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第六章 同級生遼子、ホステスから庭師へ転身
⑫「俺たち結婚しないか?」
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遼子は仕事があまり忙しくない八月を選んでニュージーランドへ出向くことにした。
後藤が空港まで車で送ってくれた。二人は出発便の時間が来るまでロビーの喫茶ルームで暫しの休憩を取った。
「こんな所で何なんだが、ニュージーランドの仕事が一段落したら、俺たち、結婚しないか」
突然の出し抜けの後藤の言葉に遼子は自分の耳を疑った。彼が何を言っているのか良く解らなかった。
「えっ?」
「だから、俺たち、結婚しようや、な」
「何言っているのよ、あなた。わたしは男を刃物で刺して刑務所に入った前科者なのよ。わたしなんかと結婚したら、世間から白い眼で見られて後ろ指を差されるわよ。馬鹿なことを言わないでよ!」
「お前は刑務所で罪を償ってもう綺麗な身体だよ。世間に遠慮は要らないよ」
「あなたの店の信用にも傷がつくし商売にも影響するわよ。冗談言わないで」
「仕事は実績と腕とセンスだよ。それが信用ってもんだ」
「あなたのお母さんだって反対されるに決まっているわよ」
「おふくろにはお前のことは粗方話してあるよ。学校時代からの友達ならお互いに気心が良く解り合っているから良いじゃないの、って賛成してくれているよ」
遼子は全く予期しなかった後藤の言葉を初めは冗談半分に微笑いながら聞き流していたが、今までに無い後藤の真剣な眼差しと懸命な物言いに、次第に温かいものが胸の中に込み上げて来た。
遼子もまた顔から笑いを消して凝っと後藤の眼を見詰めた。
「俺じゃ駄目か?」
「ううん、駄目じゃないけど・・・」
「なら、良いじゃないか、な」
「真実にわたしなんかで良いの?」
「ああ、お前じゃなきゃ駄目なんだ。俺は昔からずうっとお前のことが好きだったんだ!」
じっと見つめた遼子の眼から見る間に大粒の涙が滴り落ちた。胸の思いをどう表現して良いか解らなかった。もう何も言葉にならなかった。
「お前がニュージーランドから戻ったら、おふくろにきちんと引き合わせて、それから結婚式の日取りを決めよう、な」
遼子の涙は止め処無く流れた。物心着いてから今日まで、幾度もの悔し涙は溢したものの嬉し涙を流すことは無かった。その一度も流さなかった嬉し涙が堰を切って溢れ出たようだった。
丁度その時、出発便の搭乗を促すアナウンスが流れた。
後藤がレジで勘定を済ませ、遼子は忙しく涙を拭って化粧を直し搭乗ゲートへと急いだ。
「じゃ、行って来るわね」
「ああ、十分気をつけて、な」
ゲートインして機体の搭乗口へ向かった遼子は、通路の途中で振り返り後藤の方へ大きく片手を挙げた。その笑顔は明るく輝いていた。
遼子の後姿が通路から消え去るのを見送った後藤は、「よし!」と一声発して空港玄関の方へと踵を返した。後藤の顔もまた溢れるほどの笑みで一杯だった。
後藤が空港まで車で送ってくれた。二人は出発便の時間が来るまでロビーの喫茶ルームで暫しの休憩を取った。
「こんな所で何なんだが、ニュージーランドの仕事が一段落したら、俺たち、結婚しないか」
突然の出し抜けの後藤の言葉に遼子は自分の耳を疑った。彼が何を言っているのか良く解らなかった。
「えっ?」
「だから、俺たち、結婚しようや、な」
「何言っているのよ、あなた。わたしは男を刃物で刺して刑務所に入った前科者なのよ。わたしなんかと結婚したら、世間から白い眼で見られて後ろ指を差されるわよ。馬鹿なことを言わないでよ!」
「お前は刑務所で罪を償ってもう綺麗な身体だよ。世間に遠慮は要らないよ」
「あなたの店の信用にも傷がつくし商売にも影響するわよ。冗談言わないで」
「仕事は実績と腕とセンスだよ。それが信用ってもんだ」
「あなたのお母さんだって反対されるに決まっているわよ」
「おふくろにはお前のことは粗方話してあるよ。学校時代からの友達ならお互いに気心が良く解り合っているから良いじゃないの、って賛成してくれているよ」
遼子は全く予期しなかった後藤の言葉を初めは冗談半分に微笑いながら聞き流していたが、今までに無い後藤の真剣な眼差しと懸命な物言いに、次第に温かいものが胸の中に込み上げて来た。
遼子もまた顔から笑いを消して凝っと後藤の眼を見詰めた。
「俺じゃ駄目か?」
「ううん、駄目じゃないけど・・・」
「なら、良いじゃないか、な」
「真実にわたしなんかで良いの?」
「ああ、お前じゃなきゃ駄目なんだ。俺は昔からずうっとお前のことが好きだったんだ!」
じっと見つめた遼子の眼から見る間に大粒の涙が滴り落ちた。胸の思いをどう表現して良いか解らなかった。もう何も言葉にならなかった。
「お前がニュージーランドから戻ったら、おふくろにきちんと引き合わせて、それから結婚式の日取りを決めよう、な」
遼子の涙は止め処無く流れた。物心着いてから今日まで、幾度もの悔し涙は溢したものの嬉し涙を流すことは無かった。その一度も流さなかった嬉し涙が堰を切って溢れ出たようだった。
丁度その時、出発便の搭乗を促すアナウンスが流れた。
後藤がレジで勘定を済ませ、遼子は忙しく涙を拭って化粧を直し搭乗ゲートへと急いだ。
「じゃ、行って来るわね」
「ああ、十分気をつけて、な」
ゲートインして機体の搭乗口へ向かった遼子は、通路の途中で振り返り後藤の方へ大きく片手を挙げた。その笑顔は明るく輝いていた。
遼子の後姿が通路から消え去るのを見送った後藤は、「よし!」と一声発して空港玄関の方へと踵を返した。後藤の顔もまた溢れるほどの笑みで一杯だった。
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