我ら同級生たち

相良武有

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第二話 女子プロ野球選手、由香

④女子プロ野球選手誕生

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 程無く、その年の夏の終わりに日本女子硬式野球リーグが発足した。
第一回のトライアウトは晩秋の二日ずつをかけて、スタジアム京都と埼玉ドームの二球場でそれぞれ行われ、百二十九名が参加した。
リーグの職員がテストの説明を行った。
「一日目の一次テストでは五十メートル走と遠投、それに、投手はピッチングを、打者は打撃と守備をテストされます」
一次テストの合格者は二日目の二次テストに進み、シートノックとシートバッティング及び紅白試合でふるいにかけられ、合否が判定される、ということだった。
 テストに参加した由香は眼を見張った。わぁ~凄い、と思う選手が目白押しだったが、その中でも取り分け目立つ選手が二人居た。
一人はとても背が高かった。が、凡そその高い身長に似つかわしくない柔軟な身体でスピードとパワー溢れる打撃をしていたし、もう一人は華奢な身体つき乍ら鞭の如くしなやかでシャープなバッティングをしていた。
 前者は小学三年生から地元のリトルリーグで野球を始めたが、中学生になって女子が野球をやれる環境が無く、止む無くソフトボールに転向していた。中学時代から五輪代表の強化合宿に招待されるほどの実力を発揮した彼女は、高校へ進学してからも大活躍をして実業団に入った。だが、ソフトボールが五輪競技から外されてしまったのを機に夢を無くして、失意のどん底に落ち込んでしまった。今回のトライアウトを知って又また野球への情熱が再燃したということだった。
 後者も小学校時代から野球を始め、エースとして市の大会で優勝したりもしたが、中学校では野球が出来なくてソフトボールに転向した。だが、ソフトボールにそれほどの魅力を感じなかった彼女は高校ではテニスに再転向して主将としてチームを引っ張り、インターハイの団体でベスト四位に輝いたという経歴の持ち主だった。然し、その間もずうっと、男子野球部の練習を見る度に羨ましくて仕方が無かったとのことだった。
二人とも長らく野球から遠ざかっていたのに、あれ程の実力を蓄えていたなんて。きっと日本全国にはあの二人のように全く無名でも、底知れない実力を持った女子野球選手が星の数ほど居るに違いない・・・由香はそう思って身と心を引き締めた。
無論、日本代表経験者も数名が参加していて、難関突破に向かって共に凌ぎを削った。
 ただ、このトライアウトに中田沙織は参加していなかった。その時、沙織は関東女子硬式野球連盟の主催する秋季リーグの真っただ中に在った。神聖学園を卒業した沙織は女子硬式野球部の在る東京の大学に進学した。沙織だけでなくチームメイトも三人一緒に採ってやる、という大学の申し出が決め手になった。
「君がうちに来てくれれば、捕手の黒沢君と遊撃手の吉岡君も一緒に入部させるから、是非うちへ入って下さいよ」
三人一緒に推薦で入学した沙織は一年生から主軸を打ち、守ってはレギュラーサードとして活躍した。リーグ戦では満塁ホームランを放ってチームの優勝に大きく貢献した。
 沙織が女子プロ野球のことを知ったのは秋のリーグ戦が終わった後だった。
「女子プロ野球?冗談でしょう?真実なの?」
「真実よ。私の知り合いが入団テスト受けたんだけど、落っこちちゃったの。想像以上の高いレベルだったんだって」
部員たちが口々に言った。
「でもねえ・・・パートやアルバイトのフリーターをしてまで、未だ海のものとも山のものとも知れないプロに行くなんて、ちょっとねえ」
「幾ら野球が好きでも、其処まで情熱かけて、直ぐにポシャってしまったら馬鹿みたいだしねえ」
「野球馬鹿じゃあるまいし、やっぱり将来を考えちゃうわよねえ」
「そうよねえ」
沙織は、良いんじゃない、野球馬鹿でも!と思った、が、口には出さなかった。
女子プロ野球か・・・沙織の胸で何かが弾けたようだった。
 トライアウトから三週間後に日本女子プロ野球機構から三十名の入団者が発表された。
球団は京都を本拠地にする「京都フロンティアズ」と埼玉に本拠を置く「埼玉ヒロインズ」の二球団だった。
 それから凡そ一カ月を経た十二月下旬に、第一回ドラフト会議が大阪のホテルで開催された。会議には三十名の選手が全員出席したうえで、本人たちの眼の前で二球団からの指名が行われた。
「京都フロンティアズ、内野手一巡目、河本奈津美、二十歳」
「ハイ」
「おう、やっぱりあの子が一位指名か」
関係者の席から納得の声が漏れた。
指名は順次進んで、愈々、投手の指名となった。
「埼玉ヒロインズ、投手一巡目、小宮由香、二十三歳」
「ハイ」
「京都フロンティアズ、投手一巡目、小宮由香、二十三歳」
「おう、重複じゃないか!」
会場がざわめいた。
「抽選箱の中にはチーム名を記したボールが入っています。選手自らが掴んだボールが所属チームとなります。小宮選手、ボールを掴んで下さい」
また会場がざわついた。
「ほう、面白いな、これ」
「見ている此方までがドキドキ、ワクワクしちゃうね」
由香は、これから自分の運命を自分の手で決めるのだ、どちらにしても最良の運命であればそれで良い、そう思って箱の中へ手を差し入れた。
掴んだ球団名は京都フロンティアズだった。
此処から始まるんだ、この瞬間から私はプロ野球選手になったんだ!
由香の胸に熱い万感の思いが込み上げて来た。
京都の社長応接室で女子プロ野球リーグの話を聞いたあの日のことが鮮明に蘇えった。
 だが、あの日一緒だった大野恵理はこの場には居なかった。
彼女は京都の高校に初めて誕生したばかりの女子硬式野球部の監督に招かれて赴任し、グラウンドに立っていた。
「監督、キャッチボール、終わりました。ノックをお願いします」
カキーン、
バシッ、
「よっしゃ」
「腰が高い、ボールを下から見なさい!」
「はい!」
「もう一丁、同じボール行くわよ」
カキーン、
「もう一丁」
「ボールは正面で捕えて!」
「はい!」
「グラブは下から上へ!」
「はい!」
 大野恵理はドラフト会議に臨んだ由香のことを考えていた。
あなたが追い続けて来た幻のような夢は、今、現実のものとなったのよ。でも、もうあなた一人の夢ではないの、これからは全国の沢山の野球少女があなたの背中を追いかけるの。プロリーグを彼女たちの夢を支える場として恥ずかしくない舞台にしてね。私もこの学校の女子硬式野球部を野球がしたくても出来ない全国の女の子たちの希望の星にするからね。それを証明する為にもこのチームを必ず高校日本一にするからね・・・
因みにこの年、硬式野球部を持つ高校は、当初は全国に五校しかなかったものが、既に二十数校にまで増えていた。女子野球の裾野は確実に拡がっていた。
 翌年四月初旬、女子プロ野球は開幕した。
それは予想以上の注目を集め大きな反響を呼んで、三千人近くの観客を動員し深夜に地上波で録画放送もされた。その深夜放送の中で一人の喫茶店のママさんが紹介された。テレビのカメラに向かって嬉々として彼女は語っていた。
「女子プロ野球?まあ、そんな言葉、六十年振りに聞いたわよ」
「えっ、そんな昔に女子プロ野球が在ったのですか?」
「一九五〇年に四球団が結成されて、日本女子野球連盟リーグが誕生したんです。最盛期には全国で二十五チームも在ってね」
「へえ~・・・」
「私は大阪ドリームスに所属していてね、皆、ユニフォームの儘で汽車に乗って全国を試合行脚したの、朝から晩まで野球漬け。でも、野球の楽しさに辛いと思ったことなど一度も無かった。毎日が充実していましたねえ」
「それで?・・・」
「最初は華々しく持て囃されたのだけど、資金難でね、たったの二年間でリーグは消滅しちゃったの」
「二年で消滅、ですか?で、その後は如何されたのですか?」
「大阪の電鉄会社に就職しました。当時、大阪には私鉄が五社在ったのだけど、全社に野球部が有ってね。その野球部が会社同士の対抗試合や商工会議所のチームなんかと定期試合をしていたの」
「はい・・・」
「野球がしたくてやりたくて、我慢仕切れなかった私は、到頭、男性ばかりの野球部に紅一点で入部させて貰ったの」
「えっ、男性チームに、ですか?」
「ええ。レギュラー二塁手でしたよ。でも、結婚を機に電鉄会社を退職することになって、同時に野球も止めざるを得ませんでした」
「野球までも?・・・」
「私達の若い頃は、女は嫁げば婚家に入って家事と育児に専念する。だから仕事も辞めて・・・ましてや野球なんて許されませんでした」
「言い換えれば、野球を取り上げられたようなものですね。それで、野球に未練は有りませんか?」
「七十六歳の今でも野球は大好きですよ。当時のメンバーと、大阪シルバークイーンズと言う、平均年齢七十三歳のチームを結成して、月に三回、草野球を愉しんでいます」
「それは凄い!」
「野球は素晴らしいです。私の歳になっても野球への情熱は衰えません。野球を好きだという気持ちには男も女もありませんよ。此の度の女子プロ野球が土台のしっかりしたリーグに育って欲しいと心底から思います。私達の二の舞にならないように、ね!」
テレビ放映を観ていた由香は改めて、頑張らなくっちゃ、と身の引き締まる思いを胸に抱いた。
 そして、由香がリーグを代表するエースに成長し、最優秀選手(MVP)に選ばれる大車輪の活躍を続けた二年が夢の如く瞬く間に過ぎて行った。
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