翻る社旗の下で

相良武有

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第三章 無念

第39話 営業部次長が見舞いに訪れる

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 入院七日目に沢木は漸く一般病棟へ移ることになった。
朝の検診で担当医師が言った。
「点滴は全て今日で終わりです。後で一般病棟に移って頂きます。上手く行けば今週末に退院できる予定です」
沢木にとっては明るい話題の三連発だった。
 そして、その日からリハビリが始まった。
初日のメニューはフロア内歩行。これに合格するとフロア内の自由な歩行がOKとのことだった。
沢木は入院後初めて自分の足でCCU内を歩き回った。とは言っても、酸素マスクと尿道カテーテルは未だ付いていたので、スタンドを自分で持ち酸素ボンベは看護師に持って貰っての歩行だった。
 リバヒリが終わると直ぐに一般病棟へ移る準備をした。
沢木のベッドは次の患者が来るというので使えず、沢木は荷物と共に一般病棟の看護師が迎えに来るまで車椅子で待機した。フロア外移動は未だ歩行が許可されていなかったので車椅子での移動となった。やがて一般病棟の看護師がやって来て、沢木は一緒に上層階にある一般病棟へ向かった。

 一般病棟の個室は採光用の窓が天井まで広がって、スッフルームと談話スペースが大きく取られていた。トイレと洗面台が付いていて、壁面やベッドサイドなどの内装の作りはウッド調の落ち着いた感じで、病院の寒々しさは皆無だった。ホテルか上質な旅館のような感じがした。
病室は六階だったので窓の外からの眺めは最高だった。沢木は一週間ぶりに外の景色をじっくり見てその風景に見惚れた。
 直ぐに昼食の時間になった。
メニューはこれまで出されていたものと大差無かったが、環境や気分が変わった所為か、沢木は食事が大変美味に感じた。
様子を見に来た担当医師までが、やっぱり一般病棟のご飯は違いますね、などと言った。
室内では自由に歩き回ることが出来たので、室内にあるトイレには自力で行ったし、又、テレビもあって久しぶりに世の中の情報に触れもした。
 一般病棟に移ると検診の頻度がグンと下がった。一日に三回しかなかった。そして、点滴を終了して代わりに食事毎に薬が出るようになった、が、沢木はそれまで定期的に薬を呑んだことが無かったので、少なからず面倒な気持ちになった。
 
 一般病棟の朝は、この季節には未だ陽が昇らない五時からのスタートだった。
 最初は採血である。
看護師に起こされて採血をしたが、それまでのように腕に付けた採血管からの採血ではなく今日からは注射器での採血だった。沢木の血管が他人より探し辛らかったのか、三回に一回程はやり直しとなって彼方此方をぶすぶすと注射針で刺され、それで完全に目が覚めてしまった。
 その後は、体重測定、血圧、脈拍、体温等々一通りの計測が行われた。
血圧は、手術後、降圧剤や利尿剤を呑んでいた為に上が九十少々と低めだった。又、それらの薬を服用している所為か、手足の末端に冷えを感じるようにもなっていた。
それから、レントゲン、エコーなどの一連の検査が行われた。
一般病棟ではそれらの検査は階下の検査室で行うことになっていたが、未だ、フロア内の移動以外は許可を貰えていなかった沢木は車椅子で移動しなければならなかった。
 レントゲンは事も無く終わったが、エコー検査は少しエッチな雰囲気だった。
検査室は狭く、又、技師がモニターを見るために室内は薄暗かった。
診察台に横になって潤滑剤を塗られが、技師は若い女性だった。
普段の健康診断などでは腹の辺りを中心に、ささっ、と言う感じであったが、沢木の場合は心臓の検査だったので、胸部正面、側面、背中に近い脇腹と多角的に検査器があてられた。その為に、時には、腕を大きく脇腹部分にまで回り込ませて検査器の位置を探る必要があり、仰向けに寝ている沢木に技師が抱きつくような体勢になる場面もあった。かなりの密着度で、沢木は、う~ん、と言う感じになった。
 
 午後、担当医師が尿道のカテーテルを外してくれた。
「抜きますよ」
尿道から膀胱まで入っている管を引き抜くのだ、と冷静に考えると恐ろしかったが、息を止め、これから来るであろう激痛に身構えていると、チクッ、とした痛みだけだった。「はい、抜けました」
沢木は拍子抜けした。
これで、首の点滴用の挿入管はまだ残っていたが、体に着いていたチューブはほぼ無くなった。尿道カテーテルに慣れていた沢木は、以後は自力で排尿しなければならないことに
一寸した戸惑いを感じた。慣れてしまえば、尿道カテーテルは快適だったのである。
 今日のリハビリは、病室のあるフローの一周歩行だった。これで合格が出れば、院内を自由に動き回れる、車椅子ともおさらば、ということだった。尿道カテーテルも取れ、足下がすっきりと快適で、程無く、合格、が出た。
「時間見つけて、積極的に歩いてくださいね」
看護師が励ましてくれた。
とは言っても、外をぶらつくのとは違って、なかなか歩き回ることは出来なかった。歩くだけで他フロアの探検までは無理だった。

 夕方になって営業部次長の安田が見舞いと業務報告に病室を訪れた。
「いやあ、思ったよりお元気そうで何よりでした」
安田は腰を低く折って慇懃に沢木に笑顔を向けた。
「君にはご苦労を懸けて申し訳無いね。仕事は支障無く運んでいるんだろうね」
「はい、今のところ問題無く進んでいます。部長がお膳立てと根回しをされていた例の案件も動き始めました。これで念願の大きな新規の得意先との取引が一つ始まります」
「そうか、あれがスタートしたのか」
「ええ。資材部の遠藤部長がメーカーと強力に交渉して下さいまして、一割ほど薄い基材を製って貰えることになりました。これでユーザーの求める価格が提示出来ます。メーカーテストでは既に機能的には問題無いことが確認出来ています。後はユーザーテストをクリアーすれば本番受注です」
「そうか、遠藤が、ね」
遠藤は沢木と同期入社で、片方は営業、片方は製造技術で、互いにライバル視し合って来た間柄だった。それほど親しくした仲ではなかったが、仕事ではよく顔を合わせて角を突き合わせたこともしばしば有った。沢木は、一つ借りが出来たな、と思うと同時に、一つ先を越されたな、とも思った。この仕事は営業だけでなく事業部全体にとっても大きな金額と量になるものだった。沢木は自分が種を撒き育てようとしたものを、その美味しい果実だけを遠藤と安田に持って行かれたように思って胸が少しざわついた。
「あっ、それから、わたくし、昨日付けで人事部から部長代理を命じられました。部長がお休みになって居られる少しの期間だけということでしたが・・・」
「そうか、それは良かった、僕も安心して療養に専念出来るよ。宜しく頼むよ、頑張ってくれ給え」
「はい、留守の間、しっかり頑張らせて頂きます。部長も早く癒くなって戻って来て下さい」
 安田は有能な部下だった。部門に飛び交う夥しい指示や情報や報告のメールや電話を適宜遅滞無く処理して業務が円滑に進むように奮闘した。部長という上のつっかい棒が取れれば顧客との関係も上手く築いて売上面でもそれなりの成果を上げ得るだろうことは沢木にも解っていた。俺の居ない暫くの間だ、まあ良いだろう、沢木はそう自分に納得させた。
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