愛の讃歌

相良武有

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第十一話 骨まで削った愛

②「井田奈津美さんが車に撥ねられて入院されました」

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 その日、会議室に閉じ籠ってメンバー達と新しい仕事の企画についてミーティングをしていた正一に、突然、社内電話が架かって来た。
「警察からお電話です」
何事かと訝って出た電話口で警察官が言った。
「一時間前に井田奈津美さんが車に撥ねられて入院されました。あなたに連絡を、と言う本人の申し出でお電話しました」
事故の現場は二人のマンションのある広いバス通りで、昼の買物に出かけた時にトラックに撥ねられたらしい、とのことだった。
正一は課長に事情を話し、直ぐに奈津美が収容されている病院に駆け付けた。

 救急処置室に入ると奈津美は真っ青な顔で点滴を受けていた。
丁度、傍に居た医師が症状を詳しく話してくれた。
「腰と脚を強く打って居られ、腰の方は打撲だけですが、右脚の方は下腿の下三分の一の処がバンバーに撥ねられて肉が抉られたうえに、大骨と小骨の両方が折れています」
正一は、そうですか、という貌で医師の話を聴いた。
「創が深いうえに骨が複雑に折れているので、今すぐ手術をしなければなりません」
「えっ!」
医師の話を聴いて奈津美が今にも泣き出しそうな顔をした。
「ねえ、不具にならない?」
「大丈夫だよ、手術をすれば治るよ。ねえ、先生?・・・」
「足に傷跡が残るの?」
「大したことは無いさ、その内に消えてしまうよ」
医師は大仰に頷いて処置室を出て行った。
「ねえ、傍に居て、ずっと手を握って居てね」
そう言って奈津美は半泣きの貌をした。
 手術はその三十分後に行われた。
医師は一時間くらいで終わると言っていたが、難しかったのか、実際には二時間以上もかかった。奈津美の右脚は股の処から足先まで白いギブスが巻かれ、折れた個所にはうっすらと赤く血が滲んでいた。
 その後の警察の調べでは、奈津美が横断歩道を飛び出した処へトラックが突っ込んで来たらしかった。
「信号は黄色だったんだけど、まだ大丈夫、渡れるだろう、って思ったのよ」
「何をそんなに慌てていたんだ?」
「別に慌てた訳じゃなく、何となく、ぼんやりしていたのね、私」
その時のことを奈津美はそんな風に言ったが、トラックの方により大きな非が有ると言うことは明らかだった。
「治療費は私どもの方で負担させて頂きます」
トラック会社の事故担当者がそう申し出たが、金の問題よりも、元通りに治るかどうかが問題であった。
 
 それから奈津美の長い入院生活が始まった。
手術の直後、正一は最大限の時間を割いて奈津美の看護をした。仕事の方も心配ではあったが、それはメンバー達に出来る限り委ねて病院へ通った。
 手術をした一週間後に、奈津美の脚は、一旦、添木の上に巻かれたギブスを外されて糸が抜かれた。創は端の方は合わさっていたが、中央部は未だ肉が露出したままで赤い血が出ていた。一部分の糸が抜かれた後、又、固いギブスが巻かれ、創の部分だけ丸くくり抜かれてガーゼ交換が繰り返された。
 そのまま一カ月が経ち、足が痩せて細くなったので、再びギブスが巻き直された。一カ月で開いていた創口は幾らか肉が盛り上がって来たが、黄色い膿が出るようになった。
「創口が汚れていた所為で、中で少し化膿しています。何れ落ち着くでしょう」
医師はそう説明した。
痛みはもう殆ど無かったが、足を着くことは未だ禁じられていた。
医師が付け加えて説明した。
「骨のくっ付き方がまだ不十分ですから・・・」
 体重が四十五キロしか無かった奈津美は痩せて、小さい顔が更に小さくなった。形の良かった脚はギブスで覆われ、それを隠すように、少しだぶつくようなガウンを着ていた。それでも、転ばないように気を付けながら、松葉杖を突いて、トイレや病院の売店くらいまでは行くことが出来た。

 病院は完全看護で付添人が泊まることは出来なかったので、正一は毎日仕事帰りに顔を出した。
「早く家に帰りたいわ。ガーゼを交換するだけなら、家でも出来ると思うんだけど・・・」
正一も早く帰って来て欲しかった。一たび一緒に暮らし始めた後では、独り身の不便さが今更のように身に沁みた。
「わたしが居なくても、浮気しちゃ嫌よ」
「そんなことする訳ないだろう」
「でも、男の人って、アレ、我慢出来なくなることがあるんでしょう?」
「俺は大丈夫だよ」
実際に正一は、奈津美が入院してから一度も浮気はしていなかった。その気になれば、機会がない訳でもなかったが、然し、赤坂や六本木で深夜遅くまで飲み歩いても、病室で独り寝ている奈津美のことを考えればそんな気にはなれなかった。
 
 或る日の夜、九時過ぎにマンションへ戻ると、奈津美が部屋に帰っていた。
「どうしたんだよ?退院して来たのか?」
「ううん、一晩だけ外泊許可を貰って帰って来たの」
「そんなことをして脚は大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないけど、強引に先生にお願いして、何とか帰して貰ったの」
それから、奈津美が改まった口調で言った。
「其処に座って」
「何をするんだ?」
「良いから座って」
奈津美は強引に正一を丸椅子に座らせると、自分の座っている椅子から身を乗り出して正一のズボンのジッパーに手をかけた。
「おいおい、何処をいじるんだ、止めろよ」
奈津美はそろそろとズボンの中を弄ると、やがて正一の男性自身を手で握った。
「正ちゃん可哀相だから、私がしてあげる」
奈津美は暫く、愛しむように正一のそれを掌に収めていたが、やがてその先を唇に宛がった。
 終わった後、正一が照れたように言った。 
「俺だけ気持良くして貰って・・・悪いな!」
「私は女だから、良いの」
奈津美はそう言ったが、正一はやはり奈津美の躰そのものが欲しかった。
「早く退院出来ると良いのになぁ」
それを言うと奈津美が辛くなると解っていながら、正一は、つい、口に出して言ってしまうのだった。
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