23 / 63
第7話 老女優
⑥一色彩、女優開眼する
しおりを挟む
このヌーヴェルヴァーグ映画ではカメラを固定して据えるのではなく、出来る限りカメラマンの手に持たせていた。
監督が言った。
「勿論ブレるし、途轍もなく可笑しな構図になって行くけれども、それで良いんだ。アヤ、今まで誰も撮ったことの無い映画を創ろう。女の心のブレと揺れと一緒にカメラも揺れる。素晴らしい映画になるよ」
そして、ロケに入ってから、この映画には驚くほどに群衆ロケが多いことに彩は気付いた。
東京の丸の内で怪訝な顔で人々に取り囲まれた。
裕一を追って走る彩、やがて彼の意志が固いことを知って絶望のあまり跪く。
「何だよ、この女!」
「一体どうしたんだ?」
立ち並ぶ屋台の前には女たちの群が在った。
本物の一色彩を見る晴れがましさと困惑とで女たちの表情は鈍いものになっていた。皆、照れたように笑っている。最新鋭のハンディカメラが追って行くが監督のOKが得られない。何度も撮り直しが続いた。
東北青森でねぶた祭りのシーンを撮る時には、祭りの真只中へ彩の乗ったジャガーを乗り入れた。忽ちにして抗議の声が湧き起った。
「何してんだよォ、こいつ!」
「馬鹿か、この女!」
彩は批難の声を浴び、群衆に小突かれ、祭りの水もかけられた。
エキストラを雇ってはいたが、彼等の表情はその使命をとうに越えている。貌も本能的に歪んでいた。わたしは彼等に襲われるのではないか、そんな恐怖と水の冷たさに彩は今にも倒れそうになった。ふらふらと群衆の波を掻き分けて歩く彩を最新のハンディカメラが追って行く。
彩に不思議なことが起こった。
ロケの恐怖に慄き乍ら撮影に挑む内に、台詞やアクションが自然に出るようになった。演じているのではなく、自然に台詞が口を吐いて出、身体が無意識のうちに動く。主人公の感情が彩の胸の内に湧き上がって溢れ出し、もはや、脚本の台詞ではなく彩自身の言葉が口から発せられアクションが自ずと生れ出た。やがて爽快感が込み上げて来た。彩が役者魂に眼覚め、演技者として開眼した一瞬だった。
数日後、彩が雨に濡れた街路を駆け抜ける重要なショットを何日もかけて撮影したことがあった。
「さあ、君の用意が出来次第撮るからな、アヤ」
「よし、もう一丁行こう、アヤ」
そして、或る晩、二人は黄色いオープン・スポーツカーで京浜高速道路を飛ばしていた。咽び泣くように騒いでいる海を左手に見乍ら、二人は横浜を目指した。
海辺のレストランに着くとロブスターを食べ、監督が繰り返しジュークボックスでかけたブルースの曲に合わせてダンスをした。
「今回良く解ったよ。うちのスターたちの映画が大当たりしたのは、彼らの力だけじゃない。君が居たからだ。そんなことは皆、解っている筈だったのに、実は解って居なかった。どの映画もね、スターたちが主役のようでいて、実は主役は君だったんだ。俳優たちのアクションは、君の精を引き出す為の仕掛けだったんだな。君の美しさは映画の中では母性となって観ている男たちを癒し、祝福して行く。君の魅力は今までの日本の女優とはまるで違う。君の美しさと言うのはフランスの女優と同じで、乾いているんだ。僕は今度の映画で確信を持ったよ。君が居るならばまるっきり新しい映画が撮れる。今まで誰も見たことの無い映画を僕の手で創り出すことが出来るんだ、ってね」
そして、彼は言った。
「よし、アヤ、今夜は泊まって行こうじゃないか」
その時、彼は妻帯していたし、彼女にも恋人が居たのだったが・・・。
この年の暮れ、一色彩はこの作品で日本アカデミー賞の主演女優賞を受賞し、彼女の代表作の一本となった。彼女はそれから後も嶋木監督作品の何本かに主演を果たしたが、その何れもが好評を博し、嶋木監督作品での一色彩は飛びっきり綺麗だとの専らの噂であった。毎日映画コンクール女優演技賞、キネマ旬報主演女優賞、日刊スポーツ映画大賞主演女優賞など数々の賞を受賞して名実ともに大女優の道を歩み始めたのだった。
監督が言った。
「勿論ブレるし、途轍もなく可笑しな構図になって行くけれども、それで良いんだ。アヤ、今まで誰も撮ったことの無い映画を創ろう。女の心のブレと揺れと一緒にカメラも揺れる。素晴らしい映画になるよ」
そして、ロケに入ってから、この映画には驚くほどに群衆ロケが多いことに彩は気付いた。
東京の丸の内で怪訝な顔で人々に取り囲まれた。
裕一を追って走る彩、やがて彼の意志が固いことを知って絶望のあまり跪く。
「何だよ、この女!」
「一体どうしたんだ?」
立ち並ぶ屋台の前には女たちの群が在った。
本物の一色彩を見る晴れがましさと困惑とで女たちの表情は鈍いものになっていた。皆、照れたように笑っている。最新鋭のハンディカメラが追って行くが監督のOKが得られない。何度も撮り直しが続いた。
東北青森でねぶた祭りのシーンを撮る時には、祭りの真只中へ彩の乗ったジャガーを乗り入れた。忽ちにして抗議の声が湧き起った。
「何してんだよォ、こいつ!」
「馬鹿か、この女!」
彩は批難の声を浴び、群衆に小突かれ、祭りの水もかけられた。
エキストラを雇ってはいたが、彼等の表情はその使命をとうに越えている。貌も本能的に歪んでいた。わたしは彼等に襲われるのではないか、そんな恐怖と水の冷たさに彩は今にも倒れそうになった。ふらふらと群衆の波を掻き分けて歩く彩を最新のハンディカメラが追って行く。
彩に不思議なことが起こった。
ロケの恐怖に慄き乍ら撮影に挑む内に、台詞やアクションが自然に出るようになった。演じているのではなく、自然に台詞が口を吐いて出、身体が無意識のうちに動く。主人公の感情が彩の胸の内に湧き上がって溢れ出し、もはや、脚本の台詞ではなく彩自身の言葉が口から発せられアクションが自ずと生れ出た。やがて爽快感が込み上げて来た。彩が役者魂に眼覚め、演技者として開眼した一瞬だった。
数日後、彩が雨に濡れた街路を駆け抜ける重要なショットを何日もかけて撮影したことがあった。
「さあ、君の用意が出来次第撮るからな、アヤ」
「よし、もう一丁行こう、アヤ」
そして、或る晩、二人は黄色いオープン・スポーツカーで京浜高速道路を飛ばしていた。咽び泣くように騒いでいる海を左手に見乍ら、二人は横浜を目指した。
海辺のレストランに着くとロブスターを食べ、監督が繰り返しジュークボックスでかけたブルースの曲に合わせてダンスをした。
「今回良く解ったよ。うちのスターたちの映画が大当たりしたのは、彼らの力だけじゃない。君が居たからだ。そんなことは皆、解っている筈だったのに、実は解って居なかった。どの映画もね、スターたちが主役のようでいて、実は主役は君だったんだ。俳優たちのアクションは、君の精を引き出す為の仕掛けだったんだな。君の美しさは映画の中では母性となって観ている男たちを癒し、祝福して行く。君の魅力は今までの日本の女優とはまるで違う。君の美しさと言うのはフランスの女優と同じで、乾いているんだ。僕は今度の映画で確信を持ったよ。君が居るならばまるっきり新しい映画が撮れる。今まで誰も見たことの無い映画を僕の手で創り出すことが出来るんだ、ってね」
そして、彼は言った。
「よし、アヤ、今夜は泊まって行こうじゃないか」
その時、彼は妻帯していたし、彼女にも恋人が居たのだったが・・・。
この年の暮れ、一色彩はこの作品で日本アカデミー賞の主演女優賞を受賞し、彼女の代表作の一本となった。彼女はそれから後も嶋木監督作品の何本かに主演を果たしたが、その何れもが好評を博し、嶋木監督作品での一色彩は飛びっきり綺麗だとの専らの噂であった。毎日映画コンクール女優演技賞、キネマ旬報主演女優賞、日刊スポーツ映画大賞主演女優賞など数々の賞を受賞して名実ともに大女優の道を歩み始めたのだった。
1
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
大人への門
相良武有
現代文学
思春期から大人へと向かう青春の一時期、それは驟雨の如くに激しく、強く、そして、短い。
が、男であれ女であれ、人はその時期に大人への確たる何かを、成熟した人生を送るのに無くてはならないものを掴む為に、喪失をも含めて、獲ち得るのである。人は人生の新しい局面を切り拓いて行くチャレンジャブルな大人への階段を、時には激しく、時には沈静して、昇降する。それは、驟雨の如く、強烈で、然も短く、将に人生の時の瞬なのである。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
5分間の短編集
相良武有
現代文学
人生の忘れ得ぬ節目としての、めぐり逢いの悦びと別れの哀しみ。転機の分別とその心理的徴候を焙り出して、人間の永遠の葛藤を描く超短編小説集。
中身が濃く、甘やかな切なさと後味の良さが残る何度読んでも新鮮で飽きることが無い。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる