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第六章 同級生遼子、ホステスから庭師へ転身
⑮「天涯孤独だった私に、一緒に生きて行く相棒が出来るのね」
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家の方の座敷に案内された遼子の前に、半被を来た若衆三人が二の膳付きの豪華な食事を運んで来て並べた。それは、奥の上座に座っている遼子の前に一つとその向かい側に二つ並べられた。
一番歳かさの高い若衆が遼子の前に両手を突いて
「お客人、どうぞ召し上がって下さい」
と言った。ドスのきいたその声に遼子は思わず気圧された。
部屋を出て行く時、三人は廊下に出て揃って此方に一礼し、両膝をついて、両手で障子を閉めて行った。礼儀作法は行き届いていた。
広い客間にひとり座らされた遼子は三代目とその義父が入って来るのを待った。
程無く、襖がさっと開いて三代目と老人が入って来た。まき子は先ほどとは打って変わって、大輪の菊がパッと咲いたような艶やかな和服姿であった。
「あら、召し上がらないんですか?若い女性にはお口に合いませんかしら」
「いえ、そんな訳では・・・」
それなら、と言って、徐に、まき子が仏壇を開けた。
「うちの人に線香の一本も上げてやって戴けませんか?」
「あ、はい」
仏壇には亡くなった父親、吾郎の写真が飾られていた。
線香を上げチーンと鐘を叩くまき子の後ろで遼子も手を合わせた。無量の感が遼子の胸を覆った。
まき子が突然、若松弁で叫んだ。
「あんた、ウチにこんな恥ずかしい目を何時まで与えるとですと」
遼子はぎょっとした。
「こんなえすかこと、ウチもうきつか!きつか!きつか!」
まき子は涙声になって続けた。
「思い起こすとあんた、生きとる時は極道三昧、自分ばっかり良かことしといて、死んでまで、もう二十年も経つというのに、何時までウチを泣かし続けとるとですか!!」
まき子はいきなり鐘を吾郎の遺影に投げつけた。写真のガラスが砕け散った。
遼子は呆気に取られて見守った。老人が目頭を押さえていた。
二人の方にくるっと向き直ったまき子が
「ああ、これです~っとしました」
と言って、深々と頭を下げた。
粛に昼食が始まった。
遼子は問われるままに、孤児院に入ってから今日までの人生とその生き様を、素直に有態に悪びれること無く話した。
最後にまき子が言った。
「これからは、何か困ることが起きたら、この私に言って来て下さい」
それから、老人が手を叩くと、先程の若衆の一人が慇懃に部屋に入り、何か袱紗に包んだ分厚い物を手渡した。
「これはほんの些少だが、草鞋銭の足しにでもして下され」
遼子は吃驚した。そんな心算は毛頭無かった。
「こんな物を戴く訳にはまいりません。わたしは只、純粋に自分の出自を確認して、これからの人生を、誇りを持って生きて行きたい、その背骨を心の中に持ちたい、そう思ってお伺いしただけですから」
「まあ、そう固いことを言わずに・・・この世界ではお客人に一宿一飯のお世話と何がしかの草鞋銭をお出しするのは慣わしですから」
「いえ、折角ですが、それをお受けすることは出来ません。それをお受けしますと、わたしのこの純粋な行為が強請りたかりのレベルに堕ちてしまいます。どうかそれだけはご勘弁下さい」
遼子は頑として固辞した。
「この高田組の草鞋銭を断ったのはお客人、あんたが初めてじゃよ」
そう言って老人は、はっはっはっと笑った。矍鑠とした笑顔だった。
九州から帰った遼子は、早速に、花街での母のこと、自身が生まれ育った唐津のこと、北九州若松の父親の生家のことなどを、後藤に詳しく話した。
「九州へ行くまでは、高田組と言う名前からしても、川筋者の気の荒いやくざじゃないかと不安だったけど、れっきとした堅気の真っ当な海運業者だったの。父親の奥さんが三代目を継いでいたんだけど、しゃきっとした威厳在る頭首だったし、藪から棒のわたしの話を真実に信じてくれた。お祖父さんにあたる初代創業者も矍鑠とした八十過ぎの老人だったし、筋目をキッチリつける眼の鋭い人で、若衆の立ち居振る舞いも礼儀作法に適ったものだった。母親は芸者で父親は海運業者の二代目、どちらも堅気の普通の人生を送った訳ではないけれど、でも、わたしのルーツは恥ずかしいものじゃなかった。他人に卑下したり引け目を感じたりしなきゃいけないものじゃなかったの。父親も母親も人として筋の通った背骨をしっかり持った人間だった。わたしは今、これからの人生を真直ぐに立向かって行ける気がしているわ」
「そうか、良かったじゃないか。俺も何より嬉しいよ」
後藤も心から歓んでくれた。
遼子はこれまで、物心ついて二十五年間、人を信じること無く生きて来たが、漸く今、後藤の愛を信じても良いかな、と思い始めていた。
惚れた、はれた、の恋愛や情事は幾つか経て来たが、人を敬愛する思いは初めてだった。
妬んだり羨んだり、憎んだり蔑んだりしたことは限りなくあったが、敬ったり崇めたり尊んだりしたことは無かった。孤立無援、徒手空拳で生きて来た遼子が初めて知る穏やかな温もりの感情だった。
「天涯孤独だった私に、一緒に生きて行く相棒が出来るのね」
「そうだよ。人生はぬかるむ夢のようなものだが、確かに希望はあるものだ」
「希望って?」
「人生を共に歩いて行く相棒が居るということだ。俺はお前の希望であり続けたいし、お前も俺の希望で有り続けて欲しいと思うよ」
「お互いがお互いの希望で有り続けたいと願う相棒が居るということは素晴らしいことなのね」
遼子は、後藤と二人でこれからの人生をしっかり生きてみよう、と心に決めた。
二人が振り仰いだ先には、雲一つ無い紺碧の大空が抜けるように拡がっていた。
一番歳かさの高い若衆が遼子の前に両手を突いて
「お客人、どうぞ召し上がって下さい」
と言った。ドスのきいたその声に遼子は思わず気圧された。
部屋を出て行く時、三人は廊下に出て揃って此方に一礼し、両膝をついて、両手で障子を閉めて行った。礼儀作法は行き届いていた。
広い客間にひとり座らされた遼子は三代目とその義父が入って来るのを待った。
程無く、襖がさっと開いて三代目と老人が入って来た。まき子は先ほどとは打って変わって、大輪の菊がパッと咲いたような艶やかな和服姿であった。
「あら、召し上がらないんですか?若い女性にはお口に合いませんかしら」
「いえ、そんな訳では・・・」
それなら、と言って、徐に、まき子が仏壇を開けた。
「うちの人に線香の一本も上げてやって戴けませんか?」
「あ、はい」
仏壇には亡くなった父親、吾郎の写真が飾られていた。
線香を上げチーンと鐘を叩くまき子の後ろで遼子も手を合わせた。無量の感が遼子の胸を覆った。
まき子が突然、若松弁で叫んだ。
「あんた、ウチにこんな恥ずかしい目を何時まで与えるとですと」
遼子はぎょっとした。
「こんなえすかこと、ウチもうきつか!きつか!きつか!」
まき子は涙声になって続けた。
「思い起こすとあんた、生きとる時は極道三昧、自分ばっかり良かことしといて、死んでまで、もう二十年も経つというのに、何時までウチを泣かし続けとるとですか!!」
まき子はいきなり鐘を吾郎の遺影に投げつけた。写真のガラスが砕け散った。
遼子は呆気に取られて見守った。老人が目頭を押さえていた。
二人の方にくるっと向き直ったまき子が
「ああ、これです~っとしました」
と言って、深々と頭を下げた。
粛に昼食が始まった。
遼子は問われるままに、孤児院に入ってから今日までの人生とその生き様を、素直に有態に悪びれること無く話した。
最後にまき子が言った。
「これからは、何か困ることが起きたら、この私に言って来て下さい」
それから、老人が手を叩くと、先程の若衆の一人が慇懃に部屋に入り、何か袱紗に包んだ分厚い物を手渡した。
「これはほんの些少だが、草鞋銭の足しにでもして下され」
遼子は吃驚した。そんな心算は毛頭無かった。
「こんな物を戴く訳にはまいりません。わたしは只、純粋に自分の出自を確認して、これからの人生を、誇りを持って生きて行きたい、その背骨を心の中に持ちたい、そう思ってお伺いしただけですから」
「まあ、そう固いことを言わずに・・・この世界ではお客人に一宿一飯のお世話と何がしかの草鞋銭をお出しするのは慣わしですから」
「いえ、折角ですが、それをお受けすることは出来ません。それをお受けしますと、わたしのこの純粋な行為が強請りたかりのレベルに堕ちてしまいます。どうかそれだけはご勘弁下さい」
遼子は頑として固辞した。
「この高田組の草鞋銭を断ったのはお客人、あんたが初めてじゃよ」
そう言って老人は、はっはっはっと笑った。矍鑠とした笑顔だった。
九州から帰った遼子は、早速に、花街での母のこと、自身が生まれ育った唐津のこと、北九州若松の父親の生家のことなどを、後藤に詳しく話した。
「九州へ行くまでは、高田組と言う名前からしても、川筋者の気の荒いやくざじゃないかと不安だったけど、れっきとした堅気の真っ当な海運業者だったの。父親の奥さんが三代目を継いでいたんだけど、しゃきっとした威厳在る頭首だったし、藪から棒のわたしの話を真実に信じてくれた。お祖父さんにあたる初代創業者も矍鑠とした八十過ぎの老人だったし、筋目をキッチリつける眼の鋭い人で、若衆の立ち居振る舞いも礼儀作法に適ったものだった。母親は芸者で父親は海運業者の二代目、どちらも堅気の普通の人生を送った訳ではないけれど、でも、わたしのルーツは恥ずかしいものじゃなかった。他人に卑下したり引け目を感じたりしなきゃいけないものじゃなかったの。父親も母親も人として筋の通った背骨をしっかり持った人間だった。わたしは今、これからの人生を真直ぐに立向かって行ける気がしているわ」
「そうか、良かったじゃないか。俺も何より嬉しいよ」
後藤も心から歓んでくれた。
遼子はこれまで、物心ついて二十五年間、人を信じること無く生きて来たが、漸く今、後藤の愛を信じても良いかな、と思い始めていた。
惚れた、はれた、の恋愛や情事は幾つか経て来たが、人を敬愛する思いは初めてだった。
妬んだり羨んだり、憎んだり蔑んだりしたことは限りなくあったが、敬ったり崇めたり尊んだりしたことは無かった。孤立無援、徒手空拳で生きて来た遼子が初めて知る穏やかな温もりの感情だった。
「天涯孤独だった私に、一緒に生きて行く相棒が出来るのね」
「そうだよ。人生はぬかるむ夢のようなものだが、確かに希望はあるものだ」
「希望って?」
「人生を共に歩いて行く相棒が居るということだ。俺はお前の希望であり続けたいし、お前も俺の希望で有り続けて欲しいと思うよ」
「お互いがお互いの希望で有り続けたいと願う相棒が居るということは素晴らしいことなのね」
遼子は、後藤と二人でこれからの人生をしっかり生きてみよう、と心に決めた。
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