クラブ「純」のカウンターから

相良武有

文字の大きさ
上 下
20 / 72
第七章 バーテンダー嶋木

⑥一人娘、美幸の溺死

しおりを挟む
 浜辺は暑かった。夏たけなわであった。烈しい太陽光線には殆ど憤怒があるようだった。海には想像以上に大勢の人が居た。大学生のサークル仲間達、高校生のグループ、愛し合う二人のカップル等々若者たちで賑っていた。彼らは開けっ広げの開放の夏を存分に愉むかのようであった。彼方此方で嬌声と破顔が絶えなかった。海月に刺されることや波がやや高いことなどを心配する者は誰一人居ないようだった。
 奈美と安子は、波打ち際から少し離れた場所に赤白の大きなパラソルが空いているのを見つけると、素早く其処に陣取った。子供たち三人は直ぐに波打ち際へ出て砂の山を築き始めた。子供は四歳の美幸と同じ歳の紗智子、それに今年小学校へ入った六歳の清一の三人である。
 奈美と安子はパラソルの下でお喋りを始めた。
日焼けをしていない奈美の白い肌は殆ど眩しいほどであったし、安子も均整の取れた伸びやかな肢体を持っていた。二人は先ずお互いの肉体を褒め合った。
次に、子供のこと、夫のこと、自身のことなど自分たちの日常生活のことを煌びやかに虚飾して誇らしげに語り合った。
それから、ご近所の噂話に花を咲かせ持っている情報を交換し合った。二人の住んでいるマンションは大きなディベロッパーの開発によるものだったので入居家族の数は五十軒を超えていたし、年齢的にも同じような家族構成の居住者が多かったので、その分、噂話の種は尽きなかった。これら噂話にはある種の悪意を伴った心地良さが有ったので、二人は笑いを消すこと無く話は尽きなかった。
 話が一段落すると、二人は手を後ろに支え、足を伸び伸びと伸ばして沖を眺めた。積乱雲が夥しく湧き上がっていた。
 
 子供達は砂の山を築くのに飽きたのか、水際の波を蹴散らして走り出した。二人の母親は慌てて立ち上がって子供たちを追いかけた。
が、子供達は危険を犯さなかった。波が押し寄せ、崩れ、また引き返す浅い緩慢な渦巻きの中に美幸と紗智子は手を繋いで立った。水の高さは二人の胸の辺りであった。ただ、二人は爪先立っていたが母親達にはそれは見えなかった。
奈美は二人の側まで行って
「それ以上深い所へ行っては駄目よ」
と少しきつい眼差しで注意した。
安子も水際で一人残っている清一に
「二人を放って置かないで、早く引上げて一緒に遊びなさい」
と命じた。
 奈美も安子も日光を恐れていた。二人は又、パラソルに引き返した。奈美は自分の肩を見、水着の上に現れている胸を見て、その白さに安堵した。二人は再びお喋りという自分たちだけの安逸な世界に没頭して行った。
 突然、清一が
「ママっ~!」
と叫んで母親を呼んだ。
清一は沖の方を指差して、今にも泣きそうな異様な表情をしていた。
 奈美は美幸の姿を眼で捜した。が、美幸だけでなく紗智子の姿も無かった。
奈美はふいに烈しい動悸に襲われた。慌てて立ち上がって水際まで一目散に駆けた。
押し寄せては引き返す波の、三メートルほど先の泡立ちの中に、灰白色の小さな身体が二つ、押し転がされて行くのが見えた。美幸の赤い花柄の水着が瞥見された。
奈美の動悸は一層烈しくなった。無言で、必死の形相で水の中へ駆け込んだ。
清一が泣き出したと同時に、近くに居た若者が数人、波打ち際の水を蹴散らして海の中へ駆け入っていた。
 
 やがて、小さな身体を抱えた二人の若者が水際に戻って来た。仰向いてぐったりと後ろに仰け反った美幸の顔から、濡れた髪が垂れ下がり、髪の先から水が滴った。奈美は手を伸ばして美幸を抱き取ろうとしたが、不意に頭から血が一度に退いて、そのまま倒れた。
 結局、安子の娘紗智子は人工呼吸で息を吹き返したが、美幸の呼吸は戻らず、病院へ搬送される救急車の中で死亡が確認された。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大人への門

相良武有
現代文学
 思春期から大人へと向かう青春の一時期、それは驟雨の如くに激しく、強く、そして、短い。 が、男であれ女であれ、人はその時期に大人への確たる何かを、成熟した人生を送るのに無くてはならないものを掴む為に、喪失をも含めて、獲ち得るのである。人は人生の新しい局面を切り拓いて行くチャレンジャブルな大人への階段を、時には激しく、時には沈静して、昇降する。それは、驟雨の如く、強烈で、然も短く、将に人生の時の瞬なのである。  

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

半欠けの二人連れ達

相良武有
現代文学
 割烹と現代料理の店「ふじ半」の厨房から、店へやって来る客達の人生の時の瞬を垣間見る心揺するハートフルな物語の幾つか・・・  人は誰しも一人では不完全な半人前である。信頼し合う二人が支え合い補い合って漸く一人前になる。「半欠け」の二人が信じ合い解り合って人生を紡いで行く・・・

【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》

小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です ◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ ◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます! ◆クレジット表記は任意です ※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください 【ご利用にあたっての注意事項】  ⭕️OK ・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用 ※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可 ✖️禁止事項 ・二次配布 ・自作発言 ・大幅なセリフ改変 ・こちらの台本を使用したボイスデータの販売

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

5分間の短編集

相良武有
現代文学
 人生の忘れ得ぬ節目としての、めぐり逢いの悦びと別れの哀しみ。転機の分別とその心理的徴候を焙り出して、人間の永遠の葛藤を描く超短編小説集。  中身が濃く、甘やかな切なさと後味の良さが残る何度読んでも新鮮で飽きることが無い。

処理中です...