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第三話 運命的な出逢い
⑤OLの雅美、先輩社員に口説かれる
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二十三歳になった雅美は大学を卒業して小さな出版社に勤めていた。入社してから一年余りの間、森本明と言う十歳年嵩の先輩社員にいつも口説かれていた。
「俺と寝ようよ、ね、一度で良いからさ」
森本は酒に酔うと、周りに人が居ようが居なかろうが、いつもそう繰り返した。或る時は投げやりに、或る時は真剣に、また或る時は冗談に聞こえた。
「俺はもう生きているのが面倒臭いんだ。だが、君に恋しているのは真実だ、絶望的なほどに、な」
森本には既に振り捨てることの出来ない妻と子供が居た。彼は分譲マンションの狭い一室で、英和辞典を頼りに小説の翻訳の下請けをして飲み代を稼いでいた。
雅美はそうしたことをみんな知っていた。だから彼女は、俺と寝よう、と森本から言われると、周りに人が居ようと居まいと、フンと鼻先で嘲っていた。
雅美はワンルームマンションに独り住まっていた。給料の足りない分は土日の休みの日に、街の小さな印刷屋の帳簿記けに通った。名ばかりの社長と工員が二人居るだけのちんけな印刷屋だった。夕方、男たちから誘われれば何処へでも従いて行った。酒を飲み、カラオケで唄い、男たちと肩を組み、足を縺れさせて歩いた。だが、自分のマンションに男たちを入れることは無かったし、何処であれ、男たちと寝ることも無かった。男たちに支えられて歩きながら、ある時間になると急にその手を振り払い、自分の足で真直ぐに歩いて自室に帰った。それは印刷屋の男たちだけでなく出版社の男たちに対しても同じだった。それは若い雅美の誇りと矜持であった。
毎日の職場にも雅美に思いを寄せている男は居た。藤井裕一と言う三歳年上の同僚だった。或る晩、五人連れで飲みに出かけたのが、いつの間にか三人になっていた。
「なあ、俺と寝に行こう、こんな奴は放っといて、さ」
雅美に言った後、森本が藤井に向き直って訊ねた。
「おい、良いだろう?俺がこの子と寝てもさぁ」
「何でそんなことを僕に聞くんです?それはこの人の問題ですよ」
森本が雅美に言った。
「ほら、見ろ。寝ても良いって言っているぞ、こいつ。こいつは君に惚れてなんかいない、唯の友達だとさ。惚れて居りゃ腕づくだって邪魔する筈だからな」
「僕は良いなんて言っていません。それはこの人の自由だって言っただけです」
「自由だって言うのは、良いってことじゃないか、大学出ていてそんなことも解らないのか?大体お前、いつまでグタグタへばり付いているんだ?他の連中は気を利かせてサッサと消えたぞ」
「僕は何もへばりついてなんか居ません。この人と飲んで居るだけです」
「それで、あわ良くば、と狙っているんだろう?」
「あなたはそういう風にしか考えられないんですか?僕はこの人と飲んで居るのが楽しいから飲んで居るんです」
「これだから今どきの若い連中は嫌やなんだ。おい、お手々繋いで飯事をするお子様タイムはとうに過ぎたぞ。もう大人の時間だ。お前なんか早く帰れ!終電車が行ってしまえば、後はホテルにしけ込むしかないんだ。脛齧りの学生じゃあるまいし、深夜に男同士で顔突き合わせて、ウオッカ舐めるなんて、俺は真っ平だからな」
「帰りますよ、言われなくったって」
藤井は立ち上がって雅美に言った。
「君も帰るだろう?」
だが、何故か雅美は、その時、立ち上がらなかった。
「私、もう少し飲んで行くわ」
藤井のきつい視線が雅美を射抜いた。彼は何も言わず、殆ど絶望したかのように顔を逸らせた。
「あなたなんか死んで終えば良いんだ」
藤井は森本の背に唾を吐き捨てるようにそう言って、扉を押して帰って行った。
森本はその後、続けて二、三杯、コップ酒を飲んだ。
「俺と寝ようよ、ね、一度で良いからさ」
森本は酒に酔うと、周りに人が居ようが居なかろうが、いつもそう繰り返した。或る時は投げやりに、或る時は真剣に、また或る時は冗談に聞こえた。
「俺はもう生きているのが面倒臭いんだ。だが、君に恋しているのは真実だ、絶望的なほどに、な」
森本には既に振り捨てることの出来ない妻と子供が居た。彼は分譲マンションの狭い一室で、英和辞典を頼りに小説の翻訳の下請けをして飲み代を稼いでいた。
雅美はそうしたことをみんな知っていた。だから彼女は、俺と寝よう、と森本から言われると、周りに人が居ようと居まいと、フンと鼻先で嘲っていた。
雅美はワンルームマンションに独り住まっていた。給料の足りない分は土日の休みの日に、街の小さな印刷屋の帳簿記けに通った。名ばかりの社長と工員が二人居るだけのちんけな印刷屋だった。夕方、男たちから誘われれば何処へでも従いて行った。酒を飲み、カラオケで唄い、男たちと肩を組み、足を縺れさせて歩いた。だが、自分のマンションに男たちを入れることは無かったし、何処であれ、男たちと寝ることも無かった。男たちに支えられて歩きながら、ある時間になると急にその手を振り払い、自分の足で真直ぐに歩いて自室に帰った。それは印刷屋の男たちだけでなく出版社の男たちに対しても同じだった。それは若い雅美の誇りと矜持であった。
毎日の職場にも雅美に思いを寄せている男は居た。藤井裕一と言う三歳年上の同僚だった。或る晩、五人連れで飲みに出かけたのが、いつの間にか三人になっていた。
「なあ、俺と寝に行こう、こんな奴は放っといて、さ」
雅美に言った後、森本が藤井に向き直って訊ねた。
「おい、良いだろう?俺がこの子と寝てもさぁ」
「何でそんなことを僕に聞くんです?それはこの人の問題ですよ」
森本が雅美に言った。
「ほら、見ろ。寝ても良いって言っているぞ、こいつ。こいつは君に惚れてなんかいない、唯の友達だとさ。惚れて居りゃ腕づくだって邪魔する筈だからな」
「僕は良いなんて言っていません。それはこの人の自由だって言っただけです」
「自由だって言うのは、良いってことじゃないか、大学出ていてそんなことも解らないのか?大体お前、いつまでグタグタへばり付いているんだ?他の連中は気を利かせてサッサと消えたぞ」
「僕は何もへばりついてなんか居ません。この人と飲んで居るだけです」
「それで、あわ良くば、と狙っているんだろう?」
「あなたはそういう風にしか考えられないんですか?僕はこの人と飲んで居るのが楽しいから飲んで居るんです」
「これだから今どきの若い連中は嫌やなんだ。おい、お手々繋いで飯事をするお子様タイムはとうに過ぎたぞ。もう大人の時間だ。お前なんか早く帰れ!終電車が行ってしまえば、後はホテルにしけ込むしかないんだ。脛齧りの学生じゃあるまいし、深夜に男同士で顔突き合わせて、ウオッカ舐めるなんて、俺は真っ平だからな」
「帰りますよ、言われなくったって」
藤井は立ち上がって雅美に言った。
「君も帰るだろう?」
だが、何故か雅美は、その時、立ち上がらなかった。
「私、もう少し飲んで行くわ」
藤井のきつい視線が雅美を射抜いた。彼は何も言わず、殆ど絶望したかのように顔を逸らせた。
「あなたなんか死んで終えば良いんだ」
藤井は森本の背に唾を吐き捨てるようにそう言って、扉を押して帰って行った。
森本はその後、続けて二、三杯、コップ酒を飲んだ。
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