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第四章 矜持
第46話 二人は中学校の卓球部で出逢った
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英二と裕美は互いに好意を持った、否、好意以上のものを互いの胸に温め合った仲だった。二人の出逢いは十三、四年前に遡る。
英二がK中学校卓球部の新任キャプテンに任じられた四月中旬、男女合わせて十余名の新入生が新たに入部して来た。部長の上田先生から中学校におけるクラブ活動の意義や目的について話があった後、英二が練習の規則や注意事項の説明をし、全員が自己紹介を行った。
「北川裕美です。宜しくお願いします」
お河童頭の小柄な女生徒がペコンと頭を下げた。眼の大きな機敏な子だった。
そして、練習初めのウォーミングアップでグランドを三千メートル走った時、裕美のリズミカルな走りとそのスピードに英二は眼を見張った。三年生の男子部員に負けず劣らず従いて走ったのである。
これじゃ陸上の選手になった方が良いんじゃないか、と英二が思ったほどである。
卓球の練習は男女に分かれて行われたので、ウォーミングアップの走りとクールダウンの整理体操以外は、英二は裕美と顔を合わせることは殆ど無かった。
ただ、お互いの自宅が直ぐ近くであったのか、朝の登校時や帰りの下校時には良く顔を合わせた。特に練習が終わっての帰宅時には、途中までは皆でワイワイ賑やかに話し合って帰ったが、最後まで同じ路を帰るのは英二と裕美の二人だけであった。
「北川は、卓球はいつ頃から始めたんだ?」
「はい、先輩。小学校五年生の時、担任の先生が学校の先生同士の試合で凄く上手くて、それを見て、良いなあ、私もやってみよう、と思ったんです」
「ふ~ん。それで練習は何処でやったんだ?」
「はい、家の近くに若葉卓球場というのが在って、偶に其処でやりました」
「ああ、若葉卓球場か、知ってる、知ってる。お前ん家はあの辺か?俺ん家もあそこからもう一寸東へ行った所なんだ」
「そうなんですか、近いんですね。私、小学校はM小学校なんですけど、それで朝の通学時によく先輩を見かけたんですね」
二人は他愛の無い話を交わしながら帰った。結果的には帰りが一緒の日には、英二が裕美を彼女の家の前まで送り届ける格好になった。
夏休みに入って練習が本格化した。
普段は一日二時間も練習すれば終りであったが、夏休みには朝の八時半から夕方五時まで、昼の休憩を除いて、みっちり行われた。
新入部員は八月に入ると練習を休み始める者が出始め、二学期が始まる頃には半数近くが止めていく。が、裕美は一日も休まなかった。毎日玉の汗を滴らせて練習に励んだ。皆が眼を見張るほどその上達振りは著しかった。
英二はキャプテンだったので、男女を問わず部員一人ひとりの練習に目を配った。皆が楽しく和気藹々と練習出来るよう、自分の練習は二の次にして、気配りをした。卓球は個人戦のほかに学校対抗の団体戦がある。チームワークはこの上なく大事であった。
八月も半ばを過ぎた或る日、裕美の練習が惰性に流れているのを見て、英二は裕美を呼びつけた。
「北川、お前のフォアハンドには凄く良いものがある。身体の際に来た球を廻り込んでフォアで打つのも上手い。しかしなあ、その分フォアサイドが大きく空いて、其処を攻められると忽ち取り切れない。今はフットワークの良さで何とかカバーしているが、それは大きな弱点になる。バックハンドを練習しろ。今から毎日一時間、俺が相手を務めてやるからバックのショートを練習しろ。ショートだけを徹底的に練習しよう、良いな」
「はい、解りました。宜しくお願いします」
二人のバックショートの練習が始まった。英二が裕美のバックサイドに球を集中的に打ち、裕美がそれをバックショートで弾き返す。ショートは後ろへ下がると上手く打てない。
「台から離れちゃ駄目だ!後ろへ下がっちゃいかん!前で打つんだ、前で!」
英二の叱咤声が体育館に響いた。
「このショートの練習を積むことによって、スピード感も身に付くんだ。しっかり頑張れ」
裕美はまた、暑い練習にのめり込んで行った。
一日の練習を終えて、有難うございました、と、裕美が英二に頭を下げたとき、英二が言った。
「十月にな、新人戦がある。それには団体戦は無く、あるのは個人戦のシングルスだけだ。バックショートを覚えればオールラウンドで戦える。一年生ならそれで十分良いところまで行けるぞ。しっかり頑張れ」
「はい、解りました」
裕美は眼を輝かせて頷いた。
長い夏休みが終われば新人戦は直ぐであった。
K中学校からは裕美を含めて三人の生徒が女子の部に出場した。三人とも本人達が思った以上に勝ち進んで三回戦を突破し、ベスト十六位に入った。裕美以外の二人は四回戦で敗退したが、裕美はあれよあれよと言う間にベスト八位、ベスト四位と勝ち上がって、とうとう準決勝戦をも制し、決勝戦を闘うことになった。裕美は無我夢中であった、何が何だか解らぬままに決勝まで来たというのが裕美の偽らざる気持であった。欲は全く無かった、ただ一戦一戦を全力で戦っただけである。言わば無欲の勝利であった。
決勝戦は一進一退を繰り返す大接戦の好ゲームとなった。卓球を始めて半年余りの少女二人が戦う試合である。技術にそう大きな差が有る訳ではなかった。
試合はファイナルセットまで縺れた。後方の応援席からはラリーの応酬の度に歓声が上がり、拍手が起こった。
ファイナルセットを迎えてチェンジコートをした時、裕美は英二の声を聞いた、気がした。
「後ろへ下がるな!前で攻めろ!」
ファイナルセットはデュースを三度繰り返した。最後は相手のスマッシュを裕美がバックショートで弾き返し、体制を崩した相手が拾い切れなくて、裕美が勝った。
大きな歓声と拍手の中で、審判と相手選手に丁寧に一礼した裕美は、一目散に応援席へ駆けて行き、最前列に居た英二に飛びついた。裕美は嬉しかった、感動した、辺り憚らず大泣きした。英二は吃驚し、戸惑いもしたが、優しく裕美の背中を撫でてやった。二人の心がぴったりと寄り添った瞬間であった。
英二がK中学校卓球部の新任キャプテンに任じられた四月中旬、男女合わせて十余名の新入生が新たに入部して来た。部長の上田先生から中学校におけるクラブ活動の意義や目的について話があった後、英二が練習の規則や注意事項の説明をし、全員が自己紹介を行った。
「北川裕美です。宜しくお願いします」
お河童頭の小柄な女生徒がペコンと頭を下げた。眼の大きな機敏な子だった。
そして、練習初めのウォーミングアップでグランドを三千メートル走った時、裕美のリズミカルな走りとそのスピードに英二は眼を見張った。三年生の男子部員に負けず劣らず従いて走ったのである。
これじゃ陸上の選手になった方が良いんじゃないか、と英二が思ったほどである。
卓球の練習は男女に分かれて行われたので、ウォーミングアップの走りとクールダウンの整理体操以外は、英二は裕美と顔を合わせることは殆ど無かった。
ただ、お互いの自宅が直ぐ近くであったのか、朝の登校時や帰りの下校時には良く顔を合わせた。特に練習が終わっての帰宅時には、途中までは皆でワイワイ賑やかに話し合って帰ったが、最後まで同じ路を帰るのは英二と裕美の二人だけであった。
「北川は、卓球はいつ頃から始めたんだ?」
「はい、先輩。小学校五年生の時、担任の先生が学校の先生同士の試合で凄く上手くて、それを見て、良いなあ、私もやってみよう、と思ったんです」
「ふ~ん。それで練習は何処でやったんだ?」
「はい、家の近くに若葉卓球場というのが在って、偶に其処でやりました」
「ああ、若葉卓球場か、知ってる、知ってる。お前ん家はあの辺か?俺ん家もあそこからもう一寸東へ行った所なんだ」
「そうなんですか、近いんですね。私、小学校はM小学校なんですけど、それで朝の通学時によく先輩を見かけたんですね」
二人は他愛の無い話を交わしながら帰った。結果的には帰りが一緒の日には、英二が裕美を彼女の家の前まで送り届ける格好になった。
夏休みに入って練習が本格化した。
普段は一日二時間も練習すれば終りであったが、夏休みには朝の八時半から夕方五時まで、昼の休憩を除いて、みっちり行われた。
新入部員は八月に入ると練習を休み始める者が出始め、二学期が始まる頃には半数近くが止めていく。が、裕美は一日も休まなかった。毎日玉の汗を滴らせて練習に励んだ。皆が眼を見張るほどその上達振りは著しかった。
英二はキャプテンだったので、男女を問わず部員一人ひとりの練習に目を配った。皆が楽しく和気藹々と練習出来るよう、自分の練習は二の次にして、気配りをした。卓球は個人戦のほかに学校対抗の団体戦がある。チームワークはこの上なく大事であった。
八月も半ばを過ぎた或る日、裕美の練習が惰性に流れているのを見て、英二は裕美を呼びつけた。
「北川、お前のフォアハンドには凄く良いものがある。身体の際に来た球を廻り込んでフォアで打つのも上手い。しかしなあ、その分フォアサイドが大きく空いて、其処を攻められると忽ち取り切れない。今はフットワークの良さで何とかカバーしているが、それは大きな弱点になる。バックハンドを練習しろ。今から毎日一時間、俺が相手を務めてやるからバックのショートを練習しろ。ショートだけを徹底的に練習しよう、良いな」
「はい、解りました。宜しくお願いします」
二人のバックショートの練習が始まった。英二が裕美のバックサイドに球を集中的に打ち、裕美がそれをバックショートで弾き返す。ショートは後ろへ下がると上手く打てない。
「台から離れちゃ駄目だ!後ろへ下がっちゃいかん!前で打つんだ、前で!」
英二の叱咤声が体育館に響いた。
「このショートの練習を積むことによって、スピード感も身に付くんだ。しっかり頑張れ」
裕美はまた、暑い練習にのめり込んで行った。
一日の練習を終えて、有難うございました、と、裕美が英二に頭を下げたとき、英二が言った。
「十月にな、新人戦がある。それには団体戦は無く、あるのは個人戦のシングルスだけだ。バックショートを覚えればオールラウンドで戦える。一年生ならそれで十分良いところまで行けるぞ。しっかり頑張れ」
「はい、解りました」
裕美は眼を輝かせて頷いた。
長い夏休みが終われば新人戦は直ぐであった。
K中学校からは裕美を含めて三人の生徒が女子の部に出場した。三人とも本人達が思った以上に勝ち進んで三回戦を突破し、ベスト十六位に入った。裕美以外の二人は四回戦で敗退したが、裕美はあれよあれよと言う間にベスト八位、ベスト四位と勝ち上がって、とうとう準決勝戦をも制し、決勝戦を闘うことになった。裕美は無我夢中であった、何が何だか解らぬままに決勝まで来たというのが裕美の偽らざる気持であった。欲は全く無かった、ただ一戦一戦を全力で戦っただけである。言わば無欲の勝利であった。
決勝戦は一進一退を繰り返す大接戦の好ゲームとなった。卓球を始めて半年余りの少女二人が戦う試合である。技術にそう大きな差が有る訳ではなかった。
試合はファイナルセットまで縺れた。後方の応援席からはラリーの応酬の度に歓声が上がり、拍手が起こった。
ファイナルセットを迎えてチェンジコートをした時、裕美は英二の声を聞いた、気がした。
「後ろへ下がるな!前で攻めろ!」
ファイナルセットはデュースを三度繰り返した。最後は相手のスマッシュを裕美がバックショートで弾き返し、体制を崩した相手が拾い切れなくて、裕美が勝った。
大きな歓声と拍手の中で、審判と相手選手に丁寧に一礼した裕美は、一目散に応援席へ駆けて行き、最前列に居た英二に飛びついた。裕美は嬉しかった、感動した、辺り憚らず大泣きした。英二は吃驚し、戸惑いもしたが、優しく裕美の背中を撫でてやった。二人の心がぴったりと寄り添った瞬間であった。
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