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第7話 老女優
①老女優、一色彩、フレンチで昼食する
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一色彩は齢七十五歳を過ぎた老女優であるが、彼女は週に一、二度、都心を少し離れた閑静なシティホテルのレストランで昼食を摂るのを習わしにしている。
このホテルのレストランは何処も、フレンチも洋食も和食も何れもが舌に心地良く馴染んで美味であり、彼女はその日の気分の赴くままにレストランを選んで入って行く。
今日選んだのはランチにフレンチのコースを提供するダイニングレストラン「カンフォーラ」だった。そこはフレンチでありながら最も果敢に時の流れに抗し歴史と伝統の重みを醸しているが故に、今もこの街では彼女のお気に入りのレストランなのであった。
時刻は午後一時を少し回ったところであった。彼女は昼食時の混雑と喧騒が一段落する頃合いを見計らって今日も「カンフォーラ」にやって来た。
目敏く彼女の姿を見つけた顔馴染みの女店長がにこやかな微笑みを浮かべて早速に迎え入れてくれた。案内されたのは何時もの窓際の、カーテンを通して柔らかい陽光が背後から差し込む二人掛けのテーブル席であった。
引かれた椅子に腰かけると、直ぐに、ウエイトレスが冷たい水とおしぼり、それにナプキンとメニューをテーブルの上に置いてくれた。
「ご注文がお決りになりましたら、どうぞ、お声をお掛け下さいませ」
静かに優しくそう言って立ち去って行った。
一色彩は茶褐色のサングラスで顔を隠し、黒っぽいスカーフをきっちりと首に巻いていつも独りで昼食を摂る。正体に気付かれることは殆ど無い。それが気に入っていた。
若い頃からの長年の忠実なファンに出逢うと、決まって、訊ねられることが有る。
「もう映画やテレビドラマには出ないのですか?」
彼女はいつも常套句を以てそれに応えるのみである。
「勿論、良いお話があれば歓んで出演するわよ」
然し、彼女はそう言った会話をすることが幾分煩わしかったし、また、自分では、恐らく二度と映画にカムバックすることはあるまい、という気にもなっているのだった。
今でも時に、出演の依頼は来るのだが、それは大抵、息子に先立たれた淋しい老母であったり、他人の人生を覗き見する悪趣味な老家政婦であったり、車椅子に座ってしか行動出来ない老婦人であったりなどという老け役ばかり、或は、ありきたりのシチュエーションでお定まりの展開をするサスペンスとは名ばかりのおばさん刑事等のミステリーものであったりで、どれもこれも陳腐なものばかり。若き日の思い出を蹂躙する覚悟が無ければ、とてもそんな映画やドラマに出演することは出来ない。
今日も、一色彩はある脚本を持参していたのだが、彼女の演じる筈の人物が出刃包丁に手を延ばした二十五ページ目で読むのを止めてしまった。
彼女はウエイターを招き寄せて、エッグス・ベネディクト、海鮮アヒージョ、シーザーサラダ、それに、ホワイトワインを注文した。
エッグス・ベネディクトは、酵母で発酵させた丸いパンにコーンミールを塗したイングリッシュ・マフィンの半分に、ハムやベーコン、ポーチドエッグ、オランデーズソースを乗せて作られる料理である。
海鮮アヒージョはオリーブオイルとニンニクで煮込むタパスの一種であり、カスエラという耐熱の陶器に容れて熱したオリーブオイルごと供される。素材となるものは海老、エスカルゴ、マッシュルーム、チキン、牡蠣、タラなど多種多様である。オリーブオイルはバゲットやチュロスを浸して食べると美味である。彼女が今日注文したのは海老のアヒージョだった。
シーザーサラダはロメインレタスを主体にしたサラダである。
ロメインレタスの上に、ニンニク、塩、コショウ、レモン汁で作られるシーザードレッシングに、削り下ろしたパルメザンチーズとクルトンをトッピンギして仕上げられる。
これらの料理は何れも彼女の取って置きのお気に入りムニュであった。
仄暗いレストランの中を身軽に動き回っている若いウエイターやウエイトレスの姿を眺めながら、何処かで奏でられているピアノの音を聴いていると、もはや老いを跳ね返すことは出来ない、と初めて意識した時のことが思い出された。
肉体は、何時かは凝結してしまう。肌には皺が生じ、カサカサになって、厚塗りの白粉や紅で隠さないことには亀の首のようになってしまう。それを意識した瞬間の、肌を吊り上げる整形手術も美顔術ももはや無益だと悟った瞬間の、なんと恐ろしかったことか・・・
だが、その時、これは多分自然の摂理なのだろう、人が死を受け容れ易くするために自然はその肉体を老いさせるのかも知れない、と思ったことも、彼女はよく憶えている。
一色彩は最近、昔馴染みの記者たちとか、最後のマネージャーとか、今も残っている数少ない取り巻き連中とか、極く親しい友人たちとかと、死について語り合うことが多くなった。
悲しいのは、自分の死亡記事が、昭和三十年代、日本映画の黄金時代に芸能記者向けに流された作りものの情報をない交ぜにした、真実からは程遠いエピソードで固められるに相違無いことであった。
先日も知人たちと話したばかりである。
「そんな誤りを正す為にも回想録を執筆したらどうなの?」
「そうね。でも、わたし、あの手の本は好きになれないのよ」
彼女は、同じように年老いた女優たちが発表する一連の回想録、悪趣味一歩手前の自己憐憫と虚飾のノスタルジーに満ち満ちたあの手の自伝が好きになれないのだった。
「あの手の本は、自分に都合の良いセリフだけを集めたモノローグのような気がして嫌なのよ」
一番真実に近い記録は、やはり彼女が昔出演した映画自体だと言って良いだろう。
それは今も、テレビの深夜映画劇場に繰り返し登場している。と言っても、放送されるのは、地上波デジタル放送ではなく、懐かしい旧作ばかりを何回も再放送しているBSやCSのチャンネルが多いのであるが・・・。だが、それらの映画に登場する彼女は永遠の若さに包まれている。肌は透き通るように白く、総天然色が織りなすあの華やかな色相の中で眼はキラキラと輝き光っている。あの頃共演したハンサムな俳優たちの殆どは映画界から消えてしまって、もはや皆、彼女が初めて会った時のあの若者たちではない。鬼籍に入ってしまった俳優たちも何人かは居る。特に、長年のゴールデンコンビであったスーパースター石黒裕一が五十代の若さで永眠した時には涙が滂沱として溢れ、仕事をするどころか腑抜けのようになって何も手につかず、ああ、これで光り輝いていた私たちの時代も終わったのだわ、としみじみ思ったものだった。
六社在った大手映画会社も大映、日活、新東宝が潰れて、今は東宝、松竹、東映の三社になってしまった。成城に東宝と新東宝、調布に日活と大映、大泉に東映、鎌倉の大船に松竹と、六社がその隆盛を誇示した撮影所が威容を誇っていた時代も在ったと言うのに・・・。時間とテレビに蚕食されて消えてしまったスタジオも幾つか有る。セットも三十年前に壊されてしまった。
新聞に載る自分の死亡記事を、自分が読まずに済ませられることだけが彼女の慰めだった。尤も、ある知人がこうも言っていたが・・・。
「各新聞社では既にあなたの死亡記事を用意して、ファイルに締まってあるらしいわよ」
ウエイターがエッグス・ベネディクトとワインを運んで来て丁寧に一礼し、直ぐに去ってって行った後、ウエイトレスがワゴンから海鮮アヒージョとシーザーサラダをテーブルに移して食べ易い位置に一つずつ並べてくれた。こういう気配りも一色彩のお気に入りの一つである。
このホテルのレストランは何処も、フレンチも洋食も和食も何れもが舌に心地良く馴染んで美味であり、彼女はその日の気分の赴くままにレストランを選んで入って行く。
今日選んだのはランチにフレンチのコースを提供するダイニングレストラン「カンフォーラ」だった。そこはフレンチでありながら最も果敢に時の流れに抗し歴史と伝統の重みを醸しているが故に、今もこの街では彼女のお気に入りのレストランなのであった。
時刻は午後一時を少し回ったところであった。彼女は昼食時の混雑と喧騒が一段落する頃合いを見計らって今日も「カンフォーラ」にやって来た。
目敏く彼女の姿を見つけた顔馴染みの女店長がにこやかな微笑みを浮かべて早速に迎え入れてくれた。案内されたのは何時もの窓際の、カーテンを通して柔らかい陽光が背後から差し込む二人掛けのテーブル席であった。
引かれた椅子に腰かけると、直ぐに、ウエイトレスが冷たい水とおしぼり、それにナプキンとメニューをテーブルの上に置いてくれた。
「ご注文がお決りになりましたら、どうぞ、お声をお掛け下さいませ」
静かに優しくそう言って立ち去って行った。
一色彩は茶褐色のサングラスで顔を隠し、黒っぽいスカーフをきっちりと首に巻いていつも独りで昼食を摂る。正体に気付かれることは殆ど無い。それが気に入っていた。
若い頃からの長年の忠実なファンに出逢うと、決まって、訊ねられることが有る。
「もう映画やテレビドラマには出ないのですか?」
彼女はいつも常套句を以てそれに応えるのみである。
「勿論、良いお話があれば歓んで出演するわよ」
然し、彼女はそう言った会話をすることが幾分煩わしかったし、また、自分では、恐らく二度と映画にカムバックすることはあるまい、という気にもなっているのだった。
今でも時に、出演の依頼は来るのだが、それは大抵、息子に先立たれた淋しい老母であったり、他人の人生を覗き見する悪趣味な老家政婦であったり、車椅子に座ってしか行動出来ない老婦人であったりなどという老け役ばかり、或は、ありきたりのシチュエーションでお定まりの展開をするサスペンスとは名ばかりのおばさん刑事等のミステリーものであったりで、どれもこれも陳腐なものばかり。若き日の思い出を蹂躙する覚悟が無ければ、とてもそんな映画やドラマに出演することは出来ない。
今日も、一色彩はある脚本を持参していたのだが、彼女の演じる筈の人物が出刃包丁に手を延ばした二十五ページ目で読むのを止めてしまった。
彼女はウエイターを招き寄せて、エッグス・ベネディクト、海鮮アヒージョ、シーザーサラダ、それに、ホワイトワインを注文した。
エッグス・ベネディクトは、酵母で発酵させた丸いパンにコーンミールを塗したイングリッシュ・マフィンの半分に、ハムやベーコン、ポーチドエッグ、オランデーズソースを乗せて作られる料理である。
海鮮アヒージョはオリーブオイルとニンニクで煮込むタパスの一種であり、カスエラという耐熱の陶器に容れて熱したオリーブオイルごと供される。素材となるものは海老、エスカルゴ、マッシュルーム、チキン、牡蠣、タラなど多種多様である。オリーブオイルはバゲットやチュロスを浸して食べると美味である。彼女が今日注文したのは海老のアヒージョだった。
シーザーサラダはロメインレタスを主体にしたサラダである。
ロメインレタスの上に、ニンニク、塩、コショウ、レモン汁で作られるシーザードレッシングに、削り下ろしたパルメザンチーズとクルトンをトッピンギして仕上げられる。
これらの料理は何れも彼女の取って置きのお気に入りムニュであった。
仄暗いレストランの中を身軽に動き回っている若いウエイターやウエイトレスの姿を眺めながら、何処かで奏でられているピアノの音を聴いていると、もはや老いを跳ね返すことは出来ない、と初めて意識した時のことが思い出された。
肉体は、何時かは凝結してしまう。肌には皺が生じ、カサカサになって、厚塗りの白粉や紅で隠さないことには亀の首のようになってしまう。それを意識した瞬間の、肌を吊り上げる整形手術も美顔術ももはや無益だと悟った瞬間の、なんと恐ろしかったことか・・・
だが、その時、これは多分自然の摂理なのだろう、人が死を受け容れ易くするために自然はその肉体を老いさせるのかも知れない、と思ったことも、彼女はよく憶えている。
一色彩は最近、昔馴染みの記者たちとか、最後のマネージャーとか、今も残っている数少ない取り巻き連中とか、極く親しい友人たちとかと、死について語り合うことが多くなった。
悲しいのは、自分の死亡記事が、昭和三十年代、日本映画の黄金時代に芸能記者向けに流された作りものの情報をない交ぜにした、真実からは程遠いエピソードで固められるに相違無いことであった。
先日も知人たちと話したばかりである。
「そんな誤りを正す為にも回想録を執筆したらどうなの?」
「そうね。でも、わたし、あの手の本は好きになれないのよ」
彼女は、同じように年老いた女優たちが発表する一連の回想録、悪趣味一歩手前の自己憐憫と虚飾のノスタルジーに満ち満ちたあの手の自伝が好きになれないのだった。
「あの手の本は、自分に都合の良いセリフだけを集めたモノローグのような気がして嫌なのよ」
一番真実に近い記録は、やはり彼女が昔出演した映画自体だと言って良いだろう。
それは今も、テレビの深夜映画劇場に繰り返し登場している。と言っても、放送されるのは、地上波デジタル放送ではなく、懐かしい旧作ばかりを何回も再放送しているBSやCSのチャンネルが多いのであるが・・・。だが、それらの映画に登場する彼女は永遠の若さに包まれている。肌は透き通るように白く、総天然色が織りなすあの華やかな色相の中で眼はキラキラと輝き光っている。あの頃共演したハンサムな俳優たちの殆どは映画界から消えてしまって、もはや皆、彼女が初めて会った時のあの若者たちではない。鬼籍に入ってしまった俳優たちも何人かは居る。特に、長年のゴールデンコンビであったスーパースター石黒裕一が五十代の若さで永眠した時には涙が滂沱として溢れ、仕事をするどころか腑抜けのようになって何も手につかず、ああ、これで光り輝いていた私たちの時代も終わったのだわ、としみじみ思ったものだった。
六社在った大手映画会社も大映、日活、新東宝が潰れて、今は東宝、松竹、東映の三社になってしまった。成城に東宝と新東宝、調布に日活と大映、大泉に東映、鎌倉の大船に松竹と、六社がその隆盛を誇示した撮影所が威容を誇っていた時代も在ったと言うのに・・・。時間とテレビに蚕食されて消えてしまったスタジオも幾つか有る。セットも三十年前に壊されてしまった。
新聞に載る自分の死亡記事を、自分が読まずに済ませられることだけが彼女の慰めだった。尤も、ある知人がこうも言っていたが・・・。
「各新聞社では既にあなたの死亡記事を用意して、ファイルに締まってあるらしいわよ」
ウエイターがエッグス・ベネディクトとワインを運んで来て丁寧に一礼し、直ぐに去ってって行った後、ウエイトレスがワゴンから海鮮アヒージョとシーザーサラダをテーブルに移して食べ易い位置に一つずつ並べてくれた。こういう気配りも一色彩のお気に入りの一つである。
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