大人への門

相良武有

文字の大きさ
上 下
1 / 67
第十話 永遠の愛

①興治と美恵の出逢い

しおりを挟む
 それは学生時代からの友人である大野正彦がニューヨークへ転勤するのを送る歓送会の夜だった。
二次会が三々五々と流れ解散した後、中本興治は最も親しかった中島恒夫に誘われて大野と三人で四条花見小路のバー「スイート・ハート」へ入って行った。三月も下旬を迎えていると言うのに今日は朝からめっぽう寒くて、先程からは雪がちらほらと舞い始めていた。興治はカウンターの片隅に座るとウイスキーの水割りとゆで卵を注文した。
「おい、この時期に雪だよな。ニューヨークもきっと寒いんじゃないのか?」
興治は、南国宮崎の出身で寒さに弱い大野を気遣って、話し掛けた。
「雪の為に何もかもがストップして立ち往生・・・なんてことがあるんじゃないか、向うでは?」
「うん。それは有り得ることだろうな。きっと・・・」
中島が酒に酔った締まりの無い調子で応えた。
「そうなると、仕事は休み、ってことになるのかなあ?」
「そんな訳ないだろうよ。東京や大阪と違って、相当に雪慣れしていると思うよ、向うは」
「雪で立ち往生、か・・・」
中島はその言葉をちょっと気取って、幾分メランコリックに聞こえるように言った。
 バーの店内は混み合っていた。ボックス席は全てが客で埋まっていたし、カウンターも空いているストゥ-ルは二つ三つしか無かった。マスターとバーテンダーは大忙しで客の注文に応えていた。
大野と中島はさも楽しそうに話し続けていた。
 興治は考えた。
二人が今夜こんなに楽しげなのは酔いの所為なのか、それとも、友人たちの中で唯一人、世界のニューヨークへ赴く大野の優越感が中島にも伝播している故なのか?・・・
確かに昔馴染みの学友たちと酒を飲みに出かけるのはちょっとした解放感には違いないが、それよりも、単に、ジャックダニエルと言う美味い酒の所為なのだろうか?・・・ 
三人の男たちはその日のパーティーの主役である大野が如何に勤勉で実直で奮闘家で、今やエリートとして仲間たちの最先端をひた走っているかを語り合った。
 その時、溶けた雪を髪の毛に光らせて、若い女性が二人、駆け込むように入って来た。
「うわぁ!いっぱいだわ!」
先に入って来た若い女性が叫んだ。
「お嬢さんたち、此方へどうぞ」
マスターが空かさず笑顔で声を掛けて、鉤型になったカウンター席へ二人を手招いた。
若い女性も軽く手を挙げ、気軽に微笑んで歩み寄って来た。どうやら馴染み客のようだった。
「すみません、お邪魔します」
そう言って頭を下げた二人は興治たち三人と斜めに向き合う形で腰掛けた。
「なあぁに、こういう寒い日には誰もが皆、温かい処へしけ込むものですよ」
大野がちょっとふざけた気障な調子でそう言った。
「あら、まるで映画の中の台詞みたいな言い方ですね」
若い方の女性が当意即妙に受けて答えた。
「わたし、映画が大好きでとても沢山の名画を観ているんです」
大野が答えた。
「僕も学生時代には毎週一、二回は映画を観ていたよ」
直ぐに中島がちょっかいを出すように揶揄った。
「お前は映画を専攻しているほど、よく映画館に通っていたもんな」
 その間、興治はずっと黙っていた。
彼が静かだったのは、此方を向いてカウンターの端に座っているその若い女性に気を取られていたからである。
その女性は歳の頃は二十二、三歳、カールした栗色の髪に、澄んだ黒い瞳と綺麗にトリムされた眉を持つ、実にくっきりと目鼻立ちのはっきりした、まるで西洋の絵画の中の女性のような顔をしていた。日本人離れした色白の貌だった。
唇もまた美しい、と興治は思った。それに笑い方が実に良かった。
「僕は大野、こいつは中島。あいつは中本と言うんだ。三人とも学生時代からの友達だよ」
大野はそんな風に自己紹介をした。
「で、君たちは何の因果でこんな時間にこんな所へやって来たんだ?」
「わたしは上野智恵って言うの」
歳上の女性が言った。
「で、此方は上野美恵、妹よ、わたしの。私は東京から遊びに来ているの。今夜は久し振りに妹が私を案内してくれて、姉妹で街に出て来たってわけ」
「それで、これから二人で家に帰るのかな?」
その時、大野は、先ほどから興治が妹の美恵の方をじっと見つめているのに気付いた。が、彼は何も言わなかった。
「で、京都はどう?・・・どう思う?」
智恵が微笑して答えた。
「外国人が多いのね・・・」
彼女には笑窪があった。
「何処へ行っても外国人だらけ・・・」
妹の美恵が口を挟んだ。
「姉は、前にも何度か京都へ来たことが有るのよ」
「来る度に外国人が増えているわ」
智恵が付け加えた。
バーテンダーが、何かどうぞ、という顔つきをしたので姉妹はイングリッシュ・マフィンとティーを揃って注文した。バーテンは頷いて準備に取り掛かった。
 興治は美恵を見詰めながら思っていた。
この娘、真実に可愛いな。綺麗だよ。この娘が良いな、他の誰でもなくこの娘が良い。この娘と交際いたいなぁ・・・
「君、モデルでもしているの?」
興治が気を引くように美恵に訊いた。
「そんなの、まさか・・・」
美恵はそう言って恥にかんだ。
「大学院で経営学を専攻している学生です」
「経営学?」
「ええ」
「彼女だったらモデルに成れるわよね。そう思わない?」
智恵が言ったので、皆の視線が一斉に美恵の彫りの深い美貌に集中して絡まった。彼女はより一層、恥にかんだ。
バーテンダーがマフィンとティーをそろりと出し、男たち三人にも水割りのお替わりを作った。
「君たちのような若い娘さんが、こんなに遅くまで外で遊んで居て良いのかい?」
中島が気に懸るように訊ねた。
「でも、わたしたち、この直ぐ近くのマンションに帰るのよ」
美恵が答えた。
しおりを挟む

処理中です...