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第十章 春よ、早く来い!

①今年も又、岡林は震災の被災地へ帰って来た

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 正月が明けた一月の半ば、閉店後にオーナーの岡林が嶋木に言った。
「明日から三日間、例年通り今年も店を閉めるが、今年はお前も俺たちと一緒に従いて来い。良いな、解ったな」
半ば命令的な口調で岡林に言い渡されて、嶋木に拒める余地は無かった。オーナーの指示は絶対的であった。
 連れて行かれたのは岡林の生まれ育った故里だった。生まれ育っただけでなく、岡林が二十年前の大震災と大津波で妻と娘をこの土地で亡くしていたことを嶋木は初めて知ったのだった。
 今年も又、岡林は純子ママを伴って震災の被災地へ帰って来た。
毎年この時期になると、何かに誘われ急き立てられるようにして、帰って来る。今年は初めて嶋木を同道したのだった。
 
 追悼行事の前夜、岡林は川の中州に立って、「生」の字に積み上げられてライトアップされた石のオブジェの前で、蝋燭を灯して妻と娘の冥福を祈った。日没後には、暗闇の中で集まった大勢の人が懐中電燈を照らしながら黙祷を捧げるのに、一緒に加わった。
奈美は震災で逝った訳ではなかったが、奈美の霊がその辺りに漂って居る気がして、嶋木も頭を深く垂れて、その冥福を祈った。
 嶋木は岡林や純子ママと一緒に掌を合わせながら、思わぬ感慨に襲われた。
被災して二十年も経ち、街は罹災から立派に再興してすっかり様変わりしているし、震災そのものが少なからず風化しつつあるのに、これだけ多くの人が集まるんだ、被災者の哀しみと苦しみは想像を超えて深くて大きいんだ、嶋木はオーナー岡林の秘められた辛苦を初めて理解した気がした。
「岡林じゃないか」、
岡林に突然背後から声がかけられた。
岡林が振り返ると、幼なじみの猪口が立っていた。高校まで一緒に通った仲の良い友達だった。
「お前、生きていたのか、無事だったのか!」
二人は抱き合わんばかりに歩み寄って、互いを凝っと見詰め合い、二十年振りの再会を喜んだ。互いの元気な笑顔を見て、二人の眼に涙が溢れた。
猪口の家族は皆、難を逃れて辛くも無事だった、と言う。岡林の胸に複雑な思いが過ぎったが、彼はそれをぐっと飲み込んだ。
猪口は言った。
「この二十年間、俺は人の絆というものを思い知ったよ。大震災の津波で被災して、八割以上の住民がこの街を出て行った。だが、市の区画整理後に戻ったのは三割弱だった」
「初めは戻りたかった人が大勢居ただろうに・・・」
「経済が疲弊して動かず、地域から人が離れてしまったんだな」
「話し合いの集会に出て来なかったり、出て来ても意見が言えなかったり、そういう人が大勢居たんだろうな」
「俺はボランティアで、喫茶店や手芸店や足湯など、交流の場を作ることに取組んだし、地産の材料での商品開発で街の人たちの生き甲斐作りや雇用創出にも努力した。だがな、一昨年の暮れに餅つきのイベントをやった時、住民達が、疲れた、と漏らしたことが有ったんだ。此方が良かれと思ってやったことも、相手の負担になることがある、とその時、知ったんだ」
「支援者が果たす役割は大きいが、主体は住民本人ということか・・・」
「然し、な、そういう困難な状況でも楽しみを見つけたり、前向きに取組んだりするこの街の人たちと接していると、人って凄いな、と感じる。これは素晴しいことだと思う。この教訓はずうっと次の世代に残さないといけないと思っている」
二人は震災で崩壊した街を思い起した。山積みの瓦礫に燃え上がる炎・・・
「辛くても頑張って耐えれば、きっと良いことがある、なあ、岡林」
猪口はそう言って、岡林の肩をぽんと叩いた。
「これは俺のビジネスパートナーだ」
そう純子ママと嶋木を猪口に引き合わせた後、岡林が彼を誘った。
「なあ猪口、俺たちが無事だったことを祝して一杯飲まんか?」
「ああ良いね。飲もう、飲もう」
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