翻る社旗の下で

相良武有

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第四章 矜持

第48話 裕美、看護師への道に進む 

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 裕美は高校二年の夏休みに、学校の直ぐ近くに在る介護老人医療施設を慰問するボランティア活動に、誘われて参加した。
前日から折紙や色紙で鶴や飛行機や船などを作り、当日は朝から会場の飾り付けをした。そして、三々五々集まった三十名余りのお年寄達と懐かしの小学唱歌や叙情歌を唄い、施設の給食ではあったが、昼食を共にして、パーティは和やかに愉しく進行した。
昼食を一緒に摂った同じテーブルのお婆さん達が、裕美の手を取らんばかりにして言った。
「皆がこんなに明るい顔で笑っているのを見るのは、本当に久し振りよ。みんなあなた達のお陰ね、有難う、ね」
「そうよ、そうよ、本当よ!」
お婆さんたちの眼にはうっすらと涙が滲んでいるようであった。
「いえ、そんな・・・」
お婆さん達の泣き笑いの顔を見て、裕美は目頭が熱くなりその後の言葉が継げなかった。
スナップ写真を撮り全員で記念撮影をしてパーティは終焉し、最後に介護士や看護師さん達とミーティングをして一日が終わった。
 裕美たちが当日覚えた感動を口にすると、彼女達は言った。
「私たちも一生懸命に介護や看護を続けているけれど、これが仕事になっていると毎日の日常生活に感情が埋没してしまって、患者さんも此方も、喜びを顔に表したり、態度で示したりすることが無くなってしまうんです。でも、私たちは、きっと解って貰えている、そう信じて毎日やっているんです」
「私はこの施設の訪問看護ステーションで働いているのだけれど、訪問看護師として、その人の住み慣れた家で、その人のペースに合わせた療養生活を支えることで、病院や施設とは一味違うケアやアプローチの仕方を学んだの。自宅で最期を迎える人やその家族のケアに携わる機会も増えて来て、私自身も多くの命に見守られ助けられて暮らしていることを感じるようになったの。疾患や障害を持ちながらも逞しく暮らしている人達から多くのことを学び励まされているのよ、ね」
裕美は、その時、心身の不自由な患者さんだけでなく、その家族を初め色んな他者から信頼される看護師の仕事というものに初めて思いを至らせた。身体の悪い人、不自由な人の手助けをし、心の支えにもなっている看護師の職業を素晴しい仕事だと理解した。
心身の不自由なお年寄と身近に接し、他者を思い遣ることの大事さを実感したのが、このボランティアの体験学習であった。
 裕美は三年生の新学期に部のマネージャーに任じられた。よく人の世話を焼き、面倒見の良いところが顧問の先生や部員の皆に買われたのである。大会や交流試合の前になると特別練習のスケジュールを組み、合宿や遠征の手配や交渉をする仕事は裕美にとっては興味深い面白味の有る仕事であった。

 裕美は高校を卒業した後、看護専門学校の三年課程へ進んだ。身体の悪い人、不自由な人の手助けをしたい、支えになれるものなら少しでも役に立ちたい、そんな思いで看護師を志した。一年半前のボランティアの体験学習がその大きな動機となった。
 看護専門学校へ進学すると同時に裕美は、英二の所属する若葉卓球クラブのBクラスに入会し、それからは、英二共々、純粋に楽しむことだけの為に卓球を続けた。
 英二と裕美は次第に卓球だけでなく、コンサートに出かけ、食事を共にし、サイクリングで近郊を走り、夏の海で泳いだりもするようになった。裕美は看護師になった後の人生の未来を、瞳を輝かせて英二に話したし、英二も自分の存在感を実感出来るような仕事をしたいと明るく語った。いつしか裕美は英二の呼称を「先輩」から「高木さん」、そして「英二さん」へと変えて行き、英二も裕美のことを「北川」から「裕美」「お前」へと呼び方を変えていった。二人の心には互いを愛しみ敬う思いが極めて自然に膨れ上がっていた。

 然し、英二が大学を終えて就職してから、二人の距離は次第に遠退いていった。
英二はいきなり実習現場が筑波工場となり、その半年後には東京支店勤務となった。それでも携帯電話やメールで近況を報告しあい、黄金週間や夏季休暇或いは正月休み等に英二が帰省した時にはいつも嬉々として二人は逢ったし、時間の経つのも忘れて語り合った。
だが、入社三年目に英二は札幌支店勤務を命じられた。北海道との距離は二人にとっては、精神的にも時間的にも半端ではなかった。裕美は国家試験を通って看護師に成ったばかりであったし、見習研修の真最中でもあった。英二も入社三年目の駆け出し営業マンでしかなく、二人の将来について約束を交わせる状況ではなかった。

 北海道での英二の仕事は生易しいものではなかった。
若い新米営業マンに託された顧客先は、殆どが札幌には無く、道東や道南に散らばっていた。北海道の面積は東京の三十八倍である。札幌からの距離は、隣の市街でも小樽、千歳、夕張、苫小牧で五十キロ前後、道東の帯広で百五十キロ、釧路や根室まで足を伸ばすと三百キロを超えるし、道北旭川で百キロ強、道南の函館迄は三百キロを数える。英二は来る日も来る日も車を駆って営業に奔走した。一つの市や街に一、二軒しか無い得意先であっても、これだけの距離を駆け巡るのである、営業効率は東京とは桁外れに悪かった。
毎日毎日、得意先の担当部長や担当課長の尻に腰巾着の如くくっ付いて回り、「注文を下さい。我社に注文を下さい」と鞄を持ち、酒場で接待をし、自社と自分を売り込んだ。
 赴任当初こそ、募る裕美への想いから、頻繁にメールを書き電話を架けもしたが、次第にそんな余裕は時間的にも気持の上でも無くなっていき、企業戦士としての生活に埋没して行かざるを得なくなった。そして、課せられた売上金額を達成出来なければ、本社への帰任の道も開かれなかったのである。
 
 看護専門学校を修了した裕美は直ぐに見習看護師の仕事に付いたが、その仕事は想像していた以上に大変であった。若い裕美でも並大抵の仕事ではなかった。
大きな総合病院の外科に配属された裕美は、立場は見習いではあっても仕事は一人前を求められた。独身で若い裕美は、日勤、夜勤の繰り返しが続き、夜勤は月に十日から十五日を数えたし、睡眠時間も一日四時間から五時間程度しか確保出来ず、七時間も寝られるのは極く稀であった。
或る時、裕美は眠気に耐え切れなくなって、外科病棟のナースステーションで立った儘うとうとと居眠りをした。冷たい物が顔にピシャッと中てられた。吃驚して眼を開けた裕美の前に二年先輩の看護師が笑顔で立っていた。
「病室には疲れた人が一杯居るのよ。健康なあなたが居眠りしていてどうするの!」
裕美が始めて看護師の仕事を自覚した一瞬であった。
 外科病棟には広い廊下を挟んで、両側に幾つもの病室が並んでいる。寝静まった病棟で看護師詰所だけが、明々と電気が点いている。先輩がカルテを調べ、投薬を手にして詰所を出ようとした時、病室からのインターフォンが鳴った。
「どうしました?・・・ハイ、直ぐ行きます」
裕美の方を振り向いて先輩が言った。
「何ぐずぐずしているの!さあ、行くわよ」
「あ、はい」
裕美も直ぐに先輩の後に従った。
 処置を終えて二人が詰所へ戻り一息ついた時、ベテランの看護師が裕美に言った。
「私の祖父はもう八十五歳になるのだけど、未だ元気に生きているの。でも昔はとても身体が弱くてね、長い間ずうっと入院していたの。その時、父や母や家族の者が誰一人病院に行けない時でも、病院の人達が一生懸命祖父を護ってくれたの。祖父が今元気に生きていられるのもその人達のお陰だと私は感謝しているし、今その恩返しをする心算でこの仕事をしているの。今とっても重い病気の人でも、いつかきっと、家族の人達と一緒に楽しく笑って話が出来るようになると信じてやっているの。私も頑張るからあなたも頑張ってね」
裕美は、志した初心をしっかり胸に刻んで、全ては患者さんの幸せの為に、と言える一人前の看護師に早くなろうと心に深く決めた。
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