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第五章 同級生、印刻師の菅原

③菅原、十年目の秋に一級印刻師になる

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 だが、当初の四年間、夜に大学へ通って居残り仕事が出来なかった菅原は、腕を磨く時間の遣り繰りに四苦八苦した。休みの日に独り工房に籠もって自学自習するしか無かった。
幸先の良いスタートを切って、その行き先に仄かな灯りが見えたと思ったのも束の間で、その後、菅原の腕は伸びなかった。龍鳳や先輩の指導は一段と厳しさを増して行った。二級印刻師の資格を得るなど遠い夢の如くに思われた。
或る日、大学の親しい友人が何気無く言った一言が菅原の胸に重く響いた。
「人間、知っていることと解っていることとそれらが出来ることとは全く違うんだよな」
そうだ、知っていても出来ないことは山ほど有る、寧ろ出来ないことの方が多いだろう、菅原はそう考えてもう一度基礎の技を固めることにした。どんなに素晴しいアイディアやデザインが有っても腕が未熟では彫り上げることは出来はしない。
 菅原は又、こつこつと自分の腕を磨くことに精を出した。見様見真似で彫刻刀を握り、どうしても解らないところは先輩職人に教えを乞うて、宛がわれた仕事の中で自分なりの工夫を凝らした。毎日、高い天窓から明るく陽光が差し込む工房で、先輩達と一緒に背中を曲げて印章を彫った。
 
 漸く六年目に、龍鳳の許しを得て二級印刻師の資格に挑戦し、合格することが出来た。だが、より一層イマジネーションを磨き創造力を鍛えなければ、独自の特異性と独創性のある作品を作り上げることは出来なかった。菅原は龍鳳に頼んで彼のこれまでの作品を全て見せて貰った。龍鳳は取り立てて何も言わなかったが、作品の中には何か特異なものが匂っているように菅原には思えた。それから菅原は他所の工房の即売会や展示会にも出向いて、見る眼を養うことを心がけた。何処にも無いもの、誰一人作らないものを創らなければ、との強い思いが菅原の胸には確として在った。
龍鳳は言った。
「見る眼とは、感じる心だ」
作品に満足も妥協も無かった。それらは龍鳳の仕事と教えに泥を塗るものだと工房の誰もが知っていた。
「なあ、菅原。閃きとアイディアと仕掛けだ。鋭敏な心と創意工夫と技だよ」
先輩の言った一言も菅原の頭にこびり付いた。
 
 丁度、菅原が(有)龍鳳印刻堂に入って十年目の秋に、師匠龍鳳の推薦を得て、一級印刻師のライセンスを取得することが出来、漸く一人前の印刻師としてこの世界で認知されるようになった。が、菅原は既に二十七歳になっていた。
 その間、私生活では仕入先商社で販売を担当していた由紀と二年前に結婚して家庭を持ちもした。
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