人生の時の瞬

相良武有

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第3話 フェード・イン

②25年ぶりの再会

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 今し方、水木はメインストリートと大通りの交差点でタクシーを降りた。
タクシーの中で水木は迷っていた。折角二十五年振りに誘われたのだから会うべきだろう、と一応得心しては来たものの、いざとなると、迷いが出て来た。今まで二十五年間も疎遠だったのだから、このまま会わずに帰ってしまっても、別にどうってことも無い、何も変わる訳ではない。それに、斎藤に会っても直ぐに彼だと判るだろうか?二十五年前の高校生の頃の、詰襟姿の斎藤ならうっすらと記憶に残っている。帽子を前髪が見えるくらい上に持ち上げた格好であみだに被り、少し悪ぶった厳つい奴だった。が、あれから既に二十五年も経っている。二十五年も経てば大概の奴は多かれ少なかれ容姿がかなり変っている筈である。水木にしてからが、頭髪が少し薄くなって光の下では頭皮が透けて見える。顔には四十余年間の人生の皺が刻まれてもいる。
引き返そうかと思ったとき、タクシーが交差点に着いて、水木は迷いを吹っ切った。
大通りを北へ歩いて、彼は斎藤から教えられた店を探し求めた。高級クラブ、ラウンジ、スナック、バー、料亭、小料理屋が整然と立ち並んでいる。風俗店やパチンコ店は全く無い。此処はこの都市最大級の高級飲食店街である。午後八時を少し回ってクラブやバーが開店した今時分は、夥しい数のタクシーがエリア内を溢れるほどに往来していた。ネオンが煌き、人がさざめき、これから熱気が街に満ち満ちて来る。この街は、大企業の接待や有名人・著名人の需要で支えられている。庶民性は一部のチェーン展開の店を除けば殆ど無い。

 目指す店は直ぐに判った。瀟洒なホワイトビルの一階に在った。
店内は垢抜けて洒落ていた。
床には紅い毛氈が敷かれ、照明はあたたかい橙黄色でほんのりと煙って霞んでいる。フロアも仄明るかった。
水木はクロークに居た女性に斎藤の来店を確かめた。女性は右掌を少し掲げてカウンターの奥の席に居る斎藤を示してくれた。
見ると、黒縁メガネをかけた背の高いずんぐり太った男がこちらを向いて眼を細く眇めた。齊藤だった。水木は手を挙げ乍ら彼に近づいて行った。
「よう、久し振りだな、何年振りになるかなあ」
齊藤が水木の手を握った。
「その後、調子はどうだい?」
「上々だよ。何を飲む?」
水木は斎藤と同じウイスキーの水割りを注文した。
それから二人は、あの懐かしい高校時代の野球部員たちの思い出を語らい始めた。
「四番、レフトの野村。口数が少なく平たい顔をしていた奴。あいつはいつも微笑しながらチームメイトを見やっていたな」
「当時売り出し中のグラマー女優と一度は寝てみたい、と一週間も言い続けていたぞ、あいつは」
「雑誌から切り取った女優の水着姿のピンナップ写真を何時も鞄の中に隠していたなぁ」
「あいつはいつも根本監督と並んでいたな。いかにも福岡生まれらしい角刈り頭と柔らか味のある細い眼をしていた監督。そのくせ、一寸気難しいところのあった根本監督」
「そして、その隣には、がっしりした体格の大柄の奴が立っていた。チームが夏の県大会で初めて一勝を挙げた時、みんなが歓喜に小躍りしている中で、とりわけ大声で辺り憚らずにおんおん泣いていた、普段の険しい眼が兎のように真っ赤になっていたな」
「何と言ったかなあ、あいつの名前は?石原だったかな」
「そうだ、石原紀夫だよ」
水木は残り少なくなったウイスキーを一気に飲み干し、バーテンダーにお代わりを頼んだ。
「五番はサードの中西だったな」
水木は、夏の高校野球大会を広報するポスターに書いた中西の落書きを想い出した。そして、あの「中西、サードに立つ」という落書きをもう一度見たいと思った。
「それから、もう一人、明るく元気で俺たちのマスコットだった女子マネージャー・・・確か、田代と言う名だったよな」
「ビジネスマンと結婚して、その後、夫と共にニューヨークへ渡ったことまでは知っているが、彼女は今、何処で何をしているのだろうなあ」
「田代美代子。そう、片頬で笑うあの独特の微笑とえくぼの可愛さは何とも言えなかった」
其処まで話した時、斎藤が不意に話題を替えて聞いて来た。
「君はあれから行ってみたことがあるのか?」
「何処へさ?」
「言わずと知れた場所だよ」
齊藤は言った。
彼はカウンター越しに、一人の初老の紳士と話している色白のキュートな若いホステスを見つめていた。
「大宮神社だよ、高校の在った」
「いや、一度も行ってない」
水木は答えた。
「俺もだよ」
水木は水割りを飲みながら、暫く回想に浸った。
そのもの憂い静かな思いを斎藤がまた遮った。
「君は何故逃げたんだ?」
「逃げた?」
「ああ」
「どういう意味だ、それは?」
「県大会中の、あの喫煙事件のことだよ」
「ああ」
水木は言った。
「あのタバコ事件のことか?」
「そう、あのタバコ事件のことだ」
水木は肩をすくめて、それっきり答えようとしなかった。

 
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