。
「さあ、其処のところをはっきり言うんだよ、二人に隠し事は無いんだろう?」
 啓司は思った。
もし、瑠偉が俺を裏切るような気を起こしていたなら、彼女は貞淑な女ではなかったということだな!・・・
然し、瑠偉は答えなかった。何か酷く可笑しなことを思っているのか、相変わらず笑っていた。
そこで啓司は繰り返して言った。
「さあ、さあ、早く言いなよ、何もかも、有りの儘を。言ったところで別に俺はどうってことは無いんだから、さ」
そこで、瑠偉は息を詰まらせながら、口籠った。
「良いわ、解ったわ。言うわ、言うわ」
啓司は尚も嗾けた。
「言うって、何を言うんだ?さあ、みんな喋ってみなよ、早く」
 瑠偉はもう笑わなかった。そして、快い打ち明け話を待って居る筈の啓司の耳元に口を寄せて呟いた。
「そうよ、あたし、裏切っちゃったのよ」
啓司は骨までぞくっとして、思わず身震いした。そして、呆気にとられながら、早口に言った。
「君、あの、裏切ったなんて・・・真実か?」
瑠偉は、啓司がとても面白がっている、とばかり思い込んでいたので、答えて言った。
「そうよ、真実に、よ・・・真実に」
思わず啓司は椅子から立ち上った。女房に裏切られたことを知って興奮し、息を弾ませて動転した。
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