愛の裏切り

相良武有

文字の大きさ
上 下
27 / 104
第十一話 復讐する女

④「あたし、先生に手術をして貰ったの」

しおりを挟む
 暫くして、落ち着いてから、吾郎は改めて紗友里を引き寄せた。彼女は裸の躰を吾郎に押し付けて来た。肌の温もりを感じながら彼は紗友里の躰を弄った。脇から腹へ、そして腰へ、それから右手を紗友里の左の尻に触れた時、吾郎は指先にざらざらした感触を覚えた。
傷か?・・・
ぎざぎざした感触は、間違いなく、皮膚の傷跡であった。左の腰骨の出っ張りから太腿の外側へかけて、弧を描きながら三十センチはあった。
彼女が固定手術を?・・・
それは確かに、左股関節固定術による皮膚切開の痕だった。
紗友里がしゃがれた声で言った。
「先生、お医者さんでしょう?」
「そうだが・・・」
「K大学附属病院の・・・」
「“圭”のママに訊いたのか?」
「訊いたことは訊いたけど、確かめただけよ」
「確かめた?」
「先生、あたしを知らない?」
「君を?」
吾郎は知っている女性の顔を頭に思い浮かべてみたが、彼女の顔に心当たりはなかった。
「知らないなぁ・・・」
紗友里は小さく笑ってから言った。
「あたし、先生に手術をして貰ったの」
「俺に?・・・いつ頃だ?」
「三年前・・・」
 三年前と言えば、吾郎は二年間のインターンを終えて独り立ちの医者になったばかりだった。それほど多くの手術をした訳ではないが、それでもかなりの数のオペはやった。若い医師に経験と技術をつけさせる為に教室では積極的に施術させていた。無論、講師や先輩や助教が付き添ったり立ち会ったりしたが、実際にメスを握ったのは駆け出しの医師や研修医が中心だった。
「君、名前は何と言うんだ?」
「今の名前?それとも以前の名前?」
「と言うと?」
「手術を受けた時、あたし、結婚していたの。その時の名前は相原優よ。どう?思い出してくれた?」
そう言われても、吾郎には思い出すべき記憶が無かった。大体が、手術した患者の名前や顔など、余程のことが無い限り憶えて置くことはない。
「あたし、手術の後、別れたの、夫と・・・」
「別れた?」
「うん。先生だから全部話しちゃうけど・・・」
「どうして別れたんだ?」
「結婚して一年以上も経っていたんだけど、手術したら三カ月で逃げられちゃったの」
「逃げられた?・・・酷い男だな」
「手術をした後、全然面白くない、って」
「面白くない?」
「あれが詰まらなくなった、って言うの」
「あれ?」
「嫌ぁね先生、女のあたしにそんなことまで言わせるの?」
紗友里は吾郎の顔を見てけらけらと嗤った。その嗤いを聞いて彼は、紗友里がセックスのことを言って居るのだと理解した。
「あたしは申し訳ないと思ったんだけど、動かないんだからどうしようもなかった」
「・・・・・」
「面白くない分、一生懸命に尽くしたんだけど、駄目だったわ」
吾郎は今し方の満たされぬもどかしさを思い起こした。
あれでは男が飽いて来るのも無理はないかな?・・・
「あの人もあたしも、もの凄く愛し合っていたの」
紗友里は遠くを見る眼差しで言った。
「でも、彼が他の女を知ってしまってから・・・仕方無いわよ、あたしがこんな躰になってしまったから」
確かに、別の女を知ったら去って行くかもしれないな、と吾郎は改めて思った。
「じゃ、それから?」
「夫に逃げられた後、ぐれたのね。会社を辞めて酒やたばこを覚えて、おまけに自殺までやっちゃって」
「自殺?」
「夫宛に遺書を書いて薬を呑んだの。でも助けられて未遂に終わっちゃった・・・」
「逃げた男のことが忘れられなかった、と言う訳か?」
紗友里はそれには直接答えずに話を続けた。
「後はもう崩れっ放しで、ずっと一人よ・・・一人で男漁りをしているの」
「然し、君は未だ若いんだし・・・」
「駄目よ。みんなあたしの躰のことを知らないで近づくんだから・・・」
「・・・・・」
「男と女はやっぱりあれが上手く行かなかったら駄目なのよ。幾ら、好きだ、愛している、って言ったって、一度寝るとみんな逃げ去って行ったからね。誰も二度とあたしを抱かなかったわ」
「それで男漁りを続けているのか?」
「そう。これでもか、これでもか、って・・・その内、こんなあたしでも良い、って言ってくれる人が現れるかも知れないしね」
「然し・・・」
「でも、先生と逢えたから、もう必要ないかもね」
「俺と?」
「だって、先生は逃げないでしょう?」
「逃げない?」
「あたしをこんな躰にしたのは先生よ」
「だから誘ったのか?」
「そう。怒った?」
吾郎はやり切れない気持になって来た。
「逃げる気なの?狡いわ。それとも、あたしが怖いの?」
「そんなことは無いが・・・それで、痛みは未だ在るのか?」
「もう無くなったけど・・・でも、痛い方が良かった」
「何故?」
「だって、あのままなら大好きだった夫と別れなくて済んだし、こんな男漁りもせずに済むし、もっと良いことがいっぱい有っただろうし・・・」
「然し、あのまま放って置けば痛みは酷くなるばかりだった」
「ねえ、もう済んだことは仕方無いわ。それより、この脚の此処、もう一度動くようにはならないの?」
「股が?」
「そう、これくらいで良いから、股を拡げたいの」
紗友里は両手で十センチくらいの幅を作った。
「駄目?」
「今更言われても・・・」
「出来ないの?」
「痛みは無くなったんだし、外見からは殆ど判らないんだから・・・」
「それはお医者さんの理屈よ」
「医者の?」
「そうよ。患者になったことが無いんだから、解らないわよね」
「・・・・・」
紗友里が吾郎に対してだけでなく、男そのものに復讐しているのは明らかだった。
彼は何か重大な過ちを犯した気持に捉われた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

形だけの妻ですので

hana
恋愛
結婚半年で夫のワルツは堂々と不倫をした。 相手は伯爵令嬢のアリアナ。 栗色の長い髪が印象的な、しかし狡猾そうな女性だった。 形だけの妻である私は黙認を強制されるが……

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

最近様子のおかしい夫と女の密会現場をおさえてやった

家紋武範
恋愛
 最近夫の行動が怪しく見える。ひょっとしたら浮気ではないかと、出掛ける後をつけてみると、そこには女がいた──。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

処理中です...