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第六章 同級生遼子、ホステスから庭師へ転身

⑨喜んで下さるお客様の為に

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 ナンテンの生垣を作りロウバイを植え終わった遼子が寺の裏玄関へ報告に行くと、白い髭を伸ばした老師が現れた。仕上がった生垣と参道を見て老師は柔和な顔で言った。
「おお、なかなかの上出来じゃ。結構、結構」
遼子は「有難うございます」と頭を下げた。
「ところで、ものは相談じゃが、寺にある使い残しの材料を使って、薬師堂の周りに“お百度参り”をする為の道を造って貰えんじゃろうか?あまり高い金は払えんのじゃが」
寺にはこれまでの補修や改修に使った大小さまざまな古い平板が残っていた。遼子はその平板を組み合わせて作れば何とか出来るだろうと算段した。
「在り合わせの材料で感じ良く、というのがこの工事のモットーですね。解かりました」
 翌日、遼子は、他の工事で使ってセメントが着いたまま残っていた平板の中から使えそうなものを選んで市松模様に仕上げることにした。市松模様は規格の平板で作る方がプランも立て易いし、使い易くもあるが、今回はエコに仕上げるよう頑張った。遼子が最も苦心したのは周りの構造物と繋げる為の勾配であったが、試行錯誤を繰り返して何とか上手く仕上げることが出来た。終始強風が吹いて作業は大変だったが、仕上がりは上々であった。
「後は生コンを打設すれば完成です。二、三日内の雨の降らない日に業者を寄越しますから、後はその仕上がり具合を見て下さい」
「ほおう、なかなか良さそうじゃな。有難う、有難う」
遼子は納得そうな老師の顔を見て何と無く嬉しい気持になった。
「なあ、植木屋さん」
えっ、植木屋さん?と遼子は思ったが、直ぐに「ハイ」と返事をして老師の顔に視線を戻した。
「うちの檀家に市の有形文化財に指定されている大きな庭の有る屋敷が在るのじゃが、そこの維持管理をやってみる気はないかね?」
「えっ、そんな立派なお庭の管理をやらせて頂けるのですか。是非お願い致します」
「そうか、では、一寸待っていなさい」
 そう言って奥へ引っ込んだ老師は暫くして出て来ると、屋敷の住所や名前、電話番号を書いた小さな紙切れを遼子に手渡した。
「電話を入れておいたからな、明日にでも訪ねてみると良いよ」
「うわあ~、有難うございます」
遼子は何度も何度も礼を言い、丁寧に頭を下げて感謝の意を表した。
会社へ帰った遼子は後藤に翌日の同行を依頼した。
 
 指示された屋敷は直ぐに判った。
正面の大きな冠木門に気圧されながらインターフォンを押すと、中から上品な声が返って来た。
「石垣に沿って左へ廻った所に勝手口がありますから、其方の方へ廻って下さい。今、開けますから」
勝手口と言っても普通の民家より余程大きな戸口だった。一歩足を踏み入れると玄関口までS字型の石畳が続き、石畳の南側には大きな桜の木が二本、枝を伸ばしている。桜は未だ蕾しかつけていなかった。
後藤が枝を見上げて言った。
「これが満開になるとさぞ綺麗だろうなあ」
桜の木の北側には大きな池があった。赤い鯉と黒い鯉が何匹も泳いでいる。池の水面には、風が吹く度に母屋や離れの家屋が揺らめいて映っていた。池の東側やその奥には高い塀に沿って潅木が林立していた。
こんな建物でこんな処に住めるなんて何て素敵なことだろう、と遼子は少し羨望を覚えた。
 
 頼まれた仕事は市の有形文化財に指定されている庭の年間管理と夫人のガーデニングパートナーを務めることであった。夫人はこれまで庭をかなり造り込んで来られた様子で、ソヨゴやアオハダ等も植えられていた。
ぽかぽかと暖かい早春の一日だったので、今日の仕事は鉢植えの植物を地植えにし、季節の花の手入れをすることになった。
依頼された仕事が一通り終わった後、遼子がつくばいの掃除をしようと水を取り替えていると、それは水琴窟になっていた。
「うわあ、水琴窟なんですね」
「そうよ。水が落ちると綺麗な音がするでしょう」
水琴窟は地中に埋められた甕に水が落ちると、綺麗な音がする隠れた仕掛けである。遼子はその水琴窟に赤い花を浮かべて見た。とても彩が映えた。
「まあ、綺麗!」
今度は夫人が感嘆の声をあげた。
帰途の車の中で後藤が言った。
「大したもんだな。うちの職人達じゃあれだけの応対はとても出来ないよ」
遼子は運転台で軽く微笑を返した。
 
 遼子は時間の許す限り庭を見て廻った。公園や大庭園よりも先ずは民家やお寺の庭を見ることを主眼にした。技術や知識も勿論大事であるが、それ以上にセンスが重要だと考えて、色んな場所に出向き、見たり触ったりしてセンスを磨こうと努めた。
 そして、会社案内のパンフレットと後藤が作ってくれた「有限会社後藤造園 庭師 小泉遼子」の名刺を持って営業にも廻った。夜の勤めで接客には慣れていたので初対面の人への気後れも無かったし、客あしらいは丁寧で明るく嫌味が無かった。
真言宗の寺の入口に出来たナンテンの生垣が見応えのある素晴しいものだ、という評判が口コミで広がって、次第に新しいお客からの注文が入るようになって行った。
 
 そんな新規のお客から、シラカシの剪定とスギ五本の伐採の仕事を貰った。
遼子は伐採の時には切り株を隠すことにしていた。切り株が見える状態で伐採すると見た目が悪いので、周りの砂利を掻き出し、地面すれすれで伐採した。チェーンソーの刃は土や砂利を咬むと直ぐに駄目になるので細心の注意を払って作業を行った。最後に砂利で隠すと切り株が見えなくて綺麗に仕上がった。これがお客に大変喜ばれ、玄関先に在る大きなメタセコイアの手入れをする見積りも頼まれた。大掛かりな仕事になりそう、頑張らなくっちゃ・・・と遼子は思った。
 この仕事を終えた後、遼子は庭造りの現場調査と打合せの為に、もう一件の新規先へと急いだ。施主とは初対面であったが、事前に何度もメールでやり取りし、庭の写真も添付受信していたし、それに対する簡単な図面も送信してあったので、話は早く進むだろうと考えていた。が、予期に反して、四時間近くもかかってしまった。何しろ既存物撤去から始まって、花壇を作って家庭菜園の畑を作る、園路を作って化粧砂利を敷きラティスパネルを設置する、それに植栽もするという盛り沢山の内容だったのである。
 
 雨が降って外の仕事が出来なくなった日の午前中、遼子は時間を貰って病院へ行った。
一月ほど前から右手中指の第二関節が腫れて痛かったのを治療する為である。診察の結果は、指先に刺さったままのバラの棘から菌が入って炎症を起していた。棘は一ミリくらいの小さなものだった。
「こんな小さな棘なのに炎症を起してしまうのですか?先生」
「そうだよ。ちゃんと薬を飲まないと半年くらい炎症が残りますよ」
医師は怖いことを言って、一週間分の抗生物質を処方してくれた。
一ミリの棘で、遼子の見習い日給の半額ほどが消えて行った。
会社へ帰った遼子は、山のように溜まっているデスクワークを精力的に処理している後藤に手を貸した。
 
 このところ遼子は次第に仕事が忙しくなって来ているが、苦痛に感じることは無い。体力的には慣れない作業の連続で、疲れて苦しい時もありはするが、喜んで下さるお客様の為に一庭ごとに心を込めて造りたいという気持が勝って、仕事が楽しいという思いが強まっている。これまで経験したことの無い初めての感覚だった。風邪など引いていられないわと、薬を飲み、温かくして栄養のあるものを食べ、よく眠るように心がけている。
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