翻る社旗の下で

相良武有

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第二章 悔悟

第22話 代理店ブローカーの下野がやって来る 

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 夕方五時近くになって社長室のドアがノックされた。秘書で娘の梨恵であった。
「下野さんが見えていますが・・・」
「居ると言ったのか?」
「はい」
山崎は少し顔を曇らせた。
山崎は、妻の翔子と結婚する前は、日本を代表する東証一部上場の超大企業に勤務する営業マンであった。下野はその頃の同僚であり、同期入社の仲間であったが、今は境遇に大きな差が生じていた。
山崎は社員四千人、年商二千億円、業界では市場占拠率三割を超えるリーディングカンパニーと評される中堅企業の社長であり、下野はその代理店の看板を掲げさせて貰って、細々と商売を営んでいるブローカーである。
 
 十年ほど前、ひょっこりと下野が会社に訊ねて来て、代理店をやらせて欲しい、と言った時には山崎は吃驚したが、下野に会うのは凡そ二十年振りで、懐かしくもあった。下野の頼みは特段留意しなければならない問題も無かったので、その場で了承し、その日は取り敢えず近くに在る小料理店へ誘って、夜まで昔話をした。
 山崎は、下野には殆ど利益を半減して商品を扱わせたし、会社の幹部にも下野には丁重に対処するよう言いつけた。彼自身も手が少しでも空いている時には社長室なり会社の応接室に下野を通して話を聞き、小料理店で一杯飲ませもした。
 今も下野に対する扱いは、それほど変わってはいない。下野は月に二度ほど会社へやって来て商売の話をし、情報を仕入れて帰って行く。山崎が不在の時でも役員や幹部が一頻り下野の相手をして笑顔で帰らせている筈であった。
 
 ただ山崎は此処二月ほど、下野と顔を合わせていなかった。下野が訪ねて来ても会議だとか出張だとかと、受付の社員や秘書に言いつけて居留守を使った。
下野に会ってもサラリーマン時代の昔話が殆どで、所詮それはそれだけのものでしかなく、そうそう切り無く話題が有るものではなかった。これが経営者仲間とか趣味や遊びの仲間とかであれば、尽きない話題が豊富にあるのだが、下野との話は限られていたし、会社経営の参考になるような情報も持っては来なかった。若い頃の同期の同僚の、仕事の面倒を見ているという状況になると、話は余計に限定されてきた。そうそう頻繁に真面目に付き合う必要も無いだろう、山崎はそう考えるようになっていた。
 然し、それだけが居留守を使う理由であるとも言い難かった。降って湧いたような再会からかれこれ十年程が経過したが、山崎は下野に何か釈然としないものを感じるようになっていた。その感じは少しずつ溜まって今では心の底に澱のように沈んでいる。
 山崎は、昔の同期の同僚、それもサラリーマンとしては上手くはやって来れなかった五十歳過ぎになった男から、敢えて儲けることもあるまいと、殆ど荒利の半値で代理店の看板を掲げさせている。末端価格が値崩れするのは困るし、業界としても乱れる問題になるので、安売りだけは絶対にしないよう指示しているから、儲けは全て下野の懐に入っている筈である。山崎は、たとえ売掛金の支払が遅れても催促したことも無い。下野は今も昔も優柔不断なおとなしい男であり、山崎には、そんな下野の面倒を見ているという気持ちも有ることは確かである。
だが、そういう扱いを下野がそれほど有難く思っているとも見えない節が在る。下野はお世辞を言ったり、弁ちゃらを並べたり、慇懃な態度を取ったりするが、商売の件で山崎が特別な計らいをしていることに対しては、一言も話題にすることは無く、礼を言ったことも無い。
有難がって貰いたい、というのでは無い。下野との取引は会社の業務内容からすれば瑣末なもので、微々たるものであった。目くじらを立てるほどのことではない。が、だからと言って、それが当然だという顔をされては、山崎も面白くは無かった。
 下野は、該当する加工製品を扱うブローカーを始めてから十二、三年になると言う。であれば、商品の原価や売値の相場を知らない筈は無い。別に礼を言って貰いたい為の行為ではないが、その行為に対する黙殺振りは腑に落ちないものがあった。
 
 それに、貸した金のこともあるな・・・
社長室を出て応接室に向かう廊下で、山崎はそう思った。
会って話している間に、何度か下野に小金を用立てた。儲けさせて貰ってはいるが、なにぶん掛売りなので手元に現金が無くて困っている、というようなことを言われて、その都度財布から出して貸した金であるが、それでも凡そ百万円ほどにはなっていると思われる。
別に直ぐに返して貰わなくてもよいが、然し、呉れてやった金ではない、と山崎は思う。ところが、その借金についても、下野はいつ返すとか、もう少し待って欲しいとかと言ったことが無かった。借りっ放しだったのである。
百万円という金は、顧客のお偉方達と会社幹部を伴ってそれなりの奥座敷に行き、二次会で会員制クラブにでも流れれば何度かで直ぐに散じる金ではある。だが、だからと言って、借りっ放しで当然、ということにはならないであろう。
ついでだから、金の催促でもしてみるか・・・
弾まない足を応接室に運びながら、山崎はそう思った。
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