我ら同級生たち

相良武有

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第四話 女庭師、遼子

⑬遼子、出自を確かめに九州若松へ

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 JR筑豊本線若松線の起点である若松駅に降り立った遼子は、鉄骨コンクリート造りの平屋建て駅舎に一瞬、気抜けした。此処若松は火野葦平の侠客小説「花と龍」の舞台となった処である。時代の名残を止める木造の古い駅舎を想像していたが、頭端式ホーム一面に二線が在るだけで、嘗て石炭を運んだであろう側線は南側に一本在るだけだったし、駅前は広場として綺麗に整備され、数多くのマンションや市営住宅が建っていた。
 遼子が乗ったタクシーの年配の運転手が、昔を懐かしむ口調で言った。
「以前は石炭の積出港として広大なヤードがありましたが、昭和五十八年から駅構内の整備が開始され、旧駅舎が取り壊されて建て直されるのと一緒に、側線もほぼ全て撤去されて今の旅客駅になりました」
「はあ、なるほど」
「此処は当初から石炭の積み出しを主な目的として開設されたんです。構内は広大で、多数の石炭車が常時出入りしていました。ガントリークレーンやホイスト等の積み降ろし設備も整備されて、ほぼ常時、日本で一番貨物取扱量の多い駅だったんですがね」
「石炭が石油に代わって、衰退して行ったということでしょうか?」
「そうですね。石炭の取扱いは急速に減少して、昭和四十五年にはホイストとガントリークレーンの使用が停止され、五十七年に貨物輸送が廃止されました。嘗て石炭輸送が盛んな頃は、炭鉱に通じる多くの貨物支線がありましたが、現在は全て廃止されてしまっています」
「そうすると、今はもう旅客列車だけになっているのですか?」
「そうです。直方や飯塚市などからの、北九州市や福岡市への通勤・通学路線となっている訳です」
「ふ~ん」
「あっ、お客さん、着きました。多分、此処だと思います」
見ると、レトロな建物の多い街並みの中に、ひときわ大きなしもた屋が在った。一階の屋根の上に「株式会社関本海運」と書いた横長の大きな看板が掲っていた。
 遼子は玄関土間へ入り、人気のしない奥を窺いつつ深呼吸をして訪いを乞うた。
「御免下さい、お邪魔します、失礼致します」
緊張して反応を待っていると、八十歳前後の老人がそろりと現れた。額や顔には深く皺が刻まれ、遼子をピタッと見据えた眼光は鋭かった。
「どんな御用向きかな?」
遼子が姓名を名乗って、訪れた用向きを簡略に説明すると
「わしは吾郎の父親じゃが、良かったらもう少し詳しく承りましょうか?」
そう言って、遼子を奥の座敷へと導き入れた。
遼子の話が終わると、それまで終始無言で耳を傾けていた老人がきっぱりと言った。
「お話は解かりました」
「そうですか、有難うございます」
「然し、わしの一存では何とも申し上げられませんので、三代目に会って貰えませんかな」
「えっ、三代目さん、ですか?」
遼子は少し不安に駆られた。
 遼子を後ろに従えた老人が、途中、水天宮の前で手を合わせたので、遼子もそれに習った。
顔を上げた前方に埠頭が見え、貨物船が停泊していた。作業員達にテキパキと指示を与えている印半纏を纏った五十年配の女性が遼子の眼に停まった。
手を上げた老人を見て、遼子に会釈を送り、もう一度指示を与えて、それから此方へやって来た。
「これが三代目のまき子です」
老人の紹介に、関本まき子は丁重に腰を深く折った。そこはかとない威厳が在った。
遼子が招き入れられたのは、若戸大橋の真下に在る古風な煉瓦造りの、小さなビルの事務所だった。
老人の話を鷹揚に頷きながら聴いていたまき子が最後に一言、言った。
「お話の趣は良く解かりました。ですが今のお話だけでは・・・」
遼子はバッグの中を弄って写真を取り出した。
まき子が軽くそれを制した。
「そういうものは拝見しなくて結構です」
遼子は少し不快感を覚えた。
「わたしは何も強請りたかりに来た訳じゃありません。わたしは只、自分の出自を自分の眼ではっきり確認して、これから先の人生を生きて行く為の背骨をしっかりと持ちたいと思うだけなんです」
「お客人、ま、そうむきにならないで・・・兎に角、家の方でお昼ご飯でもご一緒しながら、ゆっくり話しましょう」
そう言ってまき子は先に腰を上げた。
 家の方の座敷に案内された遼子の前に、半被を来た若衆三人が二の膳付きの豪華な食事を運んで来て並べた。それは、奥の上座に座っている遼子の前に一つとその向かい側に二つ並べられた。
一番歳かさの高い若衆が遼子の前に両手を突いて、言った。
「お客人、どうぞ召し上がって下さい」
ドスのきいたその声に遼子は思わず気圧された。
部屋を出て行く時、三人は廊下に出て揃って此方に一礼し、両膝をついて、両手で障子を閉めて行った。礼儀作法は行き届いていた。
 広い客間にひとり座らされた遼子は三代目とその義父が入って来るのを待った。
程無く、襖がさっと開いて三代目と老人が入って来た。まき子は先ほどとは打って変わって、大輪の菊がパッと咲いたような艶やかな和服姿であった。
「あら、召し上がらないんですか?若い女性にはお口に合いませんかしら」
「いえ、そんな訳では・・・」
それなら、と言って、徐に、まき子が仏壇を開けた。
「うちの人に線香の一本も上げてやって戴けませんか?」
「あ、はい」
仏壇には亡くなった父親、吾郎の写真が飾られていた。
線香を上げチーンと鐘を叩くまき子の後ろで遼子も手を合わせた。無量の感が遼子の胸を覆った。
まき子が突然、若松弁で叫んだ。
「あんた、ウチにこんな恥ずかしい目を何時まで与えるとですと」
遼子はぎょっとした。
「こんなえすかこと、ウチもうきつか!きつか!きつか!」
まき子は涙声になって続けた。
「思い起こすとあんた、生きとる時は極道三昧、自分ばっかり良かことしといて、死んでまで、もう二十年も経つというのに、何時までウチを泣かし続けとるとですか!!」
まき子はいきなり鐘を吾郎の遺影に投げつけた。写真のガラスが砕け散った。
遼子は呆気に取られて見守った。
後ろで老人が目頭を押さえていた。
二人の方にくるっと向き直ったまき子が
「ああ、これです~っとしました」
と言って、深々と頭を下げた。
 粛に昼食が始まった。
遼子は問われるままに、孤児院に入ってから今日までの人生とその生き様を、素直に有態に悪びれること無く話した。
最後にまき子が言った。
「これからは、何か困ることが起きたら、この私に言って来て下さい」
それから、老人が手を叩くと、先程の若衆の一人が慇懃に部屋に入り、何か袱紗に包んだ分厚い物を手渡した。
「これはほんの些少だが、草鞋銭の足しにでもして下され」
遼子は吃驚した。そんな心算は毛頭無かった。
「こんな物を戴く訳にはまいりません。わたしは只、純粋に自分の出自を確認して、これからの人生を、誇りを持って生きて行きたい、その背骨を心の中に持ちたい、そう思ってお伺いしただけですから」
「まあ、そう固いことを言わずに・・・この世界ではお客人に一宿一飯のお世話と何がしかの草鞋銭をお出しするのは慣わしですから」
「いえ、折角ですが、それをお受けすることは出来ません。それをお受けしますと、わたしのこの純粋な行為が強請りたかりのレベルに堕ちてしまいます。どうかそれだけはご勘弁下さい」
遼子は頑として固辞した。
「この関本組の草鞋銭を断ったのはお客人、あんたが初めてじゃよ」
そう言って老人は、はっはっはっと笑った。矍鑠とした笑顔だった。
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