大人への門

相良武有

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第九話 躓きを乗り越えて

⑧茜、イベントの運営を頼まれる

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 冬が駆け足でやって来るような遅霜が降りた土曜日の朝、茜が朝食とも昼食ともつかぬ遅い食事を摂っていると、携帯がプルプルと鳴った。オゾン時代の親友、小畑香織からだった。
「どう?その後、元気にしている?」
「うん、相変わらずよ」
「実はね、あなたに連絡を取りたいって人が居るんだけど・・・」
「だあれ?一体・・・」
「劇団“昴”を宰って居る田宮って言う人・・・」
「ああ、田宮さん」
「知っている?」
「うん」
田宮というのは、あの「未成年者飲酒事件」の時にオゾンホールで公演していた劇団の代表者だった。
「でも、その田宮さんが何であたしに逢いたいって?」
「何でも、劇団の所有するミニシアターのイベントを企画運営して欲しい、というようなことだったわよ」
「えっ、イベントの運営?」
「そう・・・逢ってみる?」
「うん、とても興味あるわ・・・でも、あなた、どうして田宮さんを知っているの?」
「昨日、帰りに待ち伏せされたのよ。あなたと仲の良い友達を探してあなたに連絡を取る為に、だって・・・」
「そうなの・・・」
「じゃ、時間と場所を決めてまた連絡するね」
「うん、宜しく」
 訪れる場所に指定されたのは寺町蛸薬師に在る寺社のような古民家風の建物だった。「劇団昴」と墨書された大きな木の看板が掲げられていた。
田宮代表が一階の稽古場で茜を出迎えた。
「いやあ、来て頂いて恐縮です。過日はご迷惑をお掛け致しました。改めてお詫び申し上げます」
「いえ、それはもう・・・」
茜が見渡すと、広い板敷きの部屋の隅に大きな書棚と小さなデスクが見て取れた。
「此処が稽古場ですか?」
「ええ。奥には流しとトイレと風呂と、団員が寝泊まり出来る小部屋も在ります」
「で、此処をホールとして使おうと?」
「いや。後で案内しますが、二階がガランと空いていますので、其処を少し改修してイベントや催しが出来るホールのようなものにしたいと考えているんです。無論、劇団の公演もこれまで通り二階で行いはしますが・・・」
「はあ・・・」
「建物は何とかなるんですが、問題は催し物の企画と運営で・・・誰か良い人が居ないかなぁ、と探していたところ、貴女がオゾンを辞められたと聞いたものですから、渡りに船、と小畑さんを通してお願いした次第です」
「香織とはお知り合いだったんですか?」
「いえ。オゾンの人事部へあなたの住所と電話番号を問い合わせたんですが、プライバシーを理由に拒否されて・・・それで、仲良くされている友人を探している内に小畑さんに行き当たったんです」
「なるほど、そうでしたか・・・」
案内された二階はオゾンホールとは比べようもなかったが、小ホールとして使うには十分な広さだった。二百人程度なら収容出来るだろうか?美術展や絵画展、バレー教室やピアノ発表会、自主映画の試写会や落語の独演会、写真スタジオなど、茜の頭には早くもイメージがくっきりと湧き上がって来た。
「どうでしょう?オゾンでの経験を活かして存分に腕を振るって頂けませんか?」
「はい・・・」
「先ずは“昴ホール”の管理者になって頂き、このホールの全面改装、そして新装ミニシアターの運営指針策定。催し物やイベントの企画運営はあなたの自由。必要とあれば助手やバイトの活用もお任せします。引き受けてはくれませんか?」
 茜はイベント・プロデューサーの仕事に未練があった。やり残したとの思いはあっても、やり切ったという感慨は無かった。それに今、仕事の見込みなど何一つも立っていなかった。降って湧いたような突然の文句のない素晴らしい話に、茜は暫し言葉が出なかった。
やがて、漸くの思いで彼女は言った。
「私、やります、是非、やらせて下さい」
「そうですか、引き受けて頂けますか、有難うございます」
階下へ降りた田宮は奥のキッチンから冷酒と摘みを持って来て茜を隅のデスクに座らせた。
「では、善は急げ。固めの乾杯をしましょうか」
注がれた盃を持ち上げて二人は合わせ合った。
「では、“昴ホール”管理者の誕生を祝って、乾杯!」
茜は直ぐに思い浮かんだことを田宮に話した。
「こけら落としは“劇団昴“の前衛芝居でお願いしますね」
彼は、ウイ、という表情で頷いた。
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