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第六章 同級生遼子、ホステスから庭師へ転身

⑬遼子、出自を確かめに花街の端の髪結処を訪ねる

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 後藤のプロポーズを受け入れるにしろ、遼子の胸には今一つ吹っ切れないものが有った。心の中にもやもやと霧のようなものが煙っている。
わたしはやくざ紛いの父親と花街芸者との間に生まれた妾の子だ、然も、男を刺して刑務所にまで入った前科者だ。他人が蔑み憐れみ侮り非難するのは仕方無い。それは事実なのだから構わない。然し、自分で自分を卑下し憐れんで、引け目を負って生きて行くのは堪らない。自分の背骨をしっかり持ち矜持を確かに保って、この先の人生を生きて行きたい。その為には、自分の原点である出自をこの眼でしっかり確かめ、心できっちり見極めなければ、そうでなければ、この先、前を向いて踏み出すことは出来ない。鬼が出るか蛇が出るか、どっちにしても腹を括って受け入れるしかない。遼子はそう心に決めて、もう一度、自分の出自を自らの眼と心で探ることにした。
 遼子は先ず、巣立った施設の長を訪ねて、二十数年前のことをもう一度聞かせて貰い、母親が亡くなる前の一年間を過ごした花街の端の、髪結処の住所と場所を教えて貰った。
 
 花街の端の髪結処は直ぐに見つかった。
辺りの街並みと程よく調和の取れた和風建築だった。「佐古美容室」という横文字の看板が掲っていた。正面のガラス越しに忙しげに立ち働く髪結師やスタッフの姿が見通せた。
「小泉遼子と申しますが、佐古花絵さんにお眼にかかりたいのですが・・・」
 スタッフに導かれて表われた五十歳過ぎの女性が、訝しげな表情で遼子を見詰め、遼子の頭の天辺から足の先まで目線を動かした。
容貌や姿かたちは、遼子が朧ろげで断片的な記憶から作り上げていた印象とそう違ってはいなかった。
「小泉遼子さんって、あの遼子ちゃん?」
「はい、小さい頃、母と一緒にお世話になった遼子です」
「まあ、遼子ちゃんなの、懐かしいなあ。随分綺麗になったわねえ。さあさ、中へお入りなさいよ」
自分が先に立って、遼子をサロンの奥の丸テーブルへ案内した。
「本当に懐かしいわね、もう何年になるかしら?二十数年振りだわね、きっと」
彼女は遼子の顔をしげしげと見つめた。
「良く似ているわね、千代ちゃんと。眼の辺りから頬にかけて、それに、口元もそっくりだわ」
余りに繁々と見詰められて遼子は眼のやり場に困った。
「で、今日はどうしたの?ふらりと立ち寄ったという訳でも無さそうね」
「はい、ちょっと母のことが知りたくて」
「あっ、解かった。遼子ちゃん、あんた、結婚するのでしょう。それで自分の生まれや育ちが気になって来たんでしょう」
「ええ、まあ・・・」
「千代ちゃんは、そりゃあ、綺麗な人だったのよ。髪はカラスの濡れ羽色、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿が百合の花、って言う言葉が有るんだけど、その形容がぴったり当てはまる綺麗さだった。舞踊の納めに、こう、舞扇をさっと抜いて翳した立姿なんかは男だけでなく女までもが見惚れるほどだったからね」
遼子は幼い頃の記憶と花絵おばさんの話に聞く母親の姿を重ね合わせた。
「それに、姿かたちだけでなく気風も良かった。金が物を言う憂き世の花街で、金では絶対に左褄を取らなかったからね」 
金に物を言わせて口説いた旦那も数多く居たらしいが、頑として首を縦に振らなかった、と言う。
「義理に絡んだ花街で、千代ちゃんは特に義理に固かった。人情に厚く筋を通す人だった。あなたを連れて帰って来た時も、未だ若かったから、もう一度お座敷に出たら、と言う話が随分と有ったんだけど、此の子の為に堅気でやらせて下さい、と言ってこの店に住み込んだのよ」
遼子は朧な記憶の中を弄って母親を偲んだ。胸の中がきりりと痛む気がした。
「店での仕事振りは、そりゃ、一生懸命だった。若い見習いの髪結さんに混じって、必死にパーマネントの技術と知識を身に付けようとした。うちの母も絆されて閉店後に特別に教えていたからね。まさか癌に侵されて、呆気なく逝ってしまうなんて、誰も思いもしなかったのに・・・」
遼子は今更ながらに母親の苦労に思いを馳せた。
「父のことは何かご存知ですか?」
「さあ、わたしも詳しくは聞いていなかったけれど・・・」
花絵おばさんは思案気に一寸俯いて、言葉を切った。
「気は荒いが一本気で、男気のある人だったらしいわ。未だ二十歳代だったのに、義侠心に厚くて度胸が有って、なかなか腹の座った人だったみたいね。二十歳台の若さで元締めを務めていたのだから、きっと面倒見も良かったのだろうと思う。千代ちゃんは所詮日陰の身だったから、世間からは随分冷たい眼で見られたり蔑まれたりしたようだけど、最愛の人の一粒種を授かって、人生で初めて幸せに暮らしたみたいね。本人がはっきり自分の口で、私はあの人に出逢えて真実に幸せだった、って言っていたからね」
子煩悩だった吾郎は唐津へ来る度に遼子を自転車のサドルの前に座らせて川筋を走ったり、人形や縫い包みの玩具などを買ったりして一緒に遊び、遼子も吾郎によく懐いたと言う。
 遼子は、花絵おばさんの話を聞いて、自分の親が世間から後ろ指を指されるような、卑下しなければならないような二親ではなかったらしいことを嬉しく思った。むしろ矜持をしっかり持った立派な親だったのかも知れない、と自分の出自に少し安堵した。そして、よし、九州まで行って自分の眼でしっかり確かめて来よう、と決めた。
 
 後藤が、自分の出自を確かめに行くと言う遼子を不安視した。
「何もお前、其処まで無理しなくても・・・」
「大丈夫よ、心配しないで。吉と出るか凶と出るか、仮令、忍ぶに耐えないことが待っていたとしても、わたしは必ず此処へ帰って来るから、ね」
そう言って遼子は九州へ旅立った。
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