愛の讃歌

相良武有

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第十二話 明かされた真実

①美沙、忠彦と偶然に再会する

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 小宮美沙が午前十時に京都駅で東京行きの新幹線に乗り込んだ時には、その日の朝目覚めてから未だ二時間しか経って居なかった。昨夜は半徹夜で眠りに就いたのは明け方だった。不眠の所為で身体が怠るく、疲れても居て体調は良くなかった。彼女はこれから東京へ出て人に逢い、また折り返し新幹線に乗って京都へトンボ帰りすることになっていた。
 列車が発車した後、美沙は空席になっている隣の座席に新聞を置き、シートを斜め後ろに倒して眼を閉じると、直ぐに、浅い眠りに就いた。彼女は深い森の中へ迷い込んだ鬱としい夢を見た。
 目を覚ました時、列車は名古屋の辺りを通過したところだった。彼女はシートの下の足元に置いたアタッシュケースに手を伸ばして仕事用のファイルを取り出した。資料は既に京都のオフィイスできちんと整理して纏められていた。
コンピューターで弾き出されたデータには、彼女が会うべき人たちの氏名、性別、生年月日、出身地、出身校、ニックネーム、既婚か独身か、大学で加入していたクラブなどと言った情報が詰まっていた。彼女はまた東京の風土や歴史を知らなくてはならなかったし、都の条例についての知識も必要だった。その上に、東京の街で人が話題にするような話のネタも仕入れておかなければならなかった。また、他に彼女が調べておかなければならないのは、東京都や民間企業が、過去五年間に、情報改革に費やした年額と京都支社が見積った美沙の売上高の予想額であった。
 
 美紗がふと顔を上げたその時だった。
一人の男性が通路を歩いて此方に向かって来た。
昔と変わらぬ締まった身体つき、ダークブラウンのシャツとズボンにツイードのジャケットを合わせている。綺麗にブラッシングされた耳まで隠れる長い髪が首の後ろでカールしていた。男は薄い茶色がかった眼鏡で眼を隠し、片手をズボンのポケットに入れて、大股の急ぎ足で此方に向かい乍ら、何か考え事をしている様子だった。
彼だわ!何ということだろう!
美沙は何か言おうとしたが、男は彼女の前を通り過ぎて、行ってしまった。
彼はなかなか戻って来なかった。
美沙は何度も座席から腰を浮かしながら、男を待った。
やっと男が通路に現れた時、美沙は微笑いながら声をかけた。
「忠彦さん!」
男は美沙に目を凝らし、やがて何かに気付くと、眼鏡の奥で何度か素早く瞬きをし、彼女が何処の誰だかを確かめるように繁々と彼女を見た。
「君か?・・・」
男は美沙を認めて小さな叫び声を上げ、真白い歯を見せて微笑した。
「美紗!」
彼女は立ち上がった。二人は笑い合い、好奇心に溢れる他の乗客の視線を無視して、ごく自然に互いの両肘を抱え合った。
「驚いたわ。眼鏡を架けているんだもの。それに、その髪!然もスーツじゃなくてラフなジャケットにノーネクタイ、まるで人が変わったみたいね」
そんな風に言う美沙の声の調子は、嘗て、五年前まで、互いが狂おしいほどに激しい恋の相手であった頃と同じように、明るかった。美紗は二人で歩いた街の名前とか一緒に観た映画のタイトルとかと共に二人だけの歴史的デートの数々を瞬時に想い出した。今彼女の眼の前に居る水谷忠彦は、嘗て、彼女が結婚することになっていた相手だったのである。
「止めてくれよ。自分の姿を見てから言って欲しいね。君こそ高価そうなブランドのスーツなんか着ちゃってさ」
忠彦の声は美沙が記憶しているよりも幾分低めだった。
美沙が窓際の席の新聞を取って空席へ身を移そうとすると、忠彦が遮って、言った。
「立ち話もなんだから、それに、もう直ぐ昼だし、食堂車へ行かないか?」
「うん、そうね。それじゃ一緒にお昼を食べましょうか。五年振りなんだものね」

 昼時の混雑には未だ間があったのか、食堂車は比較的空いていた。二人は窓際の白いテーブルに向かい合って座った。忠彦が手慣れた様子で、美沙にはスモークド・サーモン・サンドイッチと自分にはシュリンプサラダを注文した。
 やがて美沙は陽に焼けた忠彦の貌を見ながら驚くほどの早口で話し始めた。
「わたし、今、大手銀行のコンピューター・オペレーションに関するコーディネーターをしているの」
「へえ、凄い仕事なんだな」
「一年前に結婚して子供は未だだけど、夫は小児科医なの」
「なるほど。それなりに幸福な生活を送っているんだ」
「あなたは今、どんなお仕事を?」
彼はサラダをつつきながら短く答えた。
「俺は、売れない映画のシナリオを書いているよ」
「まあ、素敵なお仕事なのね」
「昨日、次回作の打合せが太秦の撮影所であって、今はその帰りだよ」
 美沙は忠彦の貌を見ながら、昔と変わらず、やっぱり良い男振りなのを確認していた。
眼の周りにはうっすらと小さな皺が現れてはいるけれども、高い鼻梁の顔には張りが在り、顎の辺りはすっきりと余分な肉が無く、髭剃り後はつやつやと輝いている。何よりも彼の肉体は昔と何ら変わらずによく引き締まり、強靭なまますらりと伸びていた。
「相変わらず良いスタイルなのね、あなた」
「まあ、今でもあの頃と同じように毎朝走っているし、週に一回はジムに通って鍛えているよ」
彼はそう言って微笑した。
 やがて、舞い上がったような再会の興奮が鎮まると、二人の間に妙に居心地の悪い雰囲気が漂い出した。二人とも暫くの間、黙って食べ物を口に運んだ。
「もう五年になるのね」
美沙が口を切った。
彼女は自分の声が上辺だけの落ち着きを装っていることに苛つきながらも平静に話した。
「五年も前に起こったことについて、あなたとこうして語り合うなんて思ってもみなかったわ」
美沙は飲物を一口、呑み込んだ。
「あれは、いつの日だったかしら?」
彼女は窓の外を流れる景色に視線を投げかけながら少し微笑んだ。
「うん」
忠彦は頷きながら、頭の中に幾つものイメージが溢れて来るのを感じていた。
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