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第二話 すれっ枯らし
⑤「美香、相手は俺じゃ駄目か?」
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「悪かったねえ、こんなに遅くに」
「未だ午後八時前だ。そんなに遅い訳じゃないよ」
「車を飛ばして来たのでしょう。一寸入ってお茶でも飲んで行ってよ。お酒を一杯飲んで帰ってと言う訳にもいかないけどさ」
「いや、俺も仕事を終わって家に帰ったばかりだったからよ、そうもしていられないんだ。心配なことが無いのなら、このまま帰るよ」
「心配なことなんか何も無いけど、でも、プライベートに会うのなんて久し振りじゃないの。直ぐ帰るんじゃ、淋しいよ」
「なに、これで家が判ったから、また、改めて昼間に来るよ」
「そんなこと言わないでさ、立ち話もなんだから、まあちょっと入ってよ、ね」
先にたってスリッパを揃え、中に入った美香の後ろから、それもそうだな、と俊介が逡巡しながらも従いて入って来た。
「今、お茶の用意をするから、そこに座って一寸待っていてよ」
リビングの椅子に俊介を座らせて、美香はキッチンへ立った。
「俊ちゃん、仕事の方はその後どう?順調に行っている?」
お茶の用意を整えてリビングに戻った美香に、俊介が黒い顔を一撫でして応えた。
「まあな。まだまだ順調じゃないけど、一応は自前でやっている。漸く一寸、目鼻が付いて来たよ」
「そう、そりゃ良かった。でもあんた、偉いわねぇ。で、奥さんは?」
「居ないよ。俺は未だ独身だ」
「あら、勿体無い。早く奥さんを貰わなきゃ」
「歳は三十を越した、口喧しい母親は居る、そんな母ひとり子一人の所に嫁に来るような物好きな女は、そう簡単には、居ないよ」
「あっ、お母さん、未だ元気なんだ」
息子と同じように色が黒くて、口八丁、手八丁だった俊介の母親を思い出して、美香はふっと微笑を誘われた。
「ああ、未だ六十歳前だから、元気なもんだよ」
「そりゃそうと、俊ちゃん、夕飯未だじゃない?車だからお酒は駄目だけど、ご飯なら大丈夫でしょう。私も未だなのよ、一緒に食べてよ、ね」
弟達と食べようと昼間作った手料理を頭に浮かべて、美香は俊介に晩御飯を勧めた。
「そう言えば、腹ペコだな」
「そうよ、仕事から帰って直ぐに駆けつけてくれたんだもの」
全く勇一ったら仕様の無い奴だ、生真面目な俊介にこんな面倒を頼んで、自分はさっさと料理屋へ行ってしまった、と美香は俊介を少し気の毒に思った。
「今、支度するからね」
ご飯は電器炊飯器に入っているし、料理は電子レンジで温めればよい、十五分もあれば用意出来るだろう、と美香は再びキッチンへと立った。気持ちは大分明るくなって来ていた。
「勇一とは時々会っていたの?」
「いや、それがさ」
俊介が、キッチンの美香に聞こえるように少し声を大きくして、言った。
「もう大分前になるんだが、室町に在る一寸大きな呉服店の、坪庭の仕事を頼まれたことがあってさ。そこの庭づくりをしていたら、偶然に勇ちゃんに会ったんだよ。その会社で営業の仕事をしていると言うから吃驚しちゃったよ、全然知らずに行ったからさ」
「へ~え、そんな事も有るんだ」
「で、仕事が終わった後、随分久し振りだからって、二人で飲んだんだ。その後も、偶に、勇ちゃんから電話を貰って、一緒に飲んだけどね。あいつは何時もあんたのことを心配し、感謝しているみたいだったぜ」
「へ~え、どうだか・・・」
勇一は子供の頃によく面倒を見て貰った俊介を、実の兄のように慕っていたのかもしれないな、と美香は思った。
「勇ちゃんも立派になったな、係長だと言うからね」
「あのね、今日の昼過ぎにさ」
美香は話題を変えた。頭上を飛び過ぎたつばめの姿が頭に思い浮かんでいた。
「家に帰る途中で、つばめを見たのよ。あれ、今年初めて見たような気がするわ」
「つばめ?そうか、初つばめか?初つばめは何か良いことがある前兆れだと言うからな」
そう言いながら、俊介の中で、不意に何かが、瞬間的に、ぱん!と大きく弾けた。
「美香!」
突然、俊介が強い口調で呼びかけた。
「勇ちゃんが結婚したら、次は美香の番だな!」
「そうね・・・」
俊介は食事の箸を置いて、真剣な強い眼差しで、美香をじっと見つめた。
「美香、相手は俺じゃ駄目か?」
「えっ? あっハッハッハッハ」
余りに唐突な話に美香は思わず笑い出した。
「だってね、私は十年以上も水商売の世界にどっぷりと足を突っ込んで来た女よ。こんなすれ枯らしを嫁にしたら、世間様から後ろ指を差されるよ。それは止した方が良いよ、俊ちゃん」
「美香は、すれ枯らしなんかじゃないよ!子供の頃から母親の看病をし、家の用事をし、弟の面倒をよく見て来た優しい奴だよ。それは俺が一番よく知っているよ」
「あんたの店の信用にも傷がつくし商売にも影響するわよ。冗談言わないで」
「仕事は実績と腕とセンスだよ。それが信用ってもんだ」
「・・・・・」
「真実に、俺じゃ駄目か?」
「駄目じゃないけど・・・」
「なら、真面目に考えてみてくれよ、な、美香」
美香もじっと俊介の眼を見返した。
「うん。ありがとう。考えておくわ」
俊介が帰った後も、美香の心には彼の強い真剣な視線が突き刺さっていた。
俊ちゃんと一緒になって、植木屋の嫁さんになるのか・・・そうなると、直ぐにでも水商売の足を洗わなければいけないなあ。それから、造園や植木の勉強もしなければならない。そうして水商売の気がすっかり抜けたら、俊ちゃんの嫁さんにして貰おうか・・・
然し、彼女は其処でふっと笑った。一瞬膨らんだ希望が破れた風船のように萎んで、美香は冷酷な現実に立ち戻った。
何を馬鹿な夢を見ているんだい、小娘じゃあるまいし・・・
だが、美香の胸には温かいものがじわ~っと拡がっていた。その温い感慨に美香は暫し心を泳がせた。
「未だ午後八時前だ。そんなに遅い訳じゃないよ」
「車を飛ばして来たのでしょう。一寸入ってお茶でも飲んで行ってよ。お酒を一杯飲んで帰ってと言う訳にもいかないけどさ」
「いや、俺も仕事を終わって家に帰ったばかりだったからよ、そうもしていられないんだ。心配なことが無いのなら、このまま帰るよ」
「心配なことなんか何も無いけど、でも、プライベートに会うのなんて久し振りじゃないの。直ぐ帰るんじゃ、淋しいよ」
「なに、これで家が判ったから、また、改めて昼間に来るよ」
「そんなこと言わないでさ、立ち話もなんだから、まあちょっと入ってよ、ね」
先にたってスリッパを揃え、中に入った美香の後ろから、それもそうだな、と俊介が逡巡しながらも従いて入って来た。
「今、お茶の用意をするから、そこに座って一寸待っていてよ」
リビングの椅子に俊介を座らせて、美香はキッチンへ立った。
「俊ちゃん、仕事の方はその後どう?順調に行っている?」
お茶の用意を整えてリビングに戻った美香に、俊介が黒い顔を一撫でして応えた。
「まあな。まだまだ順調じゃないけど、一応は自前でやっている。漸く一寸、目鼻が付いて来たよ」
「そう、そりゃ良かった。でもあんた、偉いわねぇ。で、奥さんは?」
「居ないよ。俺は未だ独身だ」
「あら、勿体無い。早く奥さんを貰わなきゃ」
「歳は三十を越した、口喧しい母親は居る、そんな母ひとり子一人の所に嫁に来るような物好きな女は、そう簡単には、居ないよ」
「あっ、お母さん、未だ元気なんだ」
息子と同じように色が黒くて、口八丁、手八丁だった俊介の母親を思い出して、美香はふっと微笑を誘われた。
「ああ、未だ六十歳前だから、元気なもんだよ」
「そりゃそうと、俊ちゃん、夕飯未だじゃない?車だからお酒は駄目だけど、ご飯なら大丈夫でしょう。私も未だなのよ、一緒に食べてよ、ね」
弟達と食べようと昼間作った手料理を頭に浮かべて、美香は俊介に晩御飯を勧めた。
「そう言えば、腹ペコだな」
「そうよ、仕事から帰って直ぐに駆けつけてくれたんだもの」
全く勇一ったら仕様の無い奴だ、生真面目な俊介にこんな面倒を頼んで、自分はさっさと料理屋へ行ってしまった、と美香は俊介を少し気の毒に思った。
「今、支度するからね」
ご飯は電器炊飯器に入っているし、料理は電子レンジで温めればよい、十五分もあれば用意出来るだろう、と美香は再びキッチンへと立った。気持ちは大分明るくなって来ていた。
「勇一とは時々会っていたの?」
「いや、それがさ」
俊介が、キッチンの美香に聞こえるように少し声を大きくして、言った。
「もう大分前になるんだが、室町に在る一寸大きな呉服店の、坪庭の仕事を頼まれたことがあってさ。そこの庭づくりをしていたら、偶然に勇ちゃんに会ったんだよ。その会社で営業の仕事をしていると言うから吃驚しちゃったよ、全然知らずに行ったからさ」
「へ~え、そんな事も有るんだ」
「で、仕事が終わった後、随分久し振りだからって、二人で飲んだんだ。その後も、偶に、勇ちゃんから電話を貰って、一緒に飲んだけどね。あいつは何時もあんたのことを心配し、感謝しているみたいだったぜ」
「へ~え、どうだか・・・」
勇一は子供の頃によく面倒を見て貰った俊介を、実の兄のように慕っていたのかもしれないな、と美香は思った。
「勇ちゃんも立派になったな、係長だと言うからね」
「あのね、今日の昼過ぎにさ」
美香は話題を変えた。頭上を飛び過ぎたつばめの姿が頭に思い浮かんでいた。
「家に帰る途中で、つばめを見たのよ。あれ、今年初めて見たような気がするわ」
「つばめ?そうか、初つばめか?初つばめは何か良いことがある前兆れだと言うからな」
そう言いながら、俊介の中で、不意に何かが、瞬間的に、ぱん!と大きく弾けた。
「美香!」
突然、俊介が強い口調で呼びかけた。
「勇ちゃんが結婚したら、次は美香の番だな!」
「そうね・・・」
俊介は食事の箸を置いて、真剣な強い眼差しで、美香をじっと見つめた。
「美香、相手は俺じゃ駄目か?」
「えっ? あっハッハッハッハ」
余りに唐突な話に美香は思わず笑い出した。
「だってね、私は十年以上も水商売の世界にどっぷりと足を突っ込んで来た女よ。こんなすれ枯らしを嫁にしたら、世間様から後ろ指を差されるよ。それは止した方が良いよ、俊ちゃん」
「美香は、すれ枯らしなんかじゃないよ!子供の頃から母親の看病をし、家の用事をし、弟の面倒をよく見て来た優しい奴だよ。それは俺が一番よく知っているよ」
「あんたの店の信用にも傷がつくし商売にも影響するわよ。冗談言わないで」
「仕事は実績と腕とセンスだよ。それが信用ってもんだ」
「・・・・・」
「真実に、俺じゃ駄目か?」
「駄目じゃないけど・・・」
「なら、真面目に考えてみてくれよ、な、美香」
美香もじっと俊介の眼を見返した。
「うん。ありがとう。考えておくわ」
俊介が帰った後も、美香の心には彼の強い真剣な視線が突き刺さっていた。
俊ちゃんと一緒になって、植木屋の嫁さんになるのか・・・そうなると、直ぐにでも水商売の足を洗わなければいけないなあ。それから、造園や植木の勉強もしなければならない。そうして水商売の気がすっかり抜けたら、俊ちゃんの嫁さんにして貰おうか・・・
然し、彼女は其処でふっと笑った。一瞬膨らんだ希望が破れた風船のように萎んで、美香は冷酷な現実に立ち戻った。
何を馬鹿な夢を見ているんだい、小娘じゃあるまいし・・・
だが、美香の胸には温かいものがじわ~っと拡がっていた。その温い感慨に美香は暫し心を泳がせた。
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