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第二章 フリーの一見客

④ホステスと酔客が抱き合って入って来た

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 縺れるように絡み合うように一つになって、バーのホステスとその酔客がゆっくりと抱き合うようにして入って来た。女は、この道十年、という腕扱きの貌だったが、嶋木の知らない顔だった。
「ねえ、浮気しない?」
女が甘えるように男に言った。
嶋木は男が聞き流すかと思ったが、男は誘われるままに
「うん、しても良いな」
と答えた。
無論、本気では無さそうであるが、気持が動いたことも確かなようである。
「本当にどこかへ連れて行ってよ」
「行くよ、何処へでも、な」
「嫌だわ、気の無い返事・・・」
「気の無いのは其方だろう。俺の方は何時だってOKなのにさ」
「真実?」
「嘘じゃないよ」
「嬉しい!じゃ、明日、明後日の土日で良い?」
「うん」
「でも奥さんに悪いんじゃないの?」
女が媚を含んだ悪戯な調子で男の顔を覗き込んだ。
男は肩へ手を廻しながら女を抱き寄せて言った。
「女房に悪いかどうかなんて、今、考える問題じゃないよ。それよりもプランを考えよう」
男は女との愉しい冒険に心を躍らせているようであった。
「本当に浮気するか?」
今度は、男が改めて女に確かめた。
「明日の土日って言ったじゃないの」
「よし。じゃ、君は何処へ行きたいんだ?」
「湯河原、箱根、伊豆・・・平凡ね」
「どうだ?下呂温泉から木曽路の方へ行ってみないか?日本ライン、明治村、馬籠、妻籠、良いんじゃないか?」
「良いわ、良いわ」
「じゃ明日の朝、八時にJRの駅で待ち合わせだな」
「ウイ」
女は自信のある大きな瞳で焼きつくように凝視しながら、熱い指を男の指に絡めた。
 
 とその時、男の携帯電話がブルブルと鳴った。
男は慌てて女から手を離し、胸ポケットから携帯を取り出した。
「誰だ?今頃。あっ女房からだ」
男は独り言ちて受話器を耳に当てた。
「もしもし、僕だ。どうした?」
電話の向こうで話される声に耳を傾けながら、男は次第に真剣な表情になっていった。
「で、熱は何度くらい有るんだ?」
「九度八分も有るのか。それで医者へは連れて行ったのか?」
「何故もっと早く連れて行かないんだ!何?急に熱が出て来たのか」
「解った。じゃ直ぐに救急車を呼んでT病院へ連れて行ってくれ。あそこなら深夜も小児科の当直医が居るだろう。僕も直ぐ行くから。ああ、此処からだと三、四十分で着けるよ。頼んだぞ!」
電話を切った男は傍に居る女には見向きもせずに嶋木に告げた。
「勘定を頼むよ、直ぐに、な」
置いてきぼりの形になった女が男に聞いた。
「ねえ、明日の旅行はどうするのよ?」
「下呂温泉?冗談じゃない。そんな所へなんか行ってられないよ」
男はあたふたと勘定を済ませ、後も振り向かずに、一人で消えて行った。

「ふん、何よ、馬鹿にして!」
取り残された女がひとり息巻いた。
「男ってのはあんなもんですよ、お客さん」
嶋木が女を執り成す格好になった。
嶋木は極力、客とは無駄口を訊かないことにしている。
人には夫々の人生があり、その生き方は本人達の価値観で決まって行く。表に現れた言動や態度だけしか見えない他人が、とやかく無責任に賞賛したり非難したりすべきものではない。客の人生を垣間見て口を挟むのはおこがましいというものである。だから嶋木は滅多に客とは余計な言葉を交わさない。
が、今夜は少し違っていた。
派手な衣装を纏い濃い化粧を施して若く見せてはいるものの、恐らくもう三十に手が届く歳であろうし、十年以上も水商売にその身を曝していれば、心の中は寂寥の風が吹き抜けて、カサカサに乾いてもいるだろう。
「結婚後十年も経って碌に口を訊かなくなった夫婦でも、幼い子供が病気にでもなると、心を一つにして力を合わせるもんですよ」
「そうなのね。私の知らない世界だけど、きっとそうなんだわね」
「そうですよ。私がこんなことを言っちゃ何ですが、クラブやバーに酒を飲みに来る妻子持ちの男の言葉に真実なんて有りはしませんよ」
「でもねえ、あの人、一目惚れさせる一寸にくい人なのよね」
そう言って皆、裏切られるんだよな、と嶋木は思った。
「お客さん。男だって女だって、昨日見た夢に縋って泣いていちゃ生きて行けませんよ」
「そうよね。愚痴ってみても、弱音を吐いても仕方ないわね」
「作りものでも花咲くのが夜の世界でしょう。男達に溢れるほどの夢を振り撒いているじゃないですか」
「そうね。好きで入った道でもないし、知らず知らずに流されて来た世界ではあるけれど、別にこの人生を信じている訳でもないけれど、仮令ひと時の仇花であっても、沢山の男の人に楽しい夢を見させてあげているんだものね」
「そうですよ。夜の蝶々はにっこりと華やかに黄金色で飛ぶもんですよ」
「そうよね。色々と有難う。お陰で気分が少し晴れたわ」
女は、お釣りはいいわよ、と言って軽い身のこなしで帰って行った。
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