愛の裏切り

相良武有

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第十話 行違った愛の思い

②「あなた、ラブレターを書いたこと有る?」

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「あなた、ラブレターを書いたこと有る?」
突然に美沙が話題を変えて来た。
「えっ、何だって?」
「だから、ラブレターを書いたり、貰ったりしたことは無いの?」
「そりゃ、貰いもしたし、書きもしたよ。君は無いのか?」
「わたしは貰ったことは有るけど、書いたことは無いわ」
「ラブレターを書くと返事が気になって、な。早く来ないものかと心待ちにする。返事が来て封を開ける時の一寸したときめきのようなものは忘れ難いからね。然し、返事は待ち遠しいが、余りにも早く返って来てしまうと却って興ざめになる。待つという期待の時間が奪われてしまうからね。時間をかけて言葉を探し、自分の思いを何とか相手に伝えたいと書いたラブレターに呆気無く返事が返って来ると、嬉しさが希釈されたように感じる」
「あなた、心から愛する、ってどういうことだと思う?」
「何だよ、急に、また・・・」
「ラブレターの続きよ」
「ある特定の異性の前に立つと、自分が最も輝いていると感じることがあるだろう。それが即ち、相手を愛しているということなんだよ。その相手の為に輝いて居たいと思うことが愛するということだ」
「それはちょっと利己的過ぎない?愛とは相手を深く理解し、想うことであって、掛け替えの無い存在として相手を大切にすることではないのかしら?極論すれば、自分を捨ててでも相手に尽くすという利他的なものだと思うのよ。自分の輝きを見つける為に相手を愛するというのは本末転倒だわ」
「然し、な。相手を深く愛し自分より大切に思えると言うのは、それはそれまでに無かった新しい体験だろう。ああ、自分はこんなにも相手を深く思うことが出来るんだという喜びを感じる時、そう思える自分は輝いているよな。輝いている自分をはっきり感じることが出来るよな。愛する人を失った時、失恋でも死別でも、それが痛切な痛みとして堪えるのは、愛の対象を失ったからではなく、その相手の前で輝いていた自分を失ったからじゃないのか」
「そう言う風に考えると、今のように、用を足す短文だけで大丈夫なのかと思ってしまうわね」
「うん。書くことは考えることだからね。書くという行為は、自分の考えが徐々に整理されて行くのが実感出来る。誰もが使う出来合いの言葉を避け、自分の実感に最もフィットする言葉を探し乍ら書くという行為は、自分の考えを整理すると共に、思ってもいなかった考えの飛躍をもたらすことがある。それは、我々が普段、何かを突き詰めて考えるということが少ない所為だと思うよ」
「そうね。メールやツイッターは思考の断片化を促進するから、短い言葉だけで用を足す生活に慣れ過ぎると、物事を基本に立ち返って考える習慣に乏しくなる。用を足すだけの短文で身の周りの友人や恋人と繫がっていて、果たして真実に大丈夫なのだろうかって私も思うわ」
「コミュニケーションの基本には元々言語化出来ない感情や思想が有るが、それを便宜上デジタル化した言語で相手に伝えようとするに過ぎない。伝えられた方が単にデジタル情報として読み取るのではなく、デジタル情報の隙間から漏れて終った筈の相手の思いや感情を、自分の内部に再現して初めてコミュニケーションは成立するんだ」
「真実のコミュニケーションとは、相手が言語化し切れなかった間を読み取ろうとする努力以外の何物でもないのね。それが思い遣りとも呼ばれるところのものであるのよね」
 信吾は美沙と同じようにその話し合いに夢中であったし、彼女と同じように心の底から感動してもいた。然し彼はそれと同時に、自分の方には不誠実な面が多分に在り、彼女の方は専ら単純素朴なだけと言うところが少なくないことに気付いても居た。それに彼は、最初のうちは彼女のそうした感情の素朴さを軽蔑していたのだが、その内に、信吾の愛によって美沙の人間性が深みを増し、美しく開花したのを見るに及んで、最早それを軽蔑出来なくなった。寧ろ、美沙の温かい安らかな生活の中に自分も入ることが出来れば、さぞかし幸福であろうという気持になった。二人で交わし合った対話は準備工作のようなもので、窮屈なぎこちなさは次第に取り除かれ、彼はそれまでのもっと大胆な女達から教わった幾つかのことを彼女に教えた。美紗はうっとりとなって神聖なまでの激しさを示しながらそれに応じて来た。
或る夜、ダンスの後で彼等は結婚の約束をし、美沙は自分が金持であることを語り、二億円に近い個人財産があることを信吾に告げた。
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