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第九章 オーナー岡林

①岡林、大震災で妻子を失う

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 年末年始の休みが終わって程無くの、小正月が過ぎて間もない一月中旬、岡林は機械工として東京に単身赴任していた。地元の工場が閉鎖されて東京の工場に吸収され、妻子を残して単身で赴任したのだった。同じ一つの会社であっても、工場が違えば別会社と同じである。それまでやっていた仕事に就けるとは限らなかったし、職場が変れば新人同然であろう。岡林は仕事も生活も先のことが見通せるまでは単身で赴くのも止むを得ないと妻を説得した。 
 昼食を摂る社員食堂でテレビのニュースを観た岡林は言葉を失った。ヘリコプターから舐めるように捉えられた映像の中で、幼い頃から長年住み馴染んで来た故郷の街並が瓦礫と化し濁った水に覆われていた。大地震に大津波・・・瞬時に、自宅に残して来た妻と娘の顔が眼に浮かんだ。
 岡林は直ぐに食堂を抜け出して更衣室へ走り、自分のロッカーから携帯電話を取り出してボタンをプッシュした。だが、何度架けても妻の携帯に電話は繋がらなかった。どうか無事で居てくれよ、岡林は不安と焦る心の中でそれだけを念じた。ひょっとしたら、二人とも上手く何処かへ逃げて避難しているかもしれない、彼はそんな僥倖に縋って二人の無事を願った。そうするしかその場の自分の気持を納得させる術が無かった。二人を一緒に此方へ連れて来ていれば、妻も娘もこんなことにはならなかったろうに・・・岡林は悔やんでも悔やみ切れない思いに苛まれた。 
 
 翌日、始発の新幹線に乗り込んだ岡林は、逸る心を抱えて、麻痺する交通機関を乗り継ぎ、寸断された道路を迂回しながら漸く自宅に辿り着いた。が、昨日まで其処に在った賃貸マンションは跡形も無く消え失せていた。マンションの在った場所は少し内陸部だったので、此処までは大丈夫なのではないかと一縷の希を託していたが、それも儚い願いに過ぎなかった。
 岡林は避難所の体育館に寝泊りし、其処を根城に幾つかの避難所を訪ね歩いて、妻と娘の名前を名簿の中に見出そうとした。だが、何処にもそれは見つからなかった。何軒目かの避難所で再会した知人に二人の消息を尋ねたが、それも駄目だった。
「俺も母親を車に乗せて逃げるのがやっとで、妻の方は未だに行方不明なんだ」
知人はそう言って頭を垂れた。
倒壊を免れた市役所の一隅で業務を再開した区役所に出向いて手掛りを求めもしたが、それも徒労だった。妻と娘どころか友人・知人も誰一人としてその消息を掴めた者は居なかった。

 三月の彼岸を過ぎても妻と娘は見つからず、岡林は開き始めた桜の花に追われるように、止む無く東京へ戻った。これだけの惨事の後にも桜の花は無情にも今年も見事に花を開いた。
然し、東京へ戻った岡林を襲ったのは強烈な喪失感と寂寥感だった。
仕事をしていても妻と娘のことが片時も頭から離れない、夜、寮の部屋に帰っても夢にまで二人が現れて碌に眠れない、酒に紛らわそうとしても飲む気にもなれない・・・
後を追いたいのに、自分は生きる為に仕事をし、飯を食わなければならない・・・
何処か遠くへ消えてしまいたい、いっそのこと一思いに俺も死んでしまいたい・・・
九十歳の夫が亡くなって悲しむ女性に出逢って、もう十分に生きたじゃないか、と心の中で羨んだ。
周囲の励ましは虚しいだけだった。
幸せそうな友人の連絡先は携帯電話から消した。 
 岡林は次第に生きる気力を無くし、自閉し自失して行った。
岡林は毎日、鬱々とした自らの心を持て余し、無気力にただ流されて生きた。が、それでも毎週末には、急き立てられるように、己を鞭打って、被災した街へ帰って妻と娘の行方を捜し歩くことは止めなかった。そうしなければ居ても立ってもいられなかった。
 
 梅雨が明け暑い陽差しが街路から照り返す頃になって、岡林は、もう駄目かもしれないな、と辛い諦めを胸に抱き、誰かに言われて思い出したように、保険金や見舞金の請求手続きを行った。それは思ったよりも早く直ぐに支給されて来た。何やかや合わせて二千万円余りの現金が手に入った。然し、それは妻と娘を失ったことと引き換えに手に入れたものだった。見ているだけで憤怒と悲嘆が胸を打ち塞ぐ金だった。岡林はそんな金は唯ただ持っているだけでおぞましかった。
 岡林は、工場の同僚を誘って憂さ晴らしに酒を飲みに出かけた時、直ぐに決めた。
「この金は全部飲んで使ってしまうぞ。これから毎週、週末には呑みに出るからな、つき合ってくれよ、な」
「良いのか、お前、そんなことをして?」
「ああ、良いんだよ、これほどの悪銭は一生の内でも滅多に無いからな」
陽気に大声で応えはしたが、岡林の心の中には大粒の涙が泳いでいた。
 それから岡林は、イタリア国旗のマークが入ったTシャツ、胸元には金色のネックレスを光らせ、黒い帽子に黒いスーツを着込んで、毎週、何軒も梯子して飲み回った。テナントビルに雑居する酒場を最上階から地下まで、一軒一軒順番に呑み降りたりして、一晩に五十万円を使う日もあった。
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