京都慕情

相良武有

文字の大きさ
上 下
42 / 83
第八話 恋のさや当て

④綾香、朝帰りの純を怒鳴りつける

しおりを挟む
 彼女は自分のマンションへ帰らなかった。
午前一時、花見小路の地下酒場に純の姿が在った。強烈なロック音楽に合わせてディスコ族が躍っていた。中には、踊らないで抱き合ったり、キスしたりしている連中も居た。身も心も揺さぶるリズムの中で、全てを忘れようとでもするかのように純は踊り狂った。
 その夜、純からの電話は無かった。綾香と純は互いの安否を確認の為に、毎晩、就寝前に電話をし合うことになっていた。これまで、仮令、出張や旅公演などで遠く離れていても、電話を欠かすことはお互いに無かった。午後十二時を回った時点で綾香は純の携帯に電話を入れた。「ただ今、電話に出ることが出来ません・・・」の着信音が返って来た。彼女は改めてマンションの固定電話にも架電したが、「ただ今、留守にしております・・・」の留守電になっていた。
どうしたのだろう?何かあったのかしら?・・・
綾香は取り敢えず午前一時を廻るまで起きて待って居た、が、電話のかかって来る気配はなかった。
 翌日、綾香は仕事の合間を縫って幾度と無く純に電話を入れたが、その度に着信音と留守電の知らせが返って来るだけだった。
 仕事を終えた後、彼女は川端二条の純のマンションへ行ってみた。互いに合鍵を持ち合って居たので部屋に入ることは直ぐに出来たが、純が部屋へ帰っている様子は見られなかった。
 十二時・・・、一時・・・、三時・・・、五時・・・綾香がうとうとと転寝をした午前六時を回った辺りでドアの開く音がした。綾香がハッとして眼を開けると、足元の覚束無い純が帰って来た。綾香はほっと安堵の思いを胸に抱いたが、純の思いがけない姿を見て心が混乱した。
「何処へ行っていたの?純。もう朝じゃ無いの」
「嫌になったの、わたし・・・」
純はそう言って野菜籠に入って居たトマトを掴んだ。
「何かあったのね?」
綾香はぐっと気持ちを抑えて訊ねた。
「在ったらどうだって言うのよ!」
純ががぶりとトマトに齧り付いた。
綾香は情けない妹の姿に思わずカッとなって怒鳴った。
「純!坐りなさい!」
純がだらしなく崩れ、ゴロっと横になった。
「純、そのザマは何?」
「フン」
鼻の先で嗤った。
「女の娘がそんなだらしの無いことでどうするの?」
「どうなろうと私の勝手でしょう」
「一体どうしたの?取り返しの着かないことになったらどうするのよ!」
純が高らかに笑った。
「ハッハッハッハ!」
「もう女優なんか止しなさい!」
「詰まらないお節介は沢山よ!」
純はトマトを綾香に投げつけて立ち上がった。
「純!」
綾香は力任せに純を浴室に連れ込んで、冷たいシャワーを彼女の頭に浴びせた。
「何するのよ!」
純はずぶ濡れの顔を上げて叫んだ。
「姉ちゃんこそ何よ!貞女みたいな顔をして、こそこそやってないで、堂々と早く結婚でも何でもしたらどうなのよ!」
胸にドキンと来た綾香が震える声で訊ねた。
「それ、どういう意味?」
「自分の胸に聞けば良いわ・・・厭らしい、目障りよ!」
純はふらつく足で立ちあがった。
「さあ、もう帰ってよ、わたしはこれから寝るんだから」
後も見ずに純はベッドルームへ入って行った。
その背中をじっと見送りながら綾香はハッとして、背中に冷たい刃を突き付けられたように感じた。彼女は逃れるようにして純のマンションを後にした。
 その日の夜、謙二はマンションで綾香にコーヒーを煎れて差出した。
「純ちゃん、知ったんだよ、僕達のことを・・・」
綾香はじっと考え込んで返事をしなかった。
「他に考えようが無いよ」
「・・・・・」
綾香は大きく吐息を吐くとハンドバッグを掴んで帰ろうとした。
「帰るわ、私・・・」
謙二は彼女の傍へ寄って、言った。
「いつまでも隠して置けるものでもないだろう?」
「あなたは私なんかよりも、もっと若くて綺麗な人と・・・」
「あなたは不正直だよ、素直でないよ。僕が純ちゃんに逢って、話を着ける!」
洋服ダンスの方へ行きかけた謙二の前へ廻って、綾香は必死で拒んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ルビコンを渡る

相良武有
現代文学
 人生の重大な「決断」をテーマにした作品集。 人生には後戻りの出来ない覚悟や行動が在る。独立、転身、転生、再生、再出発などなど、それは将に人生の時の瞬なのである。  ルビコン川は古代ローマ時代にガリアとイタリアの境に在った川で、カエサルが法を犯してこの川を渡り、ローマに進軍した故事に由来している。

モザイク超短編集

相良武有
現代文学
 人生のひと時の瞬く一瞬を鮮やかに掬い取った超短編集。 出逢い、別れ、愛、裏切り、成功、挫折、信頼、背信、期待、失望、喜び、哀しみ、希望、絶望・・・ 切り詰めた表現が描き出す奥深い人生の形。人生の悲喜交々が凝縮された超短編ならではの物語集。

大人への門

相良武有
現代文学
 思春期から大人へと向かう青春の一時期、それは驟雨の如くに激しく、強く、そして、短い。 が、男であれ女であれ、人はその時期に大人への確たる何かを、成熟した人生を送るのに無くてはならないものを掴む為に、喪失をも含めて、獲ち得るのである。人は人生の新しい局面を切り拓いて行くチャレンジャブルな大人への階段を、時には激しく、時には沈静して、昇降する。それは、驟雨の如く、強烈で、然も短く、将に人生の時の瞬なのである。  

人生の時の瞬

相良武有
現代文学
 人生における危機の瞬間や愛とその不在、都会の孤独や忍び寄る過去の重みなど、人生の時の瞬を鮮やかに描いた孤独と喪失に彩られた物語。  この物語には、細やかなドラマを生きている人間、歴史と切り離されて生きている人々、現在においても尚その過去を生きている人たち等が居る。彼等は皆、優しさと畏怖の感覚を持った郷愁の捉われ人なのである。

半欠けの二人連れ達

相良武有
現代文学
 割烹と現代料理の店「ふじ半」の厨房から、店へやって来る客達の人生の時の瞬を垣間見る心揺するハートフルな物語の幾つか・・・  人は誰しも一人では不完全な半人前である。信頼し合う二人が支え合い補い合って漸く一人前になる。「半欠け」の二人が信じ合い解り合って人生を紡いで行く・・・

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

詩集「支離滅裂」

相良武有
現代文学
 青春、それはどんなに奔放自由であっても、底辺には一抹の憂愁が沈殿している。強烈な自我に基づく自己存在感への渇望が沸々と在る。ここに集められた詩の数々は精神的奇形期の支離滅裂な心の吐露である。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...