翻る社旗の下で

相良武有

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第一章 悔恨

第8話 サンドラは嶋を出来る限り現場へ連れ出した

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 火曜日の朝、始業後直ぐにオフィスを出発したが、目的の地にはなかなか辿り着けなかった。休憩無しに二時間も車を飛ばして漸く森林地帯に入りはしたが、サンドラが買い付けた樹木はまだまだ奥まった場所のようだった。
車中でサンドラは木材の伐採から搬出までの工程の、その概略を嶋に説明した。
 一連の作業は大きく四つに分かれていた。
最も労力を要する大変な作業が山中の木を伐採する「伐採作業」、それから、伐採木を作業場まで搬出する「集材作業」、枝払いをして一定の長さに切断する「造材作業」、トラックで輸送するまでの一時置き場へ運ぶ「搬出作業」であった。
「質の良い木材は森林の奥まった所でないと思うようには手に入らないの」
苛ついて不機嫌そうな嶋の顔を見遣って、サンドラは嶋の気持を執り成すように、又、それをからかうように、微笑を浮かべてそう言った。その表情は、そんな短気なことではこの大きな国では良い仕事は出来ないよ、と言っているようだった。
「搬出作業の方法は、山林の地形や林道・作業道の路網密度によって大きく二つに分類されるの。そして、二つの分類の中でも利用する機械の種類によってその方法はまた違うのよ」
林道が無い場合は、伐採した木を架線で山の下の作業場まで運び、プロセッサーで造材して運搬までの一時的な仮置きをする。集材機やタワーヤーダを用いる方法等で、長い架線を張って伐採木を造材作業場まで運搬し、その後、プロセッサーで造材して仮置き場で保管する。この方式を架線集材方式と言った。
 林道や作業道が有り、大型の林業車両が利用出来る場合は、チェーンソーで伐採し、伐採木を作業道まで作業車両で集材してプロセッサーで造材するのが一般的だった。これを車両集材方式と言った。
「これは、例えば、スイングヤーダを用いて集材する方法で、この場合も架線を用いるけれども、架線の長さが短いのよ。だから架線集材方式と比べれば遥かに生産性が良い訳なのね」
 道の両側に深い森林が続く一本道を車で走っていると、次第に空気が清澄になって来るのがはっきりと判った。
 暫くすると、前方に木材を積んだ大型トラックが停車しているのが見えて来た。
トラックの直ぐ後方に車を止めてサンドラが言った。
「少し此処で待って居てくれる?外は寒いから中に居ると良いわ」
そう言いつつ、ヘルメットを冠りウインドブレーカーの上下を身に着けて車を降りて行った。足元には茶色のブーツが光っていた。
サンドラが降りた先には現場の監督らしい屈強な男が身振り手振りで作業員たちに指示を与えていた。
サンドラの姿を観止めると、男は右手を伸ばし親指を立てた。サンドラも同じように親指を立てて応えた。二人の挨拶のようだった。直ぐに二人は白い歯を覗かせて二言三言話し合った。互いに知り合いの仕事仲間のようだった。
 それからサンドラは嶋を車から降ろして、男の所へ連れて行った。
「寒いからウインドブレーカーをちゃんと着けるのよ。ヘルメットも忘れないでね」
外の空気は冷たかった。嶋はウインドブレーカーのジッパーを喉元まで引き上げた。
「此方は相棒のMr.嶋。此方が現場主任のMr.ダン・アダムスよ」
そう言って二人を引き合わせた。
「彼に現場を見せたいのだけれど、今、良いかしら?」
「OK、OK、グッドだよ」
 
 二人は主任の男に案内されて伐採現場に向かった。現場は林道沿いに在って直ぐ近くだった。
「伐採には概ね、皆伐、択伐、間伐、除伐、本数調整伐の五種類が有るのだけれど、此処の現場では皆伐を行っているの。調達した区画に在る森林の樹木を全て伐採するのよ。伐採の経費が少なくて済むから収入を多くするには合理的な方法なの。ただ、周囲の環境に与える影響が大きいから、近頃は区画の面積を小さくして環境への負荷を軽減しなければいけないの」
サンドラは眼前に広がる伐採跡を見遣りながらそう言って嶋に教えた。
 択伐は、対象となる区画から伐期に達した木など一定の基準に達した樹木を選んで、適量ずつ数年から数十年おきに抜き切りして、林内での更新を図るものであり、間伐は、樹木の成長によって混み合って来はしたが皆伐や択伐には未だ至っていない森林で、樹木の生育を促す為に間引く伐採であった。また、除伐は、将来に亘って育成することを目指すもの以外の種類の樹木を伐採することであり、農業における除草に相当していたし、本数調整伐は治山事業に於いて行われる伐採の名称であった。実際の施業は間伐に酷似しているが、主目的が当該保安林機能の維持増進にあった。
 林道から作業道が密に敷設された平坦な伐採現場には嶋の見知らぬ機械が作動していた。それはエンジンと駆動装置を搭載して自走する重機だった。
「これはハーベスタと言って、伐採から造材までの一連の作業が一台で出来る車両だ。処理能力が高く、集材工程が要らないから生産性が非常に良い訳だよ。サンドラ・ペリー主任はこういう買い付けがお得意なんだよな」
そう言って男はカッカッカッっと笑った。サンドラもウイと言う表情で彼を見返した。
一般に、車両集材方式の生産性は架線集材方式に比べて約二倍、ハーベスタを使うことが出来れば、約五倍になる、ということだった。嶋は、そんなにも大きな違いが有るのか、と驚いた。ただ、この重機は導入コストが高く、経営規模の小さい林業家には向かない、ということでもあった。
 嶋は作業現場の隅に立って二人の主任の説明を聞きながら、実際の作業を見学した。
作業工程は凡そ「伐倒」「造材」「切断」「片付け」「移動」の五つだった。
伐採する木まで前進したハーベスタが、いきなり、クレーンのアームで立木を挟み込み、装備しているチェンソーで切り倒した。そして、木を保持したまま横に倒してクローラの回転で木を送り出し、装備しているカッターで枝を切り払った。
更に、設定した長さまで木を自動で送り出し、装備してあるチェンソーで切っていった。
それから、玉切りした丸太を、作業の邪魔にならない場所へ、長さを揃えて積み重ね、不要な細い材や枝、曲がった端材などを斜面に捨てて、作業道を綺麗に整頓した。
その後、次に伐採する木まで移動して停止した。
以上がハーベスタ作業の一サイクルだったが、凡そ五、六分の作業だった。確かに速かった。
 ダンとサンドラの二人の主任が嶋に教えるように話し合った。
「伐採から搬出までの作業における生産性は、どのような作業システムを採用するかによって大きく変わるんだな。従って、現地の状況を観察し適切な作業システムを採用することが極めて重要になると言うことだよ」
「生産性やコストに大きく影響するものに伐採規模が有るのね」
「そうだな。伐採から搬出までの作業を行う前に、作業道の敷設や作業する土場の整備、或は架線の敷設など、固定的な準備作業が有るからな」
「伐採規模が大きくないと準備作業の比率が高くなって、トータルの生産性や伐出コストに大きく影響する。従って、適度な伐採規模を確保することが絶対条件なのよ」
 最後に、サンドラは嶋に向かって言った。
「あなたもこれから木材の買付けを担当するのでしょう。しっかり憶えておいてね」
この現場視察は嶋に大きな勉強の機会となったし、やる気を喚起させる絶好の機会ともなった。
 
 サンドラは嶋を出来る限り事有る毎に現場へ連れ出した。
ハーベスタを使わない現場での視察も嶋の知識補充に大いに役立った。
其処では、作業道の敷設、伐採する木の選定の後、ハーベスタを使わない代わりにチェーンソーによる伐倒が行われていた。それからスイングヤードで集材し、プロセッサーによる枝払い、玉切り、作業道への一時置き、払った枝などの片付けの手順を経て、フォワーダによる搬出が行われ、それで一連の作業が終了したのだった。
 
 何処の現場でもグリーンの森林服に身を包んだ屈強な男たちが、白い息を吐きながらもヘルメットの下から汗を滴らせて作業に没頭していた。現場には男のバイタリティが躍動し、生命の息吹がエネルギーとなって煮え滾っていた。
労働する逞しい男たちには過去も無く未来も無く、緊張する男の表情は、欺瞞無く偽善無く、奢り無く卑下無く、唯、赤裸々で純粋であるように嶋には見えた。それは初めて覚える感慨だった。
 
 森林地帯には出先機関の駐在所が在ったが、それは何処も駐在員が一人居るだけのワンマンオフィスだった。何処の駐在員ものんびりと気楽そうだった。ノルマと目標に悪戦苦闘する意欲や新しい何かに挑んで行く姿勢など微塵も見られなかった。ただの留守番小屋の番人にしか過ぎなかった。嶋は、こんな所に回されて朽ち果てるのは絶対に嫌だ、と死に物狂いで仕事に没頭する決意を固め、覚悟を新たにした。
サンドラが言った。
「Mr.嶋。小さな成果で良いから着実に実績を積み上げるのよ。実績は実力と信頼のバロメーターだからね」
二人はまた、来る日も来る日も森林の中を、ジープを駆って走り続けた。
 一通りの視察が終わった後、嶋は伐採作業の生産性向上についてのレポートを作成してサンドラに見て貰った。
 サンドラは眼を見張った。
「素晴らしいわ、Mr.嶋。良くやったわね」
そう言って手放しで讃えてくれた。
 
 嶋とサンドラは仕事では何をするのも何処へ行くのも一緒だった。朝の出勤から夕方の退勤まで常に行動を共にした。それが相方でありコンビであった。移動中の車内で、昼食のファーストフード店で、一休憩のカフェで、二人はよく話し良く論じた。自ずと話は、仕事のみに限らず次第に自身の生まれ育ちや生い立ち、家族のことへも及んで行った。言葉や態度も上司と部下、先輩社員と後輩と言った垣根を少しずつ越え、やがて二人は対等の仕事仲間として、親密の度を増しフランクになって行った。だが、それは、あくまで仕事の同志としての相棒であり、個人的な人生の友人ではなかった。退勤後にデートをしたり食事をしたり酒を飲むことは無かった。サンドラは公私の峻別を明確に保っていた。
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