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第二章 フリーの一見客
③「私、中絶手術をしたの」
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「耕ちゃんだから、やっぱり話しちゃうわ。本当はね、私、何もかも順調って訳じゃないの」
突然に、然し、静かにそう言うと、女は膝の上で手を組んだ。
女の大きな黒い眼には、脅えたような、最悪の事態を予期して身構えているような表情が、浮かんだ。
「私ね、中絶手術をしたの」女は言った。
「一ヶ月前に」
男が思わず身を乗り出した。
「そんな、お前・・・」
「ううん、どうってこと無かったわ」
その声はかすれるように聞こえた。
「簡単なことなの。事実簡単だったし」
「両親には話したのか?」
「ううん。だって、これは私自身の問題だもの。自分ひとりで責任を取るのが当然だったのよ。それに、三十歳を過ぎたいい大人が親に話すことじゃないわ」
女は、ふう~っと一息吐いた。
「私、最後まで他人の力は借りなかったわ、全部一人で処理したの。そして、彼とも別れたわ」
「・・・・・」
「顧問先の妻子有る課長と恋に陥って愛し合い、そして、妊娠したの。でも、私には、所詮、世間的には不倫関係だという思いがあったし、相手の家庭を壊す気は毛頭無くて、それに、仕事を犠牲にしてまで未婚の母を貫く勇気も持てなかった。悩んだ挙句に、中絶と別離を決断したのよ」
「相手の男はどうして居ったのだ?」
「別に生んで欲しいとも言わなかったわ」
「なんて奴だ!」
「中絶手術のあと、高層マンションの窓から煌く東京の夜景を一望しながら、私は一晩中泣きに泣いたの」
「・・・・・」
「どうしてあんなに涙が溢れたのか、自分でもよく解らないんだけれど、泣き明かして朝になったら、憑き物が落ちたみたいに、すう~っと気持ちが彼から離れていたの。それで直ぐに別れることにしたわ」
「電話の一本でもかけて呉れれば、何かの力になれることはあったのに」
「・・・・・」
「俺とお前は隣同士で育った幼なじみなんだ。幼稚園へ入る前から一緒に遊んで、高校を卒業するまでずうっと一緒だった。お前が虐められた時には俺が護り、俺が落ち込んだ時にはお前が励ましてくれた。大学へ入り社会へ出てからも、お前が帰って来る度に逢って、飯食って、酒飲んで、色んなことを飾らずに話合って来た。だから、どんな時でも俺はお前を守ってやるよ」
暫く沈黙が続いた。
「こっちへ帰って来い。そして、俺のところへ嫁に来い!」
「えっ、耕ちゃんと結婚するの?」
突然の男の言葉に、女は呆れたような表情をした。
「そうだ。結婚しよう!」
男の胸に急に熱いものが込み上げて来たようだった。
「俺は子供の頃から今日まで、三十年間、ずうっとお前が好きだったんだ!」
最初は冗談交じりに聞いていた女も、男の真剣な眼差しに、笑いを消して、じっと相手を見返した。
「ありがとう、嬉しいわ、真実に有難う。でも、私で良いの?」
「ああ、お前が欲しいんだよ。何があっても、どんな時でも、お前のことは必ず俺が守ってやるぞ!お恵」
男がテーブルの上に右手を置き、その手に女の左手がそっと重なった。女は目を潤ませているようだった。
暫くして、二人は雨上がりの月が朧げに影っている空を仰いで街路に出て行った。女が腕を絡ませていた。
二人の後姿を見送りながら嶋木は思った。
女はきっと、自分を立直す為にもう一度東京へ戻るだろう。そして、仕事にも人生にもチャレンジし直して、輝きと自信を取り戻す努力を重ねるだろう。二人の結婚は一、二年先の話になるな。それまで男は、女の立ち直りを、女を信じて、じっと待ってやるだろう。
それにしても、矜持と誇りを持った良い男と良い女だったな・・・
突然に、然し、静かにそう言うと、女は膝の上で手を組んだ。
女の大きな黒い眼には、脅えたような、最悪の事態を予期して身構えているような表情が、浮かんだ。
「私ね、中絶手術をしたの」女は言った。
「一ヶ月前に」
男が思わず身を乗り出した。
「そんな、お前・・・」
「ううん、どうってこと無かったわ」
その声はかすれるように聞こえた。
「簡単なことなの。事実簡単だったし」
「両親には話したのか?」
「ううん。だって、これは私自身の問題だもの。自分ひとりで責任を取るのが当然だったのよ。それに、三十歳を過ぎたいい大人が親に話すことじゃないわ」
女は、ふう~っと一息吐いた。
「私、最後まで他人の力は借りなかったわ、全部一人で処理したの。そして、彼とも別れたわ」
「・・・・・」
「顧問先の妻子有る課長と恋に陥って愛し合い、そして、妊娠したの。でも、私には、所詮、世間的には不倫関係だという思いがあったし、相手の家庭を壊す気は毛頭無くて、それに、仕事を犠牲にしてまで未婚の母を貫く勇気も持てなかった。悩んだ挙句に、中絶と別離を決断したのよ」
「相手の男はどうして居ったのだ?」
「別に生んで欲しいとも言わなかったわ」
「なんて奴だ!」
「中絶手術のあと、高層マンションの窓から煌く東京の夜景を一望しながら、私は一晩中泣きに泣いたの」
「・・・・・」
「どうしてあんなに涙が溢れたのか、自分でもよく解らないんだけれど、泣き明かして朝になったら、憑き物が落ちたみたいに、すう~っと気持ちが彼から離れていたの。それで直ぐに別れることにしたわ」
「電話の一本でもかけて呉れれば、何かの力になれることはあったのに」
「・・・・・」
「俺とお前は隣同士で育った幼なじみなんだ。幼稚園へ入る前から一緒に遊んで、高校を卒業するまでずうっと一緒だった。お前が虐められた時には俺が護り、俺が落ち込んだ時にはお前が励ましてくれた。大学へ入り社会へ出てからも、お前が帰って来る度に逢って、飯食って、酒飲んで、色んなことを飾らずに話合って来た。だから、どんな時でも俺はお前を守ってやるよ」
暫く沈黙が続いた。
「こっちへ帰って来い。そして、俺のところへ嫁に来い!」
「えっ、耕ちゃんと結婚するの?」
突然の男の言葉に、女は呆れたような表情をした。
「そうだ。結婚しよう!」
男の胸に急に熱いものが込み上げて来たようだった。
「俺は子供の頃から今日まで、三十年間、ずうっとお前が好きだったんだ!」
最初は冗談交じりに聞いていた女も、男の真剣な眼差しに、笑いを消して、じっと相手を見返した。
「ありがとう、嬉しいわ、真実に有難う。でも、私で良いの?」
「ああ、お前が欲しいんだよ。何があっても、どんな時でも、お前のことは必ず俺が守ってやるぞ!お恵」
男がテーブルの上に右手を置き、その手に女の左手がそっと重なった。女は目を潤ませているようだった。
暫くして、二人は雨上がりの月が朧げに影っている空を仰いで街路に出て行った。女が腕を絡ませていた。
二人の後姿を見送りながら嶋木は思った。
女はきっと、自分を立直す為にもう一度東京へ戻るだろう。そして、仕事にも人生にもチャレンジし直して、輝きと自信を取り戻す努力を重ねるだろう。二人の結婚は一、二年先の話になるな。それまで男は、女の立ち直りを、女を信じて、じっと待ってやるだろう。
それにしても、矜持と誇りを持った良い男と良い女だったな・・・
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