60 / 67
第二話 真夏の夢幻し
⑦ホテルを引き払う朝に
しおりを挟む
愈々、バカンスも終わり、今夜限りでホテルを引き払って明日帰ると言う日の朝、麻衣は、睡眠不足の所為か、ベッドでうつらうつらしていたが、ドアを叩く小さなノックの音ではっきりと目覚めた。
ドアを開けると忍が立っていた。
「お疲れみたいね」
忍はゆったりしたガウンのようなワンピースを着ていた。彼女が何処と無くきらきらしているのに麻衣は気づいた。これまで翳のように彼女にこびり付いていた暗いものが消えていた。口の利き方も生き生きとしている。
「ねえ、何か良いことでもあったの?」
「うん。破瓜をしたら自信のようなものが心にも躰にも湧いて来たの」
「えっ?あなた、バージンだったの?」
「そうよ。これまでずう~っと未経験だったの」
「へーえ、そうだったの・・・知らなかったなぁ」
「あたし、二十二歳にもなって未だ処女だってことが惨めで恥ずかしかったし重荷だったの。だから、いつもあなたに引け目があったし、羨ましくも妬ましくもあった」
「それがどうして?・・・」
「あなたが筆下ろしをしてあげた慎一君があたしの破瓜をしてくれたの」
「えっ?あなたも彼と寝たの?」
「拙くてぎこちなくて、おどおどした交わりだったけど、鮮烈で直向きで一途で懸命な行為だったわ。彼の迸る若さと情熱とエネルギーがあたしの躰と心を深奥から突き動かし、揺さ振り上げたの。私は自我を忘れて夢の中を跳んでいた・・・」
忍は思い出したように上気した貌を麻衣に向けた。
「あたし、何と言って良いか・・・」
麻衣は言いようの無い苦衷の顔をした。
自分が筆下ろしをしてやった若い男と寝て破瓜をした忍に対して、麻衣はえぐい女の厭らしさと言いようの無い嫌悪を覚えた。
忍が続けて言った。
「あの子、すっかり元気になったわ。東大受験に失敗したくらいでくよくよしたのは馬鹿みたいだって言っているし・・・」
「当り前じゃないの・・・そんなことが東京からこの橋立まで来なきゃ解らないなんて、どうかしているのよ」
「子供の頃から秀才で、エリートコースをすいすい進んで来たから、勉強が出来れば周囲からちやほやされて大事にされるし、それも重荷だったのよね」
麻衣は馬鹿々々しくなって、ついつい、きつい言い方になった。
「そんなことは精々、幼稚園の頃に言うものよ。一体、幾つになったって言うの?もう二十歳を目前にしているのよ、彼は」
「良いじゃないの。世の中、受験ばかりじゃ無いって気が付いたんだから・・・」
麻衣は舌打ちをするような仕草をした。忍は麻衣が何か言い始める前に胸を反らせて言った。
「あたし、男を知らないなんて自分が頼りなくて物凄く嫌だったし、あなたにも負い目とコンプレックスが在ったんだけど、でも、もう一人前なのよ」
「二十歳前の男の子とたった一度くらいで、何を言っているのよ」
「一度じゃ無いわ。流石にトリプルの日は無かったけど、ダブルは一度や二度じゃ無いの。歳下の子って、歳上の女が良いみたいね」
「知らないわ、馬鹿々々しい・・・」
麻衣は、もう何も言うことは無い、と言う表情で忍の話を聴いていた。
「あの子は女を知って人生の広さを悟ったし、あたしは男に抱かれて自分に自信を持った・・・」
「自信?・・・」
「うん、あたしも女になったんだって覚ったの」
翌日の朝、麻衣が帰り支度を整えてフロントへ降りて行くと既に忍がロビーで待って居た。驚いたことに池田慎一も旅支度で忍の隣に腰掛けていた。
忍がにこやかに言った。
「彼もあたし達と一緒に今から帰るけど、京都駅でサヨナラよ。後腐れは無いことになっているの」
「・・・・・」
「それでお終いよ。だから、彼にとってもあたしにとっても、今日はとても良い旅立ちなのよ」
ホテルの玄関口で突然立ち止まって、麻衣が言った。
「あたし、帰るの、止すわ。あなたたち二人で帰ってよ」
えっ?という表情で振り返った忍が訝し気に訊いた。
「どうしたのよ?・・・急に」
麻衣はそれには答えず、にっこり笑って片手を上げた。
慎一に促された忍は向き直ってドアの方へ歩いて行った。ロビーを出て行く二人の後姿は颯爽としていた。
タクシーに荷物を積み込むのは慎一が担ったし、運転手に行き先を告げたのは忍だった。朝の光の中に並んでタクシーに乗った二人はどう見ても姉と弟であった。
麻衣はさばさばした表情で二人を見送った。
ドアを開けると忍が立っていた。
「お疲れみたいね」
忍はゆったりしたガウンのようなワンピースを着ていた。彼女が何処と無くきらきらしているのに麻衣は気づいた。これまで翳のように彼女にこびり付いていた暗いものが消えていた。口の利き方も生き生きとしている。
「ねえ、何か良いことでもあったの?」
「うん。破瓜をしたら自信のようなものが心にも躰にも湧いて来たの」
「えっ?あなた、バージンだったの?」
「そうよ。これまでずう~っと未経験だったの」
「へーえ、そうだったの・・・知らなかったなぁ」
「あたし、二十二歳にもなって未だ処女だってことが惨めで恥ずかしかったし重荷だったの。だから、いつもあなたに引け目があったし、羨ましくも妬ましくもあった」
「それがどうして?・・・」
「あなたが筆下ろしをしてあげた慎一君があたしの破瓜をしてくれたの」
「えっ?あなたも彼と寝たの?」
「拙くてぎこちなくて、おどおどした交わりだったけど、鮮烈で直向きで一途で懸命な行為だったわ。彼の迸る若さと情熱とエネルギーがあたしの躰と心を深奥から突き動かし、揺さ振り上げたの。私は自我を忘れて夢の中を跳んでいた・・・」
忍は思い出したように上気した貌を麻衣に向けた。
「あたし、何と言って良いか・・・」
麻衣は言いようの無い苦衷の顔をした。
自分が筆下ろしをしてやった若い男と寝て破瓜をした忍に対して、麻衣はえぐい女の厭らしさと言いようの無い嫌悪を覚えた。
忍が続けて言った。
「あの子、すっかり元気になったわ。東大受験に失敗したくらいでくよくよしたのは馬鹿みたいだって言っているし・・・」
「当り前じゃないの・・・そんなことが東京からこの橋立まで来なきゃ解らないなんて、どうかしているのよ」
「子供の頃から秀才で、エリートコースをすいすい進んで来たから、勉強が出来れば周囲からちやほやされて大事にされるし、それも重荷だったのよね」
麻衣は馬鹿々々しくなって、ついつい、きつい言い方になった。
「そんなことは精々、幼稚園の頃に言うものよ。一体、幾つになったって言うの?もう二十歳を目前にしているのよ、彼は」
「良いじゃないの。世の中、受験ばかりじゃ無いって気が付いたんだから・・・」
麻衣は舌打ちをするような仕草をした。忍は麻衣が何か言い始める前に胸を反らせて言った。
「あたし、男を知らないなんて自分が頼りなくて物凄く嫌だったし、あなたにも負い目とコンプレックスが在ったんだけど、でも、もう一人前なのよ」
「二十歳前の男の子とたった一度くらいで、何を言っているのよ」
「一度じゃ無いわ。流石にトリプルの日は無かったけど、ダブルは一度や二度じゃ無いの。歳下の子って、歳上の女が良いみたいね」
「知らないわ、馬鹿々々しい・・・」
麻衣は、もう何も言うことは無い、と言う表情で忍の話を聴いていた。
「あの子は女を知って人生の広さを悟ったし、あたしは男に抱かれて自分に自信を持った・・・」
「自信?・・・」
「うん、あたしも女になったんだって覚ったの」
翌日の朝、麻衣が帰り支度を整えてフロントへ降りて行くと既に忍がロビーで待って居た。驚いたことに池田慎一も旅支度で忍の隣に腰掛けていた。
忍がにこやかに言った。
「彼もあたし達と一緒に今から帰るけど、京都駅でサヨナラよ。後腐れは無いことになっているの」
「・・・・・」
「それでお終いよ。だから、彼にとってもあたしにとっても、今日はとても良い旅立ちなのよ」
ホテルの玄関口で突然立ち止まって、麻衣が言った。
「あたし、帰るの、止すわ。あなたたち二人で帰ってよ」
えっ?という表情で振り返った忍が訝し気に訊いた。
「どうしたのよ?・・・急に」
麻衣はそれには答えず、にっこり笑って片手を上げた。
慎一に促された忍は向き直ってドアの方へ歩いて行った。ロビーを出て行く二人の後姿は颯爽としていた。
タクシーに荷物を積み込むのは慎一が担ったし、運転手に行き先を告げたのは忍だった。朝の光の中に並んでタクシーに乗った二人はどう見ても姉と弟であった。
麻衣はさばさばした表情で二人を見送った。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
5分間の短編集
相良武有
現代文学
人生の忘れ得ぬ節目としての、めぐり逢いの悦びと別れの哀しみ。転機の分別とその心理的徴候を焙り出して、人間の永遠の葛藤を描く超短編小説集。
中身が濃く、甘やかな切なさと後味の良さが残る何度読んでも新鮮で飽きることが無い。
Cutie Skip ★
月琴そう🌱*
青春
少年期の友情が破綻してしまった小学生も最後の年。瑞月と恵風はそれぞれに原因を察しながら、自分たちの元を離れた結日を呼び戻すことをしなかった。それまでの男、男、女の三人から男女一対一となり、思春期の繊細な障害を乗り越えて、ふたりは腹心の友という間柄になる。それは一方的に離れて行った結日を、再び振り向かせるほどだった。
自分が置き去りにした後悔を掘り起こし、結日は瑞月とよりを戻そうと企むが、想いが強いあまりそれは少し怪しげな方向へ。
高校生になり、瑞月は恵風に友情とは別の想いを打ち明けるが、それに対して慎重な恵風。学校生活での様々な出会いや出来事が、煮え切らない恵風の気付きとなり瑞月の想いが実る。
学校では瑞月と恵風の微笑ましい関係に嫉妬を膨らます、瑞月のクラスメイトの虹生と旺汰。虹生と旺汰は結日の想いを知り、”自分たちのやり方”で協力を図る。
どんな荒波が自分にぶち当たろうとも、瑞月はへこたれやしない。恵風のそばを離れない。離れてはいけないのだ。なぜなら恵風は人間以外をも恋に落とす強力なフェロモンの持ち主であると、自身が身を持って気付いてしまったからである。恵風の幸せ、そして自分のためにもその引力には誰も巻き込んではいけない。
一方、恵風の片割れである結日にも、得体の知れないものが備わっているようだ。瑞月との友情を二度と手放そうとしないその執念は、周りが翻弄するほどだ。一度は手放したがそれは幼い頃から育てもの。自分たちの友情を将来の義兄弟関係と位置付け遠慮を知らない。
こどもの頃の風景を練り込んだ、幼なじみの男女、同性の友情と恋愛の風景。
表紙:むにさん
ボクの父さんはダメおやじ
有箱
大衆娯楽
ボクはダメダメな父さんが恥ずかしい。
こんなにダメな人間もいるんだな!?と逆に凄いと思うくらい父さんはダメダメなのだ。
朝は起きられないし、道には迷うし、物は無くすし……
ある日、幼い僕の写真ストラップがついた鍵を、父さんがなくしてしまう。
居ても立っても居られず探すボクに、意味の分からない危険が迫ってきて。
ルビコンを渡る
相良武有
現代文学
人生の重大な「決断」をテーマにした作品集。
人生には後戻りの出来ない覚悟や行動が在る。独立、転身、転生、再生、再出発などなど、それは将に人生の時の瞬なのである。
ルビコン川は古代ローマ時代にガリアとイタリアの境に在った川で、カエサルが法を犯してこの川を渡り、ローマに進軍した故事に由来している。
詩集「支離滅裂」
相良武有
現代文学
青春、それはどんなに奔放自由であっても、底辺には一抹の憂愁が沈殿している。強烈な自我に基づく自己存在感への渇望が沸々と在る。ここに集められた詩の数々は精神的奇形期の支離滅裂な心の吐露である。
モザイク超短編集
相良武有
現代文学
人生のひと時の瞬く一瞬を鮮やかに掬い取った超短編集。
出逢い、別れ、愛、裏切り、成功、挫折、信頼、背信、期待、失望、喜び、哀しみ、希望、絶望・・・
切り詰めた表現が描き出す奥深い人生の形。人生の悲喜交々が凝縮された超短編ならではの物語集。
人生の時の瞬
相良武有
現代文学
人生における危機の瞬間や愛とその不在、都会の孤独や忍び寄る過去の重みなど、人生の時の瞬を鮮やかに描いた孤独と喪失に彩られた物語。
この物語には、細やかなドラマを生きている人間、歴史と切り離されて生きている人々、現在においても尚その過去を生きている人たち等が居る。彼等は皆、優しさと畏怖の感覚を持った郷愁の捉われ人なのである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる