67 / 72
第二章 フリーの一見客
③「私、中絶手術をしたの」
しおりを挟む
「耕ちゃんだから、やっぱり話しちゃうわ。本当はね、私、何もかも順調って訳じゃないの」
突然に、然し、静かにそう言うと、女は膝の上で手を組んだ。
女の大きな黒い眼には、脅えたような、最悪の事態を予期して身構えているような表情が、浮かんだ。
「私ね、中絶手術をしたの」女は言った。
「一ヶ月前に」
男が思わず身を乗り出した。
「そんな、お前・・・」
「ううん、どうってこと無かったわ」
その声はかすれるように聞こえた。
「簡単なことなの。事実簡単だったし」
「両親には話したのか?」
「ううん。だって、これは私自身の問題だもの。自分ひとりで責任を取るのが当然だったのよ。それに、三十歳を過ぎたいい大人が親に話すことじゃないわ」
女は、ふう~っと一息吐いた。
「私、最後まで他人の力は借りなかったわ、全部一人で処理したの。そして、彼とも別れたわ」
「・・・・・」
「顧問先の妻子有る課長と恋に陥って愛し合い、そして、妊娠したの。でも、私には、所詮、世間的には不倫関係だという思いがあったし、相手の家庭を壊す気は毛頭無くて、それに、仕事を犠牲にしてまで未婚の母を貫く勇気も持てなかった。悩んだ挙句に、中絶と別離を決断したのよ」
「相手の男はどうして居ったのだ?」
「別に生んで欲しいとも言わなかったわ」
「なんて奴だ!」
「中絶手術のあと、高層マンションの窓から煌く東京の夜景を一望しながら、私は一晩中泣きに泣いたの」
「・・・・・」
「どうしてあんなに涙が溢れたのか、自分でもよく解らないんだけれど、泣き明かして朝になったら、憑き物が落ちたみたいに、すう~っと気持ちが彼から離れていたの。それで直ぐに別れることにしたわ」
「電話の一本でもかけて呉れれば、何かの力になれることはあったのに」
「・・・・・」
「俺とお前は隣同士で育った幼なじみなんだ。幼稚園へ入る前から一緒に遊んで、高校を卒業するまでずうっと一緒だった。お前が虐められた時には俺が護り、俺が落ち込んだ時にはお前が励ましてくれた。大学へ入り社会へ出てからも、お前が帰って来る度に逢って、飯食って、酒飲んで、色んなことを飾らずに話合って来た。だから、どんな時でも俺はお前を守ってやるよ」
暫く沈黙が続いた。
「こっちへ帰って来い。そして、俺のところへ嫁に来い!」
「えっ、耕ちゃんと結婚するの?」
突然の男の言葉に、女は呆れたような表情をした。
「そうだ。結婚しよう!」
男の胸に急に熱いものが込み上げて来たようだった。
「俺は子供の頃から今日まで、三十年間、ずうっとお前が好きだったんだ!」
最初は冗談交じりに聞いていた女も、男の真剣な眼差しに、笑いを消して、じっと相手を見返した。
「ありがとう、嬉しいわ、真実に有難う。でも、私で良いの?」
「ああ、お前が欲しいんだよ。何があっても、どんな時でも、お前のことは必ず俺が守ってやるぞ!お恵」
男がテーブルの上に右手を置き、その手に女の左手がそっと重なった。女は目を潤ませているようだった。
暫くして、二人は雨上がりの月が朧げに影っている空を仰いで街路に出て行った。女が腕を絡ませていた。
二人の後姿を見送りながら嶋木は思った。
女はきっと、自分を立直す為にもう一度東京へ戻るだろう。そして、仕事にも人生にもチャレンジし直して、輝きと自信を取り戻す努力を重ねるだろう。二人の結婚は一、二年先の話になるな。それまで男は、女の立ち直りを、女を信じて、じっと待ってやるだろう。
それにしても、矜持と誇りを持った良い男と良い女だったな・・・
突然に、然し、静かにそう言うと、女は膝の上で手を組んだ。
女の大きな黒い眼には、脅えたような、最悪の事態を予期して身構えているような表情が、浮かんだ。
「私ね、中絶手術をしたの」女は言った。
「一ヶ月前に」
男が思わず身を乗り出した。
「そんな、お前・・・」
「ううん、どうってこと無かったわ」
その声はかすれるように聞こえた。
「簡単なことなの。事実簡単だったし」
「両親には話したのか?」
「ううん。だって、これは私自身の問題だもの。自分ひとりで責任を取るのが当然だったのよ。それに、三十歳を過ぎたいい大人が親に話すことじゃないわ」
女は、ふう~っと一息吐いた。
「私、最後まで他人の力は借りなかったわ、全部一人で処理したの。そして、彼とも別れたわ」
「・・・・・」
「顧問先の妻子有る課長と恋に陥って愛し合い、そして、妊娠したの。でも、私には、所詮、世間的には不倫関係だという思いがあったし、相手の家庭を壊す気は毛頭無くて、それに、仕事を犠牲にしてまで未婚の母を貫く勇気も持てなかった。悩んだ挙句に、中絶と別離を決断したのよ」
「相手の男はどうして居ったのだ?」
「別に生んで欲しいとも言わなかったわ」
「なんて奴だ!」
「中絶手術のあと、高層マンションの窓から煌く東京の夜景を一望しながら、私は一晩中泣きに泣いたの」
「・・・・・」
「どうしてあんなに涙が溢れたのか、自分でもよく解らないんだけれど、泣き明かして朝になったら、憑き物が落ちたみたいに、すう~っと気持ちが彼から離れていたの。それで直ぐに別れることにしたわ」
「電話の一本でもかけて呉れれば、何かの力になれることはあったのに」
「・・・・・」
「俺とお前は隣同士で育った幼なじみなんだ。幼稚園へ入る前から一緒に遊んで、高校を卒業するまでずうっと一緒だった。お前が虐められた時には俺が護り、俺が落ち込んだ時にはお前が励ましてくれた。大学へ入り社会へ出てからも、お前が帰って来る度に逢って、飯食って、酒飲んで、色んなことを飾らずに話合って来た。だから、どんな時でも俺はお前を守ってやるよ」
暫く沈黙が続いた。
「こっちへ帰って来い。そして、俺のところへ嫁に来い!」
「えっ、耕ちゃんと結婚するの?」
突然の男の言葉に、女は呆れたような表情をした。
「そうだ。結婚しよう!」
男の胸に急に熱いものが込み上げて来たようだった。
「俺は子供の頃から今日まで、三十年間、ずうっとお前が好きだったんだ!」
最初は冗談交じりに聞いていた女も、男の真剣な眼差しに、笑いを消して、じっと相手を見返した。
「ありがとう、嬉しいわ、真実に有難う。でも、私で良いの?」
「ああ、お前が欲しいんだよ。何があっても、どんな時でも、お前のことは必ず俺が守ってやるぞ!お恵」
男がテーブルの上に右手を置き、その手に女の左手がそっと重なった。女は目を潤ませているようだった。
暫くして、二人は雨上がりの月が朧げに影っている空を仰いで街路に出て行った。女が腕を絡ませていた。
二人の後姿を見送りながら嶋木は思った。
女はきっと、自分を立直す為にもう一度東京へ戻るだろう。そして、仕事にも人生にもチャレンジし直して、輝きと自信を取り戻す努力を重ねるだろう。二人の結婚は一、二年先の話になるな。それまで男は、女の立ち直りを、女を信じて、じっと待ってやるだろう。
それにしても、矜持と誇りを持った良い男と良い女だったな・・・
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
翻る社旗の下で
相良武有
現代文学
四月一日、新入社員たちは皆、眦を吊り上げて入社式に臨んでいた。そして、半年後、思いを新たにそれぞれの部門に配属されたのだが・・・
ビジネスマンは誰しも皆、悔恨や悔悟、無念や失意など言葉なんかでは一括りに出来ない深くて重いものを胸の中一杯に溜め込んで日夜奮闘している。これは同期の新入社員の成功と挫折、誇りと闘いの物語である。
大人への門
相良武有
現代文学
思春期から大人へと向かう青春の一時期、それは驟雨の如くに激しく、強く、そして、短い。
が、男であれ女であれ、人はその時期に大人への確たる何かを、成熟した人生を送るのに無くてはならないものを掴む為に、喪失をも含めて、獲ち得るのである。人は人生の新しい局面を切り拓いて行くチャレンジャブルな大人への階段を、時には激しく、時には沈静して、昇降する。それは、驟雨の如く、強烈で、然も短く、将に人生の時の瞬なのである。
ルビコンを渡る
相良武有
現代文学
人生の重大な「決断」をテーマにした作品集。
人生には後戻りの出来ない覚悟や行動が在る。独立、転身、転生、再生、再出発などなど、それは将に人生の時の瞬なのである。
ルビコン川は古代ローマ時代にガリアとイタリアの境に在った川で、カエサルが法を犯してこの川を渡り、ローマに進軍した故事に由来している。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
【フリー台本】朗読小説
桜来
現代文学
朗読台本としてご使用いただける短編小説等です
一話完結 詰め合わせ的な内容になってます。
動画投稿や配信などで使っていただけると嬉しく思います。
ご報告、リンクなどは任意ですが、作者名表記はお願いいたします。
無断転載 自作発言等は禁止とさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる