京都慕情

相良武有

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第十話 男の中の男

⑤「スター歌手と前科者じゃ、月とスッポンだ、洒落にもならないよ」

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 嶋木は自分から梨乃に電話を入れたり彼女を誘ったりはしなかったが、梨乃からの電話や食事の誘いには、世間やマスコミに知れないよう最大限の警戒をしながら、必要最小限の対応はした。そして、一年の月日が流れたが、二人が男と女の関係になることは無かった。
嶋木はいつもこう言った。
「スター歌手と前科者の俺じゃ、月とスッポンだ。洒落にもならないよ」
梨乃がいつも同じことを訊ねた。
「それじゃ、私たちの関係はこの先、どうなるのかしら?」
嶋木はいつもこう答えた。
「どうにもならないさ。二人の間に、“関係”なんて、何も無いんだよ。二人の人生が交じり合うことは無いのさ」
梨乃が訊いた。
「それは、わたしが人気の歌手だから?」
嶋木が話を打ち切るように言った。
「そういう話には答えられないね。要するに二人の間には何の関係も無いと言うことだ」
 その深夜、梨乃はマンションのベッドに横たわりながら、まるで過去の日記帳を整理するように、嶋木との間に起こったこれまでのことを反芻し点検していた。
人目を避けた夜の暗闇で彼女に話し掛ける彼の声は低く静かで優しかった。名も知らぬ小さな公園を歩きながら彼の手を握ったこともある。たった一度だけ届いた彼の手紙の筆跡は、いかにも男らしく強く太い線で、くっきりとした書き方であった。
そして、又も、あの光景が梨乃の胸に鮮やかに蘇えって来た。
酔っぱらいに絡まれて足を挫いたところを助けられ、介抱して貰った夜のクラブのこと、ダイニング・バーで騒ぐ客を鎮めて梨乃の歌を静かに訊くように仕向けてくれた嶋木の男気を、彼女は思い出していた。
 その時、スマホの電話が鳴った。思い掛けなく、それは嶋木からのものだった。彼の声はいつも通り低く静かだったが、何やら酷く躊躇いがちであった。彼女の胸はどきりとした。
「ちょっと、頼みごとがあって電話をした。聞いて貰えると助かるんだが・・・」
「頼み事、って?」
「もう直ぐ小さな店を開くんだが、その店に君の名前を冠せたいんだ。駄目だろうか?」
「どう言う名前にするの?」
「うん。“クラブ梨乃”って名付けたいんだが・・・」
「クラブ梨乃?良いじゃない、大丈夫よ、是非、その名前にして欲しいわ」
「そうか、有難ぇ、助かったよ」
梨乃は、嶋木が自分のことを思ってくれていることを察して、嬉しく思った。
「ねえ、あなたの頼み事は聞いたから、今度はわたしのお願いを聴いてよ、ね」
「えっ?」
「明日、わたし、夜は空いているの、一緒に食事をしてくれない?」
「然し、それは・・・」
「大丈夫よ。繁華街を離れた小さなシティホテルの馴染みの店なの。誰にも見つからない隠れ家なの。九時にリザーブを入れて置くから・・・ね」
「う~ん、俺はどうしたら良いか・・・」
彼の声は少し擦れた。
「もうず~っと長い間、何処へも出かけていないの、わたし。ねえ、お願い・・・」
 
 次の日の夜、嶋木は梨乃のマンションを目指してタクシーを走らせた。
広いメインストリートを曲がってリバー・ブリッジを渡り、公園に沿った道をゆっくりとタクシーは走った。
嶋木はまるで若い男が女の子を初めてデートに誘う時のように、ちょっとばかり神経質になっていた。車の窓から見た公園の中には、夏の盛りのように、青々と繁る大木の下を若い恋人たちが散策していた。ホッとするように彼の気持が和んだ。
 タクシーをマンションの向かい側に停めた嶋木は、通りを横切ってマンションの中の廊下へと進んで行き、エレベーターに乗った。
梨乃はハンドバッグを抱えて白い花模様のドレスで部屋の入口に現れた。何とも目立たない地味な形だった。
「あぁ、嶋木さん・・・」
彼女はちょっと改まった時の少女がするように、手を伸ばしながら言った。
「やっと、来てくれたのね、嬉しいわ」
嶋木も握手をするようにして応じた。
「久し振りだな、君」
片手で口許の微笑いを覆いながら、彼女はもう片方の手でオートロックのドアを閉めた。
二人は黙ったまま玄関を出て、タクシーの方へ向かった。
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