翻る社旗の下で

相良武有

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第二章 悔悟

第26話 翔子は大会社のオーナー社長の娘だった

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 二日後の夕刻、山崎がその日の営業日報をパソコンに書いていると受付から電話があった。
「相田翔子様と仰る方がご面会にお見えです」
「相田翔子?」
山崎は一瞬の記憶を手繰って翔子のことを思い出した。
受話器を置いて一階のフロアへ降りて行くと、ロビーの丸テーブルの前に翔子が足を組んで浅く腰かけていた。
「改めて、助けて頂いたお礼を言いたいのですが、ディナーにご一緒戴けません?ご都合は如何かしら?」
半ば断定的で有無を言わせぬ響きがあったが、然し、その物言いは決して不愉快なものではなかった。育ちの良さと若い娘の奔放さが見て取れた。
 ホテル上層階のフレンチレストランでも、地下一階のショーパブでも、翔子は快活で饒舌だった。よく食しよく話し、よく飲んでよく笑った。
翔子は東証一部上場会社のオーナー社長の娘だった。会社は創業百年を超える老舗企業で山崎の会社の大事な得意先の一つでもあった。
山崎はこの明るい美貌の社長の娘に関心と興味を抱き、忽ち翔子の魅力に惹きつけられた。
 それから二人は頻繁に逢瀬を重ねるようになった。
エレベーターに同乗した人や街角の道路で行き交う人が、誰もが皆、エキゾティックな容貌と長い白い脚で颯爽と闊歩する翔子の姿に見惚れて振り返った。翔子は常に行動的で山崎に対しても積極的であった。自分から何の衒いも無く山崎をデートに誘った。
 
 数か月後、山崎は翔子の誕生パーティに誘われた。
「今度の日曜日に私の誕生パーティを自宅で開くのだけれど、あなたも来て下さる?」
相手は大事な得意先の社長の娘である、折角の誘いを断る手は無かった。
 翔子の家は閑静な住宅街の一角に在る大邸宅だった。
見上げるほどに大きな冠木門の柱には「相田」と墨書された木の表札が掲げられ、その横に通用口と思しき潜り戸があった。冠木門に気圧されながらインターフォンを押すと、中から翔子の声が返って来た。
「はあ~い、どなた?」
「お招きに預かった山崎です」
「潜り戸が開いていますから、入って右奥の洋館までいらして・・・」
通用口に一歩足を踏み入れた山崎はオッと声を上げて直ぐに立ち止まった。
正面の玄関口までS字型の石畳が続き、石畳の左側には大きな桜の木が二本、枝を伸ばしていた。
これが満開になるとさぞかし綺麗だろうなあ・・・
塀の周りには桜の木を取り囲むようにして背の低い録葉樹や針葉樹が植えられていた。
庭は手入れが行き届いてかなり造り込まれていたし、ソヨゴやアオハダなども植えられていた。傍に在るつくばいは水琴窟になっていた。水琴窟は地中に埋められた甕に水が落ちると、透明な澄んだ音がする隠れた仕掛けである。山崎は水琴窟に赤い花を浮かべて彩が映える様を想像し、水が落ちると綺麗な音がするだろうな、と思った。
広大な母屋の右側に大きな池があった。赤い鯉と黒い鯉が何匹も泳いでいた。池の水面には、風が吹く度に母屋の家屋や離れの洋館が縦長に細く揺らめいて映っていた。
指示された洋館はその池の右奥で陽の光に映えていた。洋館の奥には高い塀に沿って潅木が林立していた。
「来て下さって有難う」
翔子が零れる笑顔で山崎を招じ入れた。
 洋風の大広間にカフェ&パブが設えられ、パーティ業者が入った会場では既に二十人余りの招待客がにこやかに談笑していた。男も女も華麗に着飾ってパーティに似つかわしい身形をしていた。翔子はピンクのセーターに薄地のドレスを着重ね、張りがあって透ける素材であるチュールレースとオーガンジーを重ねた短めのフレアスカートを穿いていた。季節は未だ肌寒さが幾分残る早春であったが、その軽やかなコーディネイトは春を先取りした新鮮な明るさが漂い、バレリーナーが着るチュチュのような印象があった。その女らしさと爽やかさに誰もが翔子に視線を向けていた。
どの顔も知らない顔ばかりだった。どうやら山崎もプライベートな客として呼ばれたようであった。
翔子は腕を取らんばかりにして山崎を皆のところへ連れて行き、一人ずつ引き合わせた。
「此方、山崎さん。わたしのパートナーよ」
翔子は悪戯っぽくにこやかに山崎に微笑いかけ、皆は一様に彼を注視した。
飲物の栓が抜かれ料理が運び込まれ、そして、ハッピーバースデイが合唱され、バースデイケーキの蝋燭が吹き消されて、宴は賑やかに始まった。
「今日はわたしの誕生パーティにこんなに大勢の皆さんがお祝いに駆けつけて下さって、真実に有難う!」
 翔子は常に宴の真中で、主人公然と振る舞い、自慢のピアノソナタを弾いて聞かせた。招待客は皆、夫々にカラオケステージで歌を唄ったり、女性コーラスを披露したりした。
 やがて照明が少し落とされてムーディーなサックスの奏でるブルースの曲が流れ出した。皆は適宜相手を選んで踊り始めた。
「踊って下さる?」
翔子が山崎を誘って来た。
「駄目だよ、僕は踊れないから・・・」
「大丈夫よ、わたしがリードするから、ね」
渋る山崎を翔子がホール中央へ連れ出した。
すらりと伸びた白い脚が眩しいほどの翔子と、翔子の手を取り音楽に合わせて身体を揺する足長の山崎との組み合わせは、その場の誰もが見惚れるほど似合いのカップルだった。
やがて翔子は身体全体を山崎に預け、山崎は肩を抱いた腕に力を込めた。
 一曲踊り終えた後、山崎は翔子に誕生日祝いのプレゼントを渡した。
「僕の精一杯の気持です。どうぞ受取って下さい」
翔子は輝く笑顔で「ありがとう」と言い、天真爛漫に歓んだ。山崎がそれまでに見たことの無い表情だった。
「今日はとても嬉しい、真実にありがとう」
それから翔子は、その場で山崎への愛を告白した。
だが、山崎には返事が出来なかった。細田純子の貌が脳裏に大きく蘇えった。
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