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第9話 回り道
④「いつお帰りになったのですか?」
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「いつお帰りになったのですか?」
瑠美の胸に万感の思いが込み上げて来た。
「うん。ニューヨークの後、ロサンゼルス、カナダのトロントと渡り歩いて去年の暮れに本社へ戻って来たよ」
「そうですか。随分とご立派になられて。で、今はご実家にお住まいですか?」
「うん。母が実家で独り暮らしだから放っても置けなくて・・・彼岸だからこれから親父の墓参りに行くところだが、途中で君とばったり出会ったという訳だ。それにしても、こんな所で出会うとは夢にも思わなかったなあ」
手塚は快活に笑った。
顔は精悍な表情の手塚だったが、眼には優しい穏やかな光をたたえていた。
昔のまんまだわ、と瑠美は懐かしさで胸が熱くなった。
と、今まで穏やかだった手塚の眼が急に鋭く光って瑠美を凝視した。
「それで、今は幸せに暮らしているのだろうな?」
「あっ、はい」
「そうか。それで安心した。あれからずう~っと気にはしていたのだが・・・」
瑠美の身体の中で何かが弾けた。ずう~っと気にかけてくれていたんだ、私のことを!
手塚はまた元の優しい微笑を見せ、「じゃあ」と軽く手を挙げて瑠美に背を向けた。
「あのぉ・・・」
瑠美は慌てて呼び止めた。
「ご一緒しても宜しいですか?」
「えっ?然し、君はもう済ませたんじゃないの?」
「はい。でも、良いんです、ご一緒させて下さい」
瑠美は今歩いて来た道を再び霊園の方へ手塚と並んで引き返した。
「手塚さん、ご結婚は?」
「結婚どころか、カナダから帰って来たばかりで恋人を探す暇も無いよ」
手塚は闊達に笑った。
瑠美の胸でまた何かが弾けた。まだお独りなんだ・・・
「君はもう結婚して子供さんも居るのだろう、今日は彼岸の中日で里帰りなのか?」
「いえ、わたしも未だ独り身なんです」
「えっ!そうだったのか」
家に戻ると瑠美は、物置から壷ほどの大きさの花瓶を取り出して部屋に花を活けた。あと三、四日もすれば花はもっと開くであろう。
「おや、綺麗な花だわね」
部屋に入って来た母がそう言った。
「綺麗でしょう」
注意深く鋏を使って枝を整えながら瑠美は言った。
胸の中に未だ動悸の余韻が残っている。手塚に会ったと言ったら母はどんな顔をするだろう?あの人がこの花を手折ってくれたと言ったら驚くだろうか?そのことを口にしたい衝動が胸に動くのを感じながら、瑠美は言った。
「お母さん、手塚さんのことを覚えている?」
「手塚さん?」
「うん。手塚純一さん」
その名を口にするのは何年振りだろうか、と瑠美は少し感慨に浸った。
「ほら、学生の頃、何度か夜にタクシーで私を送って来てくれた手塚さんよ、兄さんの友達の」
「ああ、何度、家に上がってお茶でもどうぞ、とお勧めしても、一度もお上がりにならなかったあの方ね」
「そう。もう遅いですからと言って、絶対に上がらなかったわね、あの人」
母は頷いたが、不審そうな顔をした。
「その手塚さんがどうしたの?」
「今日逢ったのよ、霊園で、偶然に」
「あら、それはまた奇遇ね。でも、あなた、あの人と一緒になれれば良かったのにね。あの人好きだったのでしょう?真一のお友達で安心も出来たし・・・」
唐突な母の言葉に、瑠美は一瞬、胸の動悸が高鳴るのを覚えた。
「自分の娘のことだもの、それくらいのことは解っていましたよ」
母はさらりと言った。
「然しねえ。あなたは未だ女子大生だったし、あの方は何日戻れるかもしれないアメリカへ転勤になられるし、どうしようも無かったのよね」
瑠美は黙って鋏を使ったが、胸の奥で何かが鋭くはじけた気がした。そして、息を静めようとして手を止め、花をじっと見やった。
「その枝、切りなさい。その方がすっきりしますよ」
瑠美の思いを断ち切るように、母は少し鋭い口調で小さな枝の一本を指差した。
翳って来た窓の外を眺めて、母は気忙しげに部屋を出て行った。
瑠美は手を止めたまま、暫し、もう十年も昔になる手塚との思い出に、心を泳がせた。
瑠美の心は少し軽くなっていた。ずうっと空虚だった瑠美の胸に、触れると温かいものが息づいている気がする。遠くから此方にじっと注がれている手塚の深い柔和な眼差しを感じる。手塚と交わした僅かな言葉を思い出して、瑠美は心を震わせ、今日の出会いが暫くは自分を励ましてくれるだろうと思った。
もっと別の道があったかも知れないのに、こうして引き返すことの出来ない道を今、歩いている。瑠美は潤んできた目頭を押さえて、気を取り直すように、花を見詰めた。
瑠美の胸に万感の思いが込み上げて来た。
「うん。ニューヨークの後、ロサンゼルス、カナダのトロントと渡り歩いて去年の暮れに本社へ戻って来たよ」
「そうですか。随分とご立派になられて。で、今はご実家にお住まいですか?」
「うん。母が実家で独り暮らしだから放っても置けなくて・・・彼岸だからこれから親父の墓参りに行くところだが、途中で君とばったり出会ったという訳だ。それにしても、こんな所で出会うとは夢にも思わなかったなあ」
手塚は快活に笑った。
顔は精悍な表情の手塚だったが、眼には優しい穏やかな光をたたえていた。
昔のまんまだわ、と瑠美は懐かしさで胸が熱くなった。
と、今まで穏やかだった手塚の眼が急に鋭く光って瑠美を凝視した。
「それで、今は幸せに暮らしているのだろうな?」
「あっ、はい」
「そうか。それで安心した。あれからずう~っと気にはしていたのだが・・・」
瑠美の身体の中で何かが弾けた。ずう~っと気にかけてくれていたんだ、私のことを!
手塚はまた元の優しい微笑を見せ、「じゃあ」と軽く手を挙げて瑠美に背を向けた。
「あのぉ・・・」
瑠美は慌てて呼び止めた。
「ご一緒しても宜しいですか?」
「えっ?然し、君はもう済ませたんじゃないの?」
「はい。でも、良いんです、ご一緒させて下さい」
瑠美は今歩いて来た道を再び霊園の方へ手塚と並んで引き返した。
「手塚さん、ご結婚は?」
「結婚どころか、カナダから帰って来たばかりで恋人を探す暇も無いよ」
手塚は闊達に笑った。
瑠美の胸でまた何かが弾けた。まだお独りなんだ・・・
「君はもう結婚して子供さんも居るのだろう、今日は彼岸の中日で里帰りなのか?」
「いえ、わたしも未だ独り身なんです」
「えっ!そうだったのか」
家に戻ると瑠美は、物置から壷ほどの大きさの花瓶を取り出して部屋に花を活けた。あと三、四日もすれば花はもっと開くであろう。
「おや、綺麗な花だわね」
部屋に入って来た母がそう言った。
「綺麗でしょう」
注意深く鋏を使って枝を整えながら瑠美は言った。
胸の中に未だ動悸の余韻が残っている。手塚に会ったと言ったら母はどんな顔をするだろう?あの人がこの花を手折ってくれたと言ったら驚くだろうか?そのことを口にしたい衝動が胸に動くのを感じながら、瑠美は言った。
「お母さん、手塚さんのことを覚えている?」
「手塚さん?」
「うん。手塚純一さん」
その名を口にするのは何年振りだろうか、と瑠美は少し感慨に浸った。
「ほら、学生の頃、何度か夜にタクシーで私を送って来てくれた手塚さんよ、兄さんの友達の」
「ああ、何度、家に上がってお茶でもどうぞ、とお勧めしても、一度もお上がりにならなかったあの方ね」
「そう。もう遅いですからと言って、絶対に上がらなかったわね、あの人」
母は頷いたが、不審そうな顔をした。
「その手塚さんがどうしたの?」
「今日逢ったのよ、霊園で、偶然に」
「あら、それはまた奇遇ね。でも、あなた、あの人と一緒になれれば良かったのにね。あの人好きだったのでしょう?真一のお友達で安心も出来たし・・・」
唐突な母の言葉に、瑠美は一瞬、胸の動悸が高鳴るのを覚えた。
「自分の娘のことだもの、それくらいのことは解っていましたよ」
母はさらりと言った。
「然しねえ。あなたは未だ女子大生だったし、あの方は何日戻れるかもしれないアメリカへ転勤になられるし、どうしようも無かったのよね」
瑠美は黙って鋏を使ったが、胸の奥で何かが鋭くはじけた気がした。そして、息を静めようとして手を止め、花をじっと見やった。
「その枝、切りなさい。その方がすっきりしますよ」
瑠美の思いを断ち切るように、母は少し鋭い口調で小さな枝の一本を指差した。
翳って来た窓の外を眺めて、母は気忙しげに部屋を出て行った。
瑠美は手を止めたまま、暫し、もう十年も昔になる手塚との思い出に、心を泳がせた。
瑠美の心は少し軽くなっていた。ずうっと空虚だった瑠美の胸に、触れると温かいものが息づいている気がする。遠くから此方にじっと注がれている手塚の深い柔和な眼差しを感じる。手塚と交わした僅かな言葉を思い出して、瑠美は心を震わせ、今日の出会いが暫くは自分を励ましてくれるだろうと思った。
もっと別の道があったかも知れないのに、こうして引き返すことの出来ない道を今、歩いている。瑠美は潤んできた目頭を押さえて、気を取り直すように、花を見詰めた。
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